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八王子市元八王子町
八王子城跡
Visited in September 2021
八王子城跡
八王子市元八王子町の西部に、かつて北条氏照が築いた山城跡がある。「日本100名城」のひとつにも選出された八王子城の城跡である。八王子城跡は1990年(平成2年)に御主殿跡の石垣や石畳、古道などが整備され、気軽に訪れることができるようになっている。城跡入口付近には八王子城跡ガイダンス施設が建てられており、八王子城や北条氏の歴史などを簡単に学ぶこともできる。豊かな自然に包まれて遠い歴史のひとこまに思いを馳せるのは楽しいひとときである。
八王子城跡
北条氏照は小田原北条氏の三代目である氏康の三男として生まれた。武蔵国守護であった大石氏の養子となり、1500年代半ばには滝山城を築いて拠点とする。滝山城は甲斐の武田信玄や越後の長尾景虎(上杉謙信)に対する関東の防御拠点だった。1569年(永禄12年)、小田原攻略へ向かう武田信玄が滝山城を攻める。世に言う「滝山合戦」である。滝山城は辛くも落城を免れたものの、かなりの苦戦を強いられた。それが教訓となったのか、その後、氏照は滝山城を廃止、八王子城を築くのである。

八王子城がいつ頃築城されたのか、はっきりとはわかっていないらしい。1584〜1590年(天正12〜15年)の頃に滝山城から八王子城に移ったという説が有力だという。しかし1590年(天正18年)6月23日、前田利家と上杉景勝が率いる軍に攻められて八王子城は落城する。豊臣秀吉の小田原征伐の一環である。この時、氏照は小田原城に籠城していたが、八王子城の落城が決め手となったのか、小田原城は豊臣軍の前に開城、氏照は兄の氏政と共に切腹、小田原北条氏は敗北するのである。

八王子城周辺は江戸時代は幕府の直轄地、明治になってからは国有林となっていたという。そのために人の手が入らず、特に御主殿周辺の遺構は良好な形で残っていた。その御主殿周辺の石垣や虎口、古道などが1990年(平成2年)に整備されて現在に至っている。2006年(平成18年)には日本城郭協会によって「日本100名城」のひとつに選出されている。
八王子城跡
八王子城跡を訪れると、まず出迎えてくれるのは八王子城跡ガイダンス施設だ。八王子城についての解説展示がパネルや動画などによって行われており、八王子城の歴史や城跡の概要について知ることができる。八王子城について予備知識の無い人は、まずここで少し学んでおこう。

休憩スペースなども併設されており(もちろんトイレもある)、ドリンクの自動販売機なども設置されているから城跡散策の後の一休みにも便利だ。
八王子城跡
八王子城跡ガイダンス施設の奥(西側)には駐車場を挟んで「エントランス広場」と名付けられた広場が設けられている。平坦な草はらの広場で、一般的な公園の広場のようなスペースだ。ピクニック感覚でお弁当を広げるのに好適な場所かもしれない。

中央部の四阿の中には八王子城跡のジオラマが置かれている。城跡散策の前にジオラマを見ておくと、地形への理解が深まるだろう。
八王子城跡
「エントランス広場」の西側、道路を挟んで管理棟が置かれている。「エントランス広場」と管理棟との間の道を辿れば本丸跡のある深沢山へ登っていける。管理棟横から城山川に沿って奥(西)へ辿れば御主殿跡である。

御主殿跡へは城山川の左岸側の道を辿って行くこともできるが、橋を渡って整備された古道を辿ってみるのがお勧めだ。橋を渡ってすぐのところにはちょっとした広場のような場所があるが、ここはかつての大手門跡であるらしい。1988年(昭和63年)の確認調査で存在が明らかになったという。いわゆる「薬医門」と呼ばれる形状の門だと考えられるという。
八王子城跡
大手門跡から城山川の右岸側を小径が辿っている。かつての大手道跡を整備したものという。斜面に平坦部が連続していており、門跡や橋台石垣が見つかったことから御主殿に続く大手道だったことがわかったのだという。

現在は散策路として整備されており、道幅にも余裕があり、路面も平坦で歩きやすい。周囲には鬱蒼と木々の茂り、ちょっとした森林浴気分だ。御主殿へ向かう戦国武者になった気分で歩いてみるのも一興だろう。
八王子城跡
大手道跡を奥まで進むと、木造の橋が城山川を跨いでいる。この橋も古道跡と共に1990年(平成2年)に整備されたものだ。この橋の風景は今では八王子城跡の象徴のような風景になっている。

橋はかつての光景を彷彿とさせる意匠で造られているが、橋台部分が残っていただけのため、実際にどのような構造の橋が架かっていたのかは不明だという。おそらくは容易に壊すことのできる簡素な曳橋が架けられて敵の侵入に備えたものだったろう。
八王子城跡
橋を渡った先には虎口が設けられている。虎口とは城や曲輪への出入口のことで、防御のために折れ曲がった構造になっているのが通常だ。八王子城の虎口は橋から御主殿まで高低差9m、コの字形に折れ曲がった階段通路だ。階段は全体で25段、蹴上が36cmという。

橋の袂から虎口にかけて通路脇の壁面が石積みになっているが、400年間崩れずに残っていた部分もあるという。現地にはどの部分が往時のままなのかを説明するパネルも設置されている。ぜひ築城当時の石組みを見ておこう。
八王子城跡
虎口を登った先は御主殿跡だ。八王子城の中心部で、北条氏照の居館が設けられていた。過去の発掘調査により、主殿や会所と推定される建物跡や池を設けた庭園、敷石通路、水路などの遺構が見つかった。戦国時代の山城であり、豊臣軍に攻められて落城したという歴史から、戦に備えた要塞のような城をイメージしてしまうが、実際にはなかなか風雅な暮らしぶりだったようである。

今は保存のために盛り土を施し、その上にそれぞれの遺構が再現して表示されている。現在は何も無い広場だが、なかなかの広さがあり、かつての城主の居館の規模がわかる。遺構を巡りながら往時の姿を想像してみるのも楽しいひとときだ。
八王子城跡
御主殿跡の広場から南側に降りると城山川に「御主殿の滝」と呼ばれる滝がある。1590年(天正18年)の落城の際、御主殿にいた女性や子ども、将兵たちが滝の上で自刃して身を投じ、その血で城山川の水が三日三晩赤く染まったという伝説に残る、あの滝である。

実際に見る滝は伝説から想像するよりずっと小さい。かつての悲劇もすでに歴史の彼方、今は木々に包まれて水音が響くだけである。
八王子城跡
帰り道もまた古道を辿ってもいいが、城山川の左岸側に沿った小径を歩いてみるのもいい。この道は江戸時代に造られた林道らしい。現在の道はけっこう広く平坦で歩きやすい。この辺りは城山川の上流端だ。“川”というより、山間の渓流という趣である。道はずっと城山川に沿っており、河原に降りることのできる場所もある。城山川の景観を楽しみながら、のんびりと帰り道を辿ろう。
八王子城跡
八王子城跡は城マニアや戦国ファンなら一度は訪ねてみるべきところだが、特に歴史に興味がなくても楽しめる。街の喧噪を離れて静かなひとときを過ごすことができる。お弁当を持ってピクニック気分で訪れるのも楽しい。駐車場も用意されているから気軽に訪ねることができるのも嬉しい。時間と体力に余裕があれば、さらに深沢山の本丸を目指すのもいい。
八王子城跡