日南海岸風景
猪崎鼻
猪崎鼻
油津の市街地から国道220号を南に向かい、急斜面の山肌に張り付くように辿る道路を少し行くと、国道は小さな砂浜を抱える入江に向かって降りてゆく。入江の奧を回って道路はまた岬へと登り、岬を回って大堂津の町中へと向かう。この岬を、猪崎鼻という。「鼻」は「ハナ」であり、すなわち「岬」のことだ。岬の一帯は公園として整備され、国道には「猪崎鼻公園」を指し示す標識が設置されている。観光地としての認知度はあまり高いとは言えず、観光客が立ち寄ることもほとんどないが、猪崎鼻から望む景観の素晴らしさは昔から定評のあるもので、地元である大堂津に暮らす人でさえ、「猪崎鼻は眺めがいいがなぁ(猪崎鼻は眺めがいいよねぇ)」と言う。日南海岸には展望の素晴らしい場所が数多く点在しているが、その中でも猪崎鼻からの景観の美しさは屈指のものではないか。
猪崎鼻
「猪崎鼻公園」を指し示す標識に従って国道から逸れてゆくと、右手に大堂津の入江を見下ろしながら道が延びている。少し行くと左手に駐車場があり、その奧には「猪崎鼻荘」という施設がある。その脇を散策路がさらに延びている。蘇鉄やフェニックスなどが植栽された林の中を縫うように散策路を辿ると、やがて岬突端部分の高所に設けられた展望所に着く。

展望所からの景観がとても美しい。眼下の斜面にはフェニックスが茂り、その葉の向こうに「七ツ八重」や大島などの大小の島々や名も知らぬ小さな岩礁が並ぶ。それらの島影は朝はシルエットになって浮かび、午後は日差しを照り返して紺碧の海原に光る。太陽が角度を変えてゆくにつれて、島々は色彩を鮮やかに変化させてさまざまな表情を見せる。夕暮れ時、残照を浴びて輝く姿は見とれてしまうほどの美しさだ。そこから右手に視線を移すと、入り組んだ海岸線のシルエットが逆光に映える。左手に目を転じれば、油津港や大節鼻の景観も望める。その中を、ときおり白い航跡を描いて小船が行き交う。展望所の縁に腰を下ろしてそれらの風景を眺めていると、のどかで穏やかな気分になって時の経つのを忘れる。

展望所の一角には木造の展望台が造られ、そこに上がるとさらに高みからの景観を楽しむことができる。ほんの数メートル、視点が高くなっただけなのだが、そこからの眺めはまた表情が変わって味わいも違う。眼前に広がる海と展望所とを一望する眺めは雄大な感じがして楽しい。
猪崎鼻
猪崎鼻
猪崎鼻
展望所の脇から北側の林の中を降りてゆく小径がある。急な斜面を辿って降りてゆくと、右手には磯辺に降りる階段が設けてあり、左手には丘に囲まれて広場がある。広場には「猪崎鼻荘」の手前からも小径を辿って降りてくることができる。広場の北側の小高くなった場所はキャンプ場になっており、必要事項を用紙に書き込みさえすれば基本的に誰でも無料で利用できるとのことだ。トイレや炊事棟は設けられているものの、管理事務所などはなく、もちろんテントをはじめとするキャンプ用品の貸し出しなどはいっさいない。手軽にキャンプを楽しみたい人には不向きだろうと思うが、それなりに利用者は多いという。車でキャンプサイトまで直接降りてくることができるため、愛好家の間では便利なキャンプ場として知られているようだ。
猪崎鼻
広場の端に磯辺に降りてゆく石段が設けられている。磯辺に降りると、打ち寄せる波の向こうに島々の姿が見える。高所からの展望も美しいものだが、こうして磯辺から海面近くに見る景観もまた別の味わいがある。磯辺は昔は家族連れなどが訪れて磯遊びを楽しんだものだが、磯辺は足場が悪く、高波や落石の危険もあるため、現在は不用意に立ち入らないようにとの注意喚起がなされている。
猪崎鼻
猪崎鼻
猪崎鼻
この磯辺は高さ10〜20mの急峻な海食崖を背負っているのだが、その崖に特徴的な地層を見ることができる。「猪崎鼻の堆積構造」として国の天然記念物に指定されているものだ。磯辺に降りる石段脇に簡単な解説を記した案内板が設置されている。それによれば、猪崎鼻一帯の地層はかつては海底で、崖の地層は4000万年〜2200万年前に海底で発生した大規模な地滑りによって堆積したものであるという。猪崎鼻周辺では特徴的な堆積構造が多数見られ、多種多様な生痕化石も発見されており、学術的にも貴重な場所なのだという。興味のある人はぜい見ておこう。

