幻想音楽夜話
Tubular Bells / Mike Oldfield
1.Tubular Bells (Part I)
2.Tubular Bells (Part II)

Composed by Mike Oldfield exept The Salor's Hornpipe which is a Traditional Arrangement: Mike Oldfield
Produced by Mike Oldfield, Simon Heyworth and Tom Newman.
1973 Virgin Records Ltd.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 マイク・オールドフィールドというアーティストと、彼の最初の作品「チューブラー・ベルズ」を知ったきっかけは、やはり映画「エクソシスト」のテーマ音楽だった。当時、そのようにして彼と彼の音楽を知った音楽ファンは少なくなかっただろう。「エクソシスト」という映画自体にはそれほど興味はなかったのだが、そのテーマとしてラジオなどから聞こえてくる音楽には何故か惹きつけられるものがあった。単調な繰り返しの中から浮かび上がってくる印象的なメロディ、繊細な演奏の中に漂う何やら予兆めいた雰囲気、それまでのいわゆる「映画音楽」というものとはどこか異質な匂いを感じさせてくれたものだったように思う。

 何かのラジオ番組を聞いていたときだったか、この「エクソシスト」のテーマ音楽の「元」になった音楽が話題となり、本来は「チューブラー・ベルズ」という壮大な音楽作品であり、「エクソシスト」のテーマ曲はその冒頭部分の一部を編集したものに過ぎないのだということを知った。どうやら若い英国人ミュージシャンがひとりでさまざまな楽器を駆使し、長い期間を費やして制作した音楽作品であるらしい。「プログレッシヴ・ロック」の範疇と考えられなくもないが、EL&Pやイエスなどといった「一般的な」プログレッシヴ・ロックの音楽とは異質なものであるらしかった。「チューブラー・ベルズ」という音楽作品に対する興味は一気に増した。何やら確信めいたものを感じて、地元のレコード・ショップに注文して取り寄せてもらったことを憶えている。

 「チューブラー・ベルズ」のレコードに針を下ろし、初めて全編を聴き通したときの衝撃は大きなものだった。それまで聞き知っていたどのような音楽とも違っていた。何度も何度も繰り返し聴き、趣味を同じくしていた友人宅に持参して一緒に聴き、ふたりでこの音楽への賛辞を語りあったものだった。以来、「チューブラー・ベルズ」という音楽作品は個人的にも特別のものになり、マイク・オールドフィールドというミュージシャン/アーティストは敬愛すべき音楽家として忘れられないものになった。

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 マイク・オールドフィールドは1953年に生まれ、まだ「子ども」と呼んでもいい年齢の頃から姉サリーの影響もあって音楽活動を始めたらしい。十代半ばの頃には姉とフォーク・デュオ「サリアンジー」を結成、レコーディングも行っている。自身のバンドを結成したこともあったようだが長くは続かず、十代後半の頃にはセッション・ミュージシャンとして活動しつつ、自らの音楽的アイデアを温めていたようだ。その頃にケヴィン・エアーズのバンドに加入し、デヴィッド・ベッドフォードとも知り合っている。

 やがて縁があって彼はマナー・スタジオのエンジニアであったサイモン・ヘイワースとトム・ニューマンに出会い、チャンスを掴むことになる。マナー・スタジオは古い領主の館だったものをヴァージン・レコードのリチャード・ブランソンが購入し、スタジオとして改造したものだった。リチャード・ブランソンはレコードの小売業からさらに飛躍を目指して自身のレーベルを興そうとしていた頃だった。マイクのデモ・テープを聴いて彼の音楽に興味を持ったサイモン・ヘイワースとトム・ニューマンは、このマナー・スタジオを借りて録音を開始する。録音は1972年の秋から1973年の春にかけて行われ、マイク・オールドフィールドはギターやキーボードなど、26種類にも及ぶ楽器類を操り、多重録音を重ねた壮大なインストゥルメンタル・ミュージックが完成する。最終的に「チューブラー・ベルズ」と名付けられ、この音楽作品は発足したばかりのヴァージン・レコードの第一弾リリースの一枚として発売されることになる。1973年5月のことだ。

 リリースされた直後は一部のマニアックなファンに支持されたにとどまっていたようだが、やがてその一部が映画「エクソシスト」のテーマ音楽として使用され、一般への認知度が上がると事情が変わる。この編集されたシングル盤はアメリカでは1974年の春にチャートのトップ10に入るヒットとなり、日本では1974年の秋に「エクソシストのテーマ」として大ヒットとなる。シングルのヒットに後押しされてアルバムのセールスも好調となり、「チューブラー・ベルズ」はロングセラーとなって成功を収めるのだが、このアルバムの成功が出発したばかりのヴァージン・レコードの成功に大きく貢献したことは言うまでもない。

