幻想音楽夜話
Prism / Prism
1.Morning Light
2.Cycling
3.Dancing Moon
4.Love Me
5.Viking II (The adventure on Mars)
6.Tornado
7.Prism

Akira Wada : guitars and piano.
Katsutoshi Morizono : guitars.
Ken Watanabe : bass.
Koki "Corky" Ito : strings ensemble, organ, clavinet and synthesizer.
Toru "Rika" Suzuki : drums.
Daisaku Kume : electric piano.

All Titles Written by Akira Wada.
Produced by Tadataka Watanabe and Nobu Yoshinari.
Recorded at April-May 1977.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代も後半に差し掛かろうとしている頃だったか、音楽雑誌やラジオ番組などで「和田アキラという凄いテクニックのギタリストが率いるプリズムというバンドが東京近郊で話題になっている」というニュースを耳にするようになった。地方に暮らす身ではそのライヴに触れる機会にも恵まれず、いったいどのようなバンドなのかを知ることも簡単ではなかった。どうやらヴォーカリストのいない、器楽演奏のみのバンドで、その音楽は「ロック」ではないらしい、というところまでは、断片的にもたらされる情報から知っていった記憶がある。

 個人的にそのプリズムに注目せざるを得なかったのは、「ゴールデン・ピクニックス」発表後に四人囃子を脱退した森園勝敏がプリズムに参加するらしいという話を聞いたからだった。四人囃子の「一触即発」や「ゴールデン・ピクニックス」を愛聴し、特に森園のギター・プレイに惚れ込んでいた立場としては、森園の四人囃子脱退にずいぶんとがっかりさせられていたものだったが、それらのニュースを聞いて「それならば、森園についていってみようか」などという気になったのだった。

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 思えば、1970年代前半はどっぷりと「ロック」を聞き込んでいたのだったが、1970年代後半になって「ロック」を取り巻く状況が少しずつ変化してゆく気配を感じながら、聴き手である自分もどちらへ向かってゆけばよいのかわからないという状況になりつつあった。1973年前後におそらくピークを迎えていたのであろう「プリティッシュ・ロック」のバンドたちは、行き先を見失って迷走しているように見えた。センセーショナルな話題を振りまきながらシーンの最前面に登場した「パンク」も、個人的にはそれほどのめり込めるような対象ではないように感じていた。

 そしてまた自分にとってはちょうど音楽的嗜好の幅が広がりはじめ、その興味の対象が「ロック」の枠からはみ出そうとしていた時期だったのだろう。折しも1976年に発表された山下達郎の「サーカス・タウン」を聴いて大いに感動し、「ロックではない音楽」へのベクトルが自分の中で芽生えつつあったのも確かだ。そのような中でプリズムの評判と森園のプリズム参加の話題は「ロックではない音楽」への興味も手伝って大きな期待へと育っていったような気がする。

 プリズムのファースト・アルバムが発表されたのは1977年、記憶が定かではないが、夏頃のことだっただろうか。石積みの壁に空いた丸い穴から覗くように地中海沿岸を思わせる風景と翼を広げて飛ぶ鳥を見るという構図のジャケット・デザインも美しく、「PRISM」というそのバンド名の語感も手伝って、光に満ちた透明感溢れる音楽性を、演奏を聴く前から予感できるものだった。購入したLPレコードに針を下ろし、その演奏を聴いて新鮮な驚きを感じたのを覚えている。「世の中にこのような音楽があったのか」と。

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 プリズムの初期の音楽は、今では「フュージョン」という一言で形容されてしまうが、当時「フュージョン」はまだ明確な「ジャンル」として定着してはいなかったように思う。「フュージョン」の誕生についてはここで詳しく述べることはしないが、1976年から1978年にかけての、ちょうどこの頃が、後に「フュージョン」と呼ばれるようになるスタイルの音楽が続々と登場し、ジャズ・ファンのみならず一般の音楽ファンにまで受け入れられ始めていた時期だった。最も象徴的なのは1976年のジョージ・ベンソンの「ブリージン」の大ヒットだが、「ブリージン」は折しも「AOR」として人気を博していたマイケル・フランクスやボビー・コールドウェルなどとともに、その同じ土壌でも受け入れられていた気がする。同じく「フュージョン」時代の幕開けを告げるリー・リトナーの「ジェントル・ソウツ」や渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」がなどがそれまでジャズを聴いたことのない音楽ファンにまで裾野を広げて聴かれていたのもこの頃だった。それらの音楽と、それらと共通のスタイルを持つ音楽が、後に「フュージョン」の名の下にイメージを集約されて「ジャンル」として確立するのだ。