猪崎鼻
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猪崎鼻には、かつて「日南海岸ユースホステル」があった。ユースホステルはドイツが発祥の宿泊施設で、日本に導入されたのは1950年代のことであるという。ひとり旅でも気軽に泊まれ、安価なこともあって、特に若者の支持を集めた。部屋は基本的に相部屋で、男女は別棟、消灯はたいてい十時だった。食事が終わると宿泊者の全員で手分けして後かたづけをしたり、その後は「ミーティング」と称して皆でゲームに興じたりと、普通の宿泊施設とは性格の異なる点も多かった。利用するにはまず「会員」にならなくてはならず、飲酒も禁止されているのが普通だった。

いろいろと制約の多いシステムではあったのだが、旅先でさまざまな人々と知り合うチャンスは通常の宿泊施設より格段に多く、ユースホステルで知り合った相手と以後も交流が続いたり、それが縁で結婚するカップルさえ珍しくはなかった。そうした出会いを旅に求める若者にとってユースホステルはこの上なく楽しいものではあったのだが、しかしやがて時代が移って世相も変わり、若者の意識も変化してゆくと、ユースホステルのそうしたシステムが敬遠されはじめ、利用者は減少の一途を辿る。日本でのユースホステルの利用者がピークを迎えたのは、1970年代なかばの頃だったという。

1970年代当時、日南海岸が「新婚旅行ブーム」に湧いた時代の余韻も残っており、観光地としての「日南海岸」の知名度は高く、「日南海岸ユースホステル」も人気の高いユースホステルのひとつだった。南に面した食堂から見下ろす大堂津の入江の景観も美しく、夕暮れに染まる景色を眺めながらの夕食のひとときはユースホステル愛好者の間でも評判になっていたものだった。ここに連泊して、間の一日は大堂津海水浴場でのんびり過ごすというグループも少なくなかった。夕方近くになると、到着した日南線を大堂津駅で降りた若者のグループがユースホステルを目指してのんびりと歩いてゆく姿をよく見かけたものだった。

ユースホステルというシステム自体が斜陽の時代を迎えて以来、利用者が減少してゆく傾向は止まらず、各地でユースホステルの閉鎖が見られるようになった。「日南海岸ユースホステル」もそうしたもののひとつだった。利用者の減少と施設の老朽化を理由に、1999年についに閉鎖を迎えたのだった。県営だったユースホステルの建物はそのまま無償で日南市へ譲渡され、日南市は日南市観光協会を運営主体として新たな宿泊施設として再生させることを計画した。建物は5000万円ほどの費用をかけて改装、新しい施設は10の客室とレストランを備えた民宿的味わいのある宿へと姿を変えた。「日南海岸 旅の宿 猪崎鼻荘」だ。オープンは2000年春のことだった。猪崎鼻荘は格安の宿泊料金に加え、新鮮な海の幸が味わえるとあってなかなかの人気だったそうだが、やはり利用者の絶対数は少なく、経営的には苦しかったようだ。2005年3月、日南市観光協会は猪崎鼻荘の経営から撤退、現在は日南市内の民間業者が食事のみを提供する「創作和食」の店として引き継ぎ、なかなか評判が良いようだ。
猪崎鼻
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猪崎鼻の展望所でのんびりと風に吹かれながら時を過ごすのはよいものだが、猪崎鼻には売店などは無く、ちょっとお茶を飲むにも予め町中で調達して準備しておかなくてはならない。日南海岸の中でも屈指の景観を誇りながら立ち寄る観光客の姿が少ないのは、そうしたところにも理由があるのかもしれない。コーヒーやサンドイッチなどを販売するスタンドがあったなら、観光地としての猪崎鼻の印象もずいぶんと違って、訪れた人にも便利になるのではないかとも思えるのだが、やはり採算的には無理だろうか。

猪崎鼻の展望所からの景観の素晴らしさを知る立場として、その知名度が決して高いとは言えない現状はあまりに淋しい。車を使って日南海岸観光に訪れた人には、国道から逸れて猪崎鼻に立ち寄り、その美しい景色を見ながらひと休みすることをお勧めしたい。その際には、飲み物と軽食などを用意しておくと、さらに楽しめるだろう。
猪崎鼻
INFORMATION
猪崎鼻
【所】 日南市大字隈谷甲
【問】日南市観光協会
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南海岸風景」カテゴリーのコンテンツです。
ページ内の写真は2002年夏、2018年夏、2019年夏に撮影したものです。本文は2021年2月に改稿しました。