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 映画「エクソシスト」のテーマ音楽として使用され、そこからアルバム作品としての「チューブラー・ベルズ」を知ったファンは少なくなかっただろう。そうして「チューブラー・ベルズ」を耳にした音楽ファンは、映画「エクソシスト」のイメージと「チューブラー・ベルズ」という音楽作品のもたらすイメージがあまりに違っていることに半ば驚き、その認識を新たにしたのではないかと思う。少女に取り憑いた悪魔との壮絶な闘いを描いた映画「エクソシスト」の、怖ろしくおどろおどろしいイメージは、「チューブラー・ベルズ」という音楽作品には微塵もない。むしろその音楽のイメージは穏やかな安らぎに満ちたものだった。この作品によって「チューブラー・ベルズ」という音楽作品とマイク・オールドフィールドというアーティストに心惹かれた人々の中には、この音楽が映画「エクソシスト」に使用されたことによって未聴の人々に対して間違った先入観をもたらしてしまったことを惜しむ人も少なくなかった。

 映画「エクソシスト」に使用されたことで知名度が増し、商業的成功を手に入れたことは確かに喜ばしいことであるだろう。「チューブラー・ベルズ」の成功がなかったら、マイク・オールドフィールドというアーティストとヴァージン・レコードという企業の未来も少しばかり違ったものになっていたかもしれない。このような音楽が商業的に成功したことについては、やはり「話題作」として注目を集めたことに起因する部分もあっただろう。それもまた「良し」としよう。自分もまたそうした話題の中から「チューブラー・ベルズ」との出会いの機会を得たのだから。

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 「チューブラー・ベルズ」は一般的なポップ・ミュージックの尺度で言えば、やはり難解な音楽と言っても差し支えないのではないだろうか。音楽好きの人になら誰にでも、広く一般に支持され、受け入れられるようなタイプの音楽ではない。個人的な体験談で恐縮だが、「チューブラー・ベルズ」をジャズ好きの友人に聴かせたことがあった。まるで良さを理解できないらしかった。ハード・ロックを好む友人に聴かせたときなどには、聞き続けるのが苦痛でさえあるようだった。この音楽もまたやはり「聴き手を選ぶ」のではないか。

 マイク・オールドフィールドの音楽は「カンタベリー・ミュージック」の系譜の中に語られることが多い。ケヴィン・エアーズのバンドのメンバーだった経歴を持ち、そのあたりからカンタベリー系の人脈の中に位置するからだろう。音楽そのものにも共通項は少なくないが、やはり「カンタベリー・ミュージック」の本流とは少々異質な音楽であるという気がする。その先鋭性や前衛性、トラッド・ミュージックや現代音楽の影響を感じさせるあたりは「カンタベリー・ミュージック」と共通するものだが、英国特有のウィットやユーモアはあまり感じさせず、マイク・オールドフィールドの音楽にはさらにシリアスな感じがある。しかし当時一世を風靡した「プログレッシヴ・ロック」の主流、キング・クリムゾンやイエス、EL&P、ピンク・フロイドといったバンドたちの音楽と比べれば、マイク・オールドフィールドの音楽はかなり「カンタベリー・ミュージック」に寄っている。さらに言うなら、「カンタベリー・ミュージック」がそうであるように、マイク・オールドフィールドの音楽もまた、「ロック・ミュージック」とは異なる地平の上に存在する音楽だと言っていい。

 「チューブラー・ベルズ」を構成する基本的な部分は極めてシンプルで、難解さはまったく感じられない。メロディ自体もわかりやすく、使用される楽器群もそれほど特殊なものではない。全体の構成も何ら奇をてらったものではなく、決して前衛的な音楽を目指したものではない。同時期のジャーマン・エレクトロニクス・ミュージックなどと比べれば、「チューブラー・ベルズ」を構成する音楽的要素は遙かにオーソドックスで馴染みやすい。それにも関わらず、この音楽作品がある種の難解さを提示するのは、そのピュアでストイックな感触によるものである気がする。この音楽は「エンターテインメントとしての音楽」とは対極に近いところに在り、むしろ現代音楽に近いところに立脚点を置いているからではないのか。発表当時にもミニマル・ミュージックの影響などが語られたものだが、そうした現代音楽的な要素はデヴィッド・ベッドフォードの影響が少なくないのかもしれない。「チューブラー・ベルズ」の発表後、商業的にも成功へと向かっていた頃、この作品がクラシック音楽の分野でも評価されているという話題が聞かれたものだった。「チューブラー・ベルズ」は現代音楽である、と言い切るつもりはない。しかしこの作品を現代音楽の裾野の中に位置づけて考えることも、それほど的外れなことだとは言えないのではないか。

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 「チューブラー・ベルズ」は二部構成となっており、「Part I」は約25分、「Part II」は約23分、LP時代にはそれぞれがレコードのA面とB面に収録され、全体で50分ほどにもなる壮大な作品だ。「エクソシスト」のテーマ音楽として耳慣れた演奏部分から始まり、少しずつ表情を変えてゆきながら作品は紡がれてゆく。そう、まさに「紡がれてゆく」という表現が似つかわしいような気がする。この作品は、通常の音楽作品のように「作曲」され、「編曲」され、「演奏」されて作り上げられたものではなく、マイク・オールドフィールドというアーティストによって、まさに「紡ぎ出された」音楽であるような気がする。

