横浜線沿線散歩街角散歩
町田市相原町〜相模原市橋本〜町田市小山町
境川河畔
(相原〜橋本〜小山町)
October 2007
境川
境川の河岸を歩こうと思い、よく晴れた十月末、相原駅に降りた。この付近では境川は大きく蛇行しながら流れている。こうした「蛇行する川」は、東京近郊では珍しくなってしまった。その「蛇行する川」の表情を楽しんでみたい。今回は相原駅近くから下流側に向かい、京王線の多摩境駅を目指して歩くことにしたい。
相原駅舎
もしかしたら、相原駅が新しい駅舎になってから初めて降りるかもしれない。旧駅舎時代に訪れたのは2000年の9月だった。あれから7年が経っている。早いものだ。そんなことを思いながら橋上駅舎の改札を抜けた。今では立派な駅舎になった相原駅を東口に出る。薄い茶色の新駅舎は緑濃い周囲の景観に溶け込むようにとの配慮からだろうか。ずいぶんと立派な駅舎になったと、まるで地方の鉄道の駅のようだった旧駅舎のことを思い出す。あの旧駅舎も人々の記憶の中からやがて少しずつ薄れてゆくのだろう。時の流れというものに思いを馳せながら相原駅を後にした。
橋
相原駅東口から南へ進むと町田街道だ。「相原駅入口」という交差点を成している。すぐ横に町田街道を横切る横浜線の踏切がある。「大戸踏切」という。信号が変わるのを待って町田街道を横切り、「相原駅入口」交差点から南へと、細い道へ入り込む。車一台がようやく通れるほどの幅の道だが、ときおり地元の人の車が通り抜ける。その道を少し進むとすぐに境川に架かる橋がある。古そうな細い橋で、石の欄干の上に金属製のフェンスが継ぎ足されている。橋を渡ると相模原市元橋本町だ。境川は武蔵と相模との境だったことからその名があるわけだが、現在も市境となっており、この辺りでは町田市と相模原市との境を成している。

蛇行して流れる境川
境川の右岸、すなわち相模原市側に、川に沿って延びる河岸の道がある。地図で確かめると、行き止まりになることなく下流側へと辿って行くことができそうだ。この道を進んでゆこう。境川は蛇行しながら流れ、したがって河岸の道も曲がりながら続いている。河岸には木々が茂り、竹林があり、鬱蒼とした中を川が流れている。河畔は基本的には住宅地だが、その中に畑地もあり、昔の姿を偲ばせる。途中、小さな橋が架かっている。細い橋で、これも古そうだ。この橋にも低い欄干の上に金属製のフェンスが継ぎ足されている。

境川を越える八王子バイパス
やがて八王子バイパスに近づく。巨大な橋梁が境川と町田街道を一跨ぎにして北方の丘へと延びてゆく。車でバイパスを走るときにはこれといった感慨もないが、こうして下から見上げると畏怖すべき光景のようにも思えるのが不思議だ。八王子バイパスをくぐってさらに東へ進もう。バイパスの東側では境川は木々に包まれ、河岸に沿った道はないようだ。道の南側は住宅地で、北側には畑が横たわり、その畑の向こうの木々に埋もれるようにして境川が流れている。進んでゆくと国道16号線に出る。国道16号線では橋の架け替え工事中なのだろうか、仮設橋を造っているところのように見えた。
横町橋横の稲荷社
国道16号を渡ると、境川の右岸に沿った道はないようだ。左岸側の道を進んでゆくことにしよう。これも川に沿っているわけではなく、住宅の並ぶ中を延びている。少し進んで南側へ入り込む小径があった。河岸に出ることができるかもしれないと思い、この小径に歩を進めると、境川が大きく蛇行するところへと出た。横町橋という橋が架かっている。横町橋は車両の通行はできないようだ。橋の袂、右岸側に小さな稲荷社があり、その傍らに大きなカエデの木が二本立っている。カエデはそろそろ紅葉の季節を迎えようとしている。住宅地の中にぽっかりと長閑な風景が残ったような場所で、このような場所を見つけるとなぜか嬉しくなってしまう。

河岸の舗道
大きく蛇行する境川の左岸側、すなわち町田市側の河岸には木造の柵を模したフェンスが設けられ、遊歩道のように整備されている。この河岸の舗道を下流側へと辿って行こう。河岸には木々が茂り、境川は緑の中を流れてゆく。途中、河岸の舗道から河原へと降りて行けるように造られた場所もある。河原に降りて水辺を間近に見るのも楽しい。河岸の舗道を歩いてゆくとやがて舗道は広くなり、車両の通行も可能な道になり、さらに未舗装の舗道だったものが舗装路へと姿を変える。河岸には昔からの農家らしい家も点在し、中には今も牛を飼っている農家があった。