 ではプリズムのデビューもそうした「フュージョン時代」の到来の中で受け入れられたのかと言えば、必ずしもそうではないように思える。リー・リトナーにしてもジョージ・ベンソンにしても、もちろん渡辺貞夫も、基本的に「ジャズ」であり、その「ジャズ」の中での新しい潮流の誕生を示唆していたものだったが、プリズムの音楽は「ジャズ」の土壌から生まれたものではないように聞こえた。プリズムの音楽は多彩な表情を見せるが、その一部のものは「プログレッシヴ・ロック」の分野の中の技巧的な「ジャズ・ロック」を彷彿とさせる印象があった。プリズムの音楽は「ロック」ではないが、何となく「ロック」から派生した「ロック」とは別の新しい音楽であるような香りが漂っていたように思うのだ。プリズムのデビュー・アルバムは今でこそ日本に於ける初期フュージョンの作品として語られることも少なくないが、当時プリズムのデビューに関心を寄せたジャズ・ファンがどれだけいただろうか。そう多くはなかったような気がする。

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 それまでロックばかりを聴いていた立場でも、この時期にはジョージ・ベンソンやスパイロ・ジャイラやチャック・マンジョーネや渡辺貞夫らの新しい音楽が否応なく耳に飛び込んできた。それらの音楽も嫌いではなかったが、それらはあくまで「ジャズ」だった。しかしプリズムの音楽は何やら「ジャズ」とは違う匂いがした。和田アキラのエモーショナルなギター・プレイは「ジャズ・ギター」などではなく、「ロック・ギター」そのものだったのだ。しかしプリズムの音楽は「ロック」ではなかった。「ロック」を好んでいた立場からプリズムの音楽に接した身には、なかなか新鮮な音楽に聞こえたのだった。

 とは言うものの、「ロック」に慣れ親しんだ自分にとってプリズムの音楽がまったく未知の新しい音楽であったかと言うと、そうでもない。1975年に発表されたジェフ・ベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」や、続く1976年の「ワイヤード」などを夢中になって聴いていた身としては、ギターを中心にしたインストゥルメンタル・ミュージックはそれほど入り込みにくいものではなかった。そしてまた今から思えば、四人囃子の「ゴールデン・ピクニックス」に収録された「レディ・ヴァイオレッタ」に大きな感銘を受けていた身にとって、プリズムの音楽はその延長にあったものだった気がする。プリズムの音楽を初めて聴いた時の新鮮さは、敢えて言うなら、「レディ・ヴァイオレッタ」に惚れ込んで「森園についていった」先に扉を開かれた、新たな音楽の地平を見たことによるものだったような気がする。

 個人的な想いを別にしても、プリズムのデビュー・アルバムが当時の日本の音楽シーンに大きな衝撃を与えたことは事実だろう。特に和田アキラのギター・プレイが当時のロック/ポップ・シーンのギタリストたちに与えた影響は計り知れない。アマチュア・ギタリストたちの多くにとって、和田アキラのプレイはひとつの「教則本」的な意味合いさえあったのではないだろうか。ヴォーカル曲の伴奏としてのギターではなく、鋭いリフを刻む「ハード・ロック」のギターでもなく、もちろん「ジャズ」でもなく、そのギター・プレイは新たな音楽の解釈をもたらしたものだった気がする。和田アキラの演奏のみにばかり目が行きがちになってしまうが、実は他のメンバーの演奏も素晴らしく、こうしたバンド形態の音楽が「ロック」とも「ジャズ」とも異なる地平の上に結実したこと自体が当時はひとつの驚きだったと言ってもいい。この後、同じ方法論を採るバンド、いわばプリズム・フォロワーとでも言うべきバンドたちが日本の音楽シーンに登場したが、そうした意味でもプリズムの先駆的意味は大きい。

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 プリズムのこのデビュー・アルバムは、当時のLPレコードでは「Morning Light」から「Love Me」までの四曲をA面に収録して「ソフト・サイド」と称し、「Viking II」から「Prism」までの三曲をB面に収録して「ハード・サイド」と称していた。「ソフト」と「ハード」という、その形容が意味するように、両者は実に対照的に、それぞれにプリズムの音楽の魅力を具現化したものだった。軽快に、あるいは情感豊かに、心地よく聴きやすい「フュージョン・ミュージック」を提示する「ソフト・サイド」。それとはまるで別のバンドであるかのように、ハードでテクニカルで難解な「ジャズ・ロック」を展開する「ハード・サイド」。両者はあまりに隔たった音楽の感触を与えてはいたが、その両者がそれぞれに見せる圧倒的な完成度、さらにその表層的な違いを越えてその両者に共通する「プリズムの音楽」としての統一感は見事なものだった。

