横浜線沿線散歩街角散歩
相模原市田名
初秋の望地河原
September 2007
初秋の望地河原
相模原市田名の南部、相模川の河岸にひっそりと水田地帯が横たわっている。「望地河原」と通称する河岸の低地で、その西端部分には望地弁財天が鎮座し、隣接して望地弁天キャンプ場が置かれている。通り抜ける道路もないために普段は人の姿もないが、春の田植えの時期から秋の稲刈りの時期にかけては農作業の人たちの姿を見る。稲も実ってそろそろ刈り取りの頃となった九月の下旬、「望地河原」を訪ねた。
「望地河原」は南側を相模川が流れ、北側は河岸段丘の崖が囲み、河畔に細長く伸びた低地だ。古い時代には相模川のまさに「河原」だったのだろう。江戸時代末期の安政年間(1854〜1859年)、飢饉のときに中島万平という若者が隧道を掘って相模川の水を引き入れ、農地として開墾した。これが「望地河原」の水田地帯の始まりであるらしい。中島万平が掘った隧道の後は「万平穴」と呼ばれる史跡になっており、弁財天西側にその碑が建てられている。中島万平が開墾した農地も、しかし洪水によって水泡に帰してしまったという。その後も「望地河原」は幾たびかの洪水に晒され、現在の形になったのは1954年(昭和29年)のことだ。

初秋の望地河原

初秋の望地河原

初秋の望地河原

初秋の望地河原

初秋の望地河原

初秋の望地河原
今も「望地河原」はそのほとんどが水田として耕作されており、田植えの時期から稲刈りの頃まで、美しい「農」の風景を見せてくれる。今回訪れたのは九月の下旬、稲はすっかり黄金に実り、秋の日差しを受けて輝いている。河岸の堤防道から見渡すと、黄金色の水田が広がる向こうには河岸段丘の崖面に茂る木々の緑が連なり、その上に真っ青な秋空が広がる。その色彩のコントラストがたいへんに美しい。すでに稲刈りの終わっている水田も多かったが、架け干しされた稲の姿にも風情がある。数はそれほど多くないがところどころで彼岸花が咲いており、真っ赤な花が風景の中にアクセントを添えてくれていた。

北側の河岸段丘下には崖線に沿って用水路が流れている。用水路は自然の小川を彷彿とさせる様相で、その流れを覆うように崖の木々が間近に茂っている。水路には小径が沿っているから、のんびりと歩いてみるのも楽しい。今回訪れたときには水が濁っていたが、澄んでいればきっと美しい景観を見せてくれることだろう。

「望地河原」の西端部分には望地弁財天が鎮座している。祀られている弁財天はもともとは藤沢の江島神社に祀られていたものらしいが、明治期の廃仏毀釈の難を逃れ、紆余曲折を経てこの地に養蚕鎮守として迎えられたものという。その時の社殿は洪水によって流失、現在の社殿は、これも1954年(昭和29年)、「望地河原」の水田が整備されたときに再建されたものだ。もともとは養蚕鎮守だった弁財天だが、今は「望地河原」の水田を見守るように建っている。

弁財天の傍らには河岸に望地弁天キャンプ場が設けられており、春は桜が咲き、美しい景観を見せてくれる。キャンプ場近くにはコスモス畑が設けられていた。春には菜の花畑だったところのようだ。「相模原市みどりの協会」が助成しているものらしい。休耕地を有効利用したものなのだろう。風に揺れる色とりどりのコスモスが美しい。

「望地河原」の東側の河岸段丘上には田名向原遺跡という後期旧石器時代の遺跡があり、周辺が「史跡田名向原遺跡公園」として整備されている。「望地河原」と遺跡公園とは直接通じる道が無いのが残念なところだが、「望地河原」を訪れた時には併せて訪ねてみたいところだ。「望地河原」から下流側へは堤防道は通じていないが、上流側へ向かえば「弁天とぶ」の脇を経て、高田橋から水郷田名方面へと至っている。水郷田名と併せて「望地河原」散策を楽しむのもいい。

「望地河原」は相模川と木々に囲まれた自然豊かなところだ。河岸段丘の上を間近に県道48号線が走っているが、車の音も届かずにとても静かだ。水田の中の道や崖下の小径を歩いたり、堤防道を風に吹かれて歩いたり、河原に降りてみたり、ゆったりと静かなひとときを過ごすことができる。堤防道の木陰にシートを広げてランチタイムというのも素敵だ。
「望地河原」の、河岸に広がる水田の風景は美しく、そうした風景を好きな人にはお勧めのところだと言えるだろう。県道48号線から「望地河原」へ降りる道はいくつかあるが、いずれも狭く、入口がわかりにくいのが難点だ。しかし、かえってそのために降りてくる人の姿が少なく、静けさが保たれているのかもしれない。「望地河原」の散策を楽しむ際には農作業の邪魔にならないよう、くれぐれも注意して欲しい。
初秋の望地河原