小山町三ツ目広場
さらに進み、河岸の道がまた未舗装路になると寿橋が近い。橋本駅北口から真っ直ぐに北へ延びてきた道路が寿橋で境川を越え、「久保ヶ谷戸」交差点で町田街道と交差する。寿橋の袂、左岸側は「小山町三ツ目広場」という小公園になっている。橋の上流側は水辺近くまで降りてゆくことのできる親水広場のように造られ、河岸は木々が茂った緑地になっている。橋の下流側には広場があり、その双方で「小山町三ツ目広場」を成しているようだ。この辺りから、境川はほぼ真っ直ぐに流れてゆく。さきほどの稲荷社のあった横町橋近くの大きな蛇行が、最下流部の蛇行だったようだ。地図を見ると市境はまだ曲がりくねったままだ。境川の改修に併せて市境も変更されているところが少なくないが、この辺りはまだ昔の市境のままなのだろう。

宮上小学校前付近
寿橋からさらに下流側に辿ろう。ほぼまっすぐに延びる境川の左岸に沿った道を歩こう。対岸に宮上小学校が見える辺り、左岸側、右岸側ともに河原に降りて行けるようなスロープが設けられている。かつての蛇行の跡を利用したものだろう。境川は護岸工事が施されているが、河原は自然の川を思わせるように土砂が堆積し、木々や草が茂っている。以前、この河原で水に入って遊ぶ子どもたちの姿を見たことがあった。宮上小学校の子どもたちだったのかもしれない。
宝泉寺
やがて小山橋、北には町田街道が近く、「三ツ目」交差点に出る。この交差点の北方に宝泉寺という寺がある。宝泉寺には町田市指定有形文化財の十六羅漢図や、これも町田市指定有形文化財の木造釈迦如来座像がある。十六羅漢図は幕末の頃に町田市小山町、当時の小山村に住んでいた絵師、嶋崎旦良が描き、菩提寺である宝泉寺に納めたものという。嶋崎旦良は駿河台狩野家四代目、洞春美信に絵を学んだという。木造釈迦如来座像は当時の本山であった鎌倉の建長寺の僧侶、廣智禅師が1359年(延文4年)に寄進したものという。そうしたことは宝泉寺入口横に町田市教育委員会が設置した解説板に記されている。興味のある人は目を通しておくといい。
境川
再び境川の河岸に戻って下流側へと進もう。左岸側の舗道を歩く。舗道は未舗装の道で、川側のフェンス脇にはコスモスが咲いている。河岸には「三ツ目東公園」、「田端ふれあい広場」といった小公園が点在している。蓬莱橋を過ぎ、川面の鴨などを眺めながら進んでゆくと、河岸に大きな柳の木があった。目の前にはそろそろ京王線の線路が見えてくる。この辺りで町田街道に出る。町田街道と多摩ニュータウン通りとの交差点が近い。
田端遺跡
そろそろ境川河岸から離れて多摩境駅を目指そう。多摩ニュータウン通りの西側の歩道を多摩境駅方面へと向かう。道は緩やかな上り坂だ。町田街道との交差点から二百メートルほど進むと、多摩ニュータウン通りの西側に「田端遺跡」がある。東京都の史跡に指定されているもので、正式には「町田市田端環状積石遺構(たばたかんじょうつみいしいこう)」と呼ばれるもののようだ。設置されている解説板によれば、縄文時代後期中頃から晩期中頃(約3,500〜2.800年前)に連続的に構築された遺構であるという。東西に約9メートル、南北に約7メートルの楕円形に大小の自然礫を積み上げたもので、土器や土偶、玉類、耳飾など、さまざまな遺物が発見されたという。宗教的な場として使われていたものらしい。現在は遺構は盛り土保存が行われ、複製が展示されている。こうした遺跡に興味のある人ならぜひ見ておきたいところだ。
小山白山公園
田端遺跡の北東側には小山白山公園がある。斜面を利用して造られた公園で、広場を中心に構成されている。公園内にはあまり人の姿はないが、遊具の置かれた一角で小さな子どもを遊ばせるお母さんたちの姿があった。公園内を通り抜けて公園北側の道路へ出る。この道路は多摩境通りから南側へと逸れてきた道路で、多摩ニュータウン通りを跨いで多摩境駅前へと至っている。この道路を東へ辿ればすぐに多摩境駅だ。多摩境駅を利用するのは初めてだ。ここから橋本へ向かい、横浜線へと乗り換えて帰路を辿ることにしよう。
境川は、国道16号の辺りまでは蛇行しながら流れているが、そこから下流側は改修工事が施されてほぼまっすぐな流れに姿を変えている。蛇行の残る上流側もやがて改修工事が行われるのだろうか。今の姿を保っているうちに歩いておきたいと思ってしまう。
境川