 衝撃的だったのは、やはり「ソフト・サイド」に於ける各楽曲の見せるそれぞれの表情とその完成度だっただろう。穏やかで安らかな表情が印象的な「Morning Light」は、まさに「朝の陽光」を感じさせる。軽快な「Cycling」は自転車に乗って風を切るような爽快感が心地よく、乗っている自転車の変速機を操作する様子までが演奏によって表現されていて楽しい。「Dancing Moon」は夜の情景だ。少し陽気で少しセンチメンタルな、更けてゆく宵のイメージだ。この楽曲はレコーディング前の練習中に作られたものなのだそうだ。「Love Me」もまた夜のイメージだ。切々とした恋心を情感豊かに表現している。ささやくような女性ヴォーカルが印象的だが、「UNIDENTIFIED LADY」としか記されてはいない。中ほどで聴かれるエモーショナルなギターが素晴らしい。

 「ハード・サイド」は「ソフト・サイド」から一転、たたみかけるような演奏の迫力が魅力だ。ハードでテクニカルな和田アキラのギター・プレイはアラン・ホールズワースなどの音楽をも連想させ、そうした「ジャズ・ロック」のファンの耳にも充分に応えてくれたものだったろう。「Viking II」は(The adventure on Mars)とあるように、1970年代当時に行われた火星探査計画に於ける火星探査機のことを楽曲のモチーフとしたものだろう。それが意味するように宇宙的な広がりを感じさせる楽曲だ。「Tornado」とは、北米で発生する大竜巻のことをいう言葉のようだが、まさに竜巻を連想するようなスピーディで迫力のある演奏だ。バンド名と同じ名の楽曲となる「Prism」は、敢えていえば当時のバンドの「テーマ曲」のような意味合いだったのだろうか。プリズムのハードな側面を象徴するような凝縮された演奏が痛快な楽曲だ。

 軽やかで心地よい「ソフト・サイド」と、緊張感に満ちて思索的な深さを漂わせた「ハード・サイド」。表層的な音楽の感触は異なってはいるが、その両者に共通する透明感に溢れた映像的な魅力はプリズムの音楽の最大の持ち味だっただろう。彼らの演奏のそうした魅力は、さまざまな映像の背景としてもよく似合い、テレビ番組のBGMなどによく使用されていた記憶がある。「プリズム」の名を知らぬままに、「Morning Light」や「Dancing Moon」の心地よさに耳を奪われた音楽ファンも少なくはなかったのではないだろうか。

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 「森園勝敏についていって」プリズムの音楽に触れた身ではあったが、このデビュー・アルバムを耳にしてすっかり和田アキラのギターに惚れ込み、プリズムの音楽に惚れ込んだ。森園勝敏はこの当時のプリズムの正式メンバーではあったようだが、このアルバム収録曲のすべてのレコーディングに参加しているわけではないようだ。森園は続くセカンド・アルバムにも名を連ねているが、やがてプリズムからも脱退、ソロによるフュージョン・アルバムへ活動の場を求めている。和田アキラもまた松岡直也のグループなどに活動の幅を広げ、プリズムに於いてはさらに深遠なジャズ・ロックの世界を追求していったように見える。

 思えば、カシオペアのデビュー・アルバムが発表されたのが1979年、まだジャズ色の強かったザ・スクエアのデビュー・アルバムの発表は1978年、当時一世を風靡した渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」が1978年の発表、いわばロック系のギター・フュージョンとして同系統とも言える高中正義のソロ・デビューは1976年だが、「Blue Lagoon」の大ヒットを生む「Jolly Jive」が発表されるのは1979年である。プリズムのデビュー・アルバムが発表されたのは、日本に於ける「フュージョン時代」の到来のまさに「前夜」の時期だった。

 個人的にも、自らの音楽的嗜好のベクトルを急激に「フュージョン」へと向かわせるに至った作品だった。プリズムを離れた森園の音楽にも抵抗無くついてゆくことができた。和田アキラのエモーショナルなギター・プレイを求めて松岡直也の音楽にも入り込んでゆき、そこからさらに新たな世界へと目を向けることができた。プリズムとの出会いは、そのような出会いだった。

 プリズムのデビュー・アルバムは、現在では「ロック」の分野でも「フュージョン」の分野でも「名作」として語られる機会は少ないように思える。ロック・ファンの耳にはあまりに「ジャズ」っぽいものであり、ジャズ・ファンの耳には「ロック」以外の何ものでもないように聞こえるのだろうか。そのために、いずれの分野でも高い評価を得にくいものであるのかもしれない。しかし、この作品は日本のポップ・ミュージック史上に残る名盤と言って差し支えない。珠玉の逸品である。