岩手県遠野市は「遠野物語」で知られる土地柄だ。その象徴的存在が「カッパ淵」である。寺の横を流れる小川にカッパが棲むという。夏の暑さが残る九月の上旬、「カッパ淵」を訪ねた。
カッパ淵
カッパ淵
カッパ淵
「遠野物語」は柳田国男が発表した説話集である。柳田国男は1875年(明治8年)に兵庫県に生まれ、東京帝国大学法学科で農政学を学んだ後、農商務省に入省した。農政に携わるうちに各地に残る伝承に心惹かれていったのかもしれない。1919年(大正8年)に官職を退くと、日本各地を訪ね歩いて伝承や習俗などを広く収集していく。それらをまとめて多数の著書や論文を発表、後に「日本民俗学の父」と呼ばれるようになる。特に1910年(明治43年)に発表した「遠野物語」は日本民俗学の先駆けとして広く知られている。1962年(昭和37年)、柳田国男は88歳で生涯を終えている。

「遠野物語」は遠野地方に伝わるさまざまな伝承を編纂したものだ。柳田国男と交流のあった民話蒐集家の佐々木喜善によって語られた逸話を柳田が筆記、編纂したものという。内容は天狗や河童、座敷童といった妖怪に纏わる逸話から各地の風習や行事など、多岐にわたっている。要するに不思議な言い伝えや風習などをまとめたものだが、一般には特に河童や座敷童に纏わる逸話が「遠野物語」の代名詞的に広く知られている。
カッパ淵
カッパ淵
遠野市の中心市街からほど近い田園風景の中に、「カッパ淵」と呼ばれるところがある。常堅寺という寺の横を流れる小川に、かつて数多くの河童が棲息し、悪戯をして人々を驚かせていたという。「遠野物語」にも水を飲もうとした馬を川に引き込もうとしたカッパの話が所収されている。その一方で常堅寺が火事に遭った際には頭の皿から水を拭きだして火を消し止めたという。悪戯者であるが憎めない存在であるようだ。

小川は田畑の灌漑用に小烏瀬川から取水した用水のようだ。常堅寺の東方ではいかにも用水路のような様相なのだが、常堅寺の横手に来ると岸辺に草木が茂って昔ながらの小川という姿である。木立のせいで小川は陰り、何やら幽玄の気配が漂っているような気もする。

小川の辺にはカッパを祀った小さな祠がある。子持ちの女性が赤い布で乳の形を作って納めると乳の出がよくなるそうである。
カッパ淵
カッパ淵
カッパと言えばきゅうりが好物と広く伝えられている。カッパ淵に、糸の先にきゅうりを結びつけた釣り竿が仕掛けられている。きゅうりは小川の水面にちょうど浸る高さだ。カッパを釣り上げるための釣り竿らしい。名人専用なので手を触れないようにとの注意書きがある。果たして名人の手にかかればカッパは釣れるのか。

なお、カッパを捕獲するためには「カッパ捕獲許可証」が必要である。「カッパ捕獲許可証」は伝承園の売店で販売している。我こそはと思う人は「カッパ捕獲許可証」を購入してカッパの捕獲に挑戦してみるといいかもしれない。

余談だが、カッパ淵の水際ぎりぎりのところで写真を撮ろうとしていたところ、足元が滑って危うくカッパに引き込まれてしまうところだった。カッパの姿が見えないからといって油断は禁物である。
カッパ淵
カッパ淵の周辺には長閑な田園風景が広がっている。平安時代後期に東北で権勢を誇った安部氏の館跡もある。のんびりと周辺を散策してみるのもお勧めだ。

カッパ淵はただの小川に過ぎないが、不思議な伝承などに興味のある人や、特に「遠野物語」の世界に心惹かれる人なら一度は訪ねておきたいところだろう。カッパ淵の岸辺に立って伝承の世界に心遊ばせるのは楽しいひとときだ。
カッパ淵
参考情報
交通
公共の交通機関を利用して訪れる場合は遠野駅からバスを利用することになるが、便数が少なく、あまり実用的ではない。遠野駅からタクシーを利用するのも一案だろう。

車で訪れる場合は遠野市市街地から国道340号を北東へ、途中県道160号へ逸れて伝承園を目指せばいい。伝承園の駐車場に車を駐め、カッパ淵まで徒歩で数分といったところだ。

遠方から訪れる場合は、東北自動車道から釜石自動車道を経由、遠野ICで降りれば近い。

飲食
伝承園に食事処があり、定食やそば、うどんなどが提供されている。

周辺には飲食店は無く、探すなら遠野市街に移動した方がいい。

周辺
カッパ淵に訪れる際には伝承園の駐車場を利用すると便利だ。伝承園は遠野地方の昔の農家の生活様式を再現した施設だ。併せて見学しておこう。

伝承園から県道160号を北へ6kmほど辿ると「遠野ふるさと村」がある。遠野ふるさと村は江戸・明治期に建てられた南部曲り家等の古民家7棟を移築、昔ながらの農村風景を再現した施設だ。ここの遠野観光の際には訪れてみたい。

遠野駅近くの市街地には「遠野城下町資料館」や「とおの物語の館」といった施設もある。これらも遠野観光の際に訪ねておきたいスポットだ。
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