 「Part I」の終盤ではグランド・ピアノから始まり、さまざまな楽器が入れ替わりながら旋律を奏でてゆく構成の部分がある。どことなく、ラベルの「ボレロ」に於ける、少しずつ使用楽器が増えてゆくときの興奮に似たものがある。そのクライマックスでは、作品名ともなった「チューブラー・ベルズ」が高らかに響き渡る。その瞬間の、心が一気に高みへと舞い上がるような感覚、一気に視界が開けてゆくような感覚には、目眩のような感動を覚える。この部分では使用楽器の名を告げるナレーションが収録されている。初めて聞いたときには、これに少しばかり戸惑いを覚えたものだが、何度も何度も聴き込むうちに、この「楽器の名を告げる声」さえ音楽の一部を成しているのだと思えるようになった。

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 「音宇宙」という言い方がある。その言葉の解釈、その言葉の指し示す概念というものは人それぞれに少しずつ異なっているとは思うが、「音宇宙」という言葉は概して「音楽が内包する宇宙」というような意味で用いられるのではないだろうか。決して「宇宙的なサウンド」とか「宇宙的な広がりを感じさせる音楽」というような意味合いではないような気がする。音楽がその聴き手に対して深遠で広大な心象風景を提示するとき、聴き手はあたかも目の前にひとつの世界が現出したかのような感覚を味わう。まるでその音楽がその中にひとつの世界を成し、その音楽を聴くことによってその世界を垣間見ているような気分になる。そのような感覚、そのような音楽に対して、「音宇宙」という言葉を用いているのではないだろうか。

 「チューブラー・ベルズ」という音楽もまた、ひとつの「音宇宙」を聴き手の前に現出する。それはそのままマイク・オールドフィールドというアーティストの内包する宇宙であり、彼が音楽を介して見せてくれる宇宙であるのだろう。この音楽は決して幻想的であったり、夢想的であったり、絵画的であったりはしない。その音像はむしろ聴き手に「映像的なもの」を喚起することを拒否しているようにさえ思える。それにも関わらず、我々はこの音楽の中にひとつの「世界」を垣間見る。その世界はどこか暖かく懐かしく、少し寂しげで、しかし穏やかな安らぎに満ちている。その音楽は決して映像的な心象を呼び起こしてくれるものではないが、しかしその旋律と楽器の響きはどこか古き佳き英国の風景を思い起こしてくれさえもする。その旋律も楽器の響きも、不思議な郷愁を漂わせて古い記憶を呼び覚ますような印象がある。シンプルな器楽演奏の、単調とも思える演奏の繰り返しの中から紡ぎ出されてゆく、静かな音楽的感動、そしてそれらが襞のように織り込まれて、やがて大きな感動を誘って音楽世界の地平を見せてくれる様には、知的なスリルを伴った興奮を覚える。

 この音楽は決して体感的な音楽ではない。どちらかと言えば感覚的で知的な音楽であるだろう。ある意味では難解な音楽だが、優しく穏やかな音像の印象は「イージー・リスニング」的に聞くことも許してしまう。実際、そのような聴き方をする人々も少なくなかったのだという。単なるBGMとして用いるには「もったいない」気もするが、逆説的に言えばあまりに気難しく真剣すぎる姿勢でこの音楽に対峙するならば、そのことで却ってこの音楽を難解にしてしまうのかもしれない。精緻な筆致で描かれた絵画のように繊細で複雑な表情を見せる音楽だが、視点を変えればいたってシンプルな音楽でもある。感性の扉を大きく開け放って、その旋律と楽器の響きに身を委ねていれば、この音楽の魅力がじっくりと染み入るように伝わってくるだろう。

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 「チューブラー・ベルズ」の制作にあたって、姉のサリーをはじめとする少数のミュージシャンが参加しているが、ほとんどの楽器をマイク自身が演奏し、その数は26種類に及ぶという。2000回とも2300回とも言われるオーバーダビングを繰り返したという録音過程はまったく想像を絶する。そのようなマイクの「表現者」、あるいは「創作者」としてのピュアでストイックな姿勢が音楽の佇まいに表れ、それがこの作品のピュアでストイックな透明感に繋がっているのだ。マイク・オールドフィールドは後年になって「チューブラー・ベルズII」、「チューブラー・ベルズIII」、「チューブラー・ベルズ2003」と題したニュー・ヴァージョンなども発表している。「チューブラー・ベルズ」はまるで彼のライフ・ワークであるかのようだ。彼の「出発点」であるこの作品は、彼にとってもやはり特別な意味を持つ作品であるのに違いない。まさに「名作」である。