幻想音楽夜話
Suzi Quatro
1.48 Crash
2.Glycerine Queen
3.Shine My Machine
4.Official Suburban Superman
5.I Wanna Be Your Man
6.Primitive Love
7.Can The Can
8.All Shook Up
9.Sticks And Stones
10.Skin Tight Skin
11.Get Back Mamma
12.Rockin' Moonbeam
13.Shakin' All Over

Suzi Quatro : bass & lead vocals.
Len Tuckey : guitar, slide guitar & backing vocals.
Alastair McKenzie : electric piano, grand piano, mellotron & backing vocals.
Dave Neel : drums & backing vocals.

Produced by Mike Chapman & Nicky Chinn.
1973 EMI Records Ltd.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 スージー・クアトロという新人シンガーの日本でのデビュー曲「キャン・ザ・キャン」がラジオの音楽番組で紹介されたときのことを、なぜかよく憶えている。1973年の夏頃のことだったか。

 番組内でスージー・クアトロを紹介したコメンテーターが「パワフルな歌唱で聴かせる女性ロック・シンガーの登場」という点を強調していたのを懐かしく思い出す。現在の音楽シーンから見れば想像し難いが、当時のロック・シーンに女性シンガーというのは少なかった。すでに故人だったジャニス・ジョプリンやジェファーソン・エアプレインのグレイス・スリックなどがそうした女性ロック・シンガーの筆頭に挙げられる存在だったが、彼女たちは非常に希有な存在だったと言っていい。特にブリティッシュ・ロック・シーンに於いては、パワフルな歌唱で聴かせる女性の「ロック・シンガー」は皆無に等しかった。だからスージー・クアトロのような女性シンガーがイギリスのロック/ポップ・シーンから登場したことは、それだけで注目に値することだったのだ。

 しかし実はスージー・クアトロはイギリスの出身ではない。彼女はアメリカの生まれで、十代前半から音楽活動を始め、ジェフ・ベックのレコーディングのために渡米していたミッキー・モストの目に留まってイギリスに渡り、デビューの機会を得た。「Rolling Stone」という曲でデビューするのが1972年の夏だが、この楽曲はお世辞にも彼女の魅力を表現できているとは言い難く、ヒットすることもなかった。挫折しそうな状況の中で巡り会ったのが、マイク・チャプマンとニッキー・チンによる楽曲「Can The Can」だった。

 「Can The Can」は大ヒットになった。全英チャートのトップとなり、日本でもよく売れた。続くセカンド・シングル「48 Clash」もまたヒットした。スージー・クアトロの名は一気に当時のロック/ポップ・ファンの間に知れ渡った。その二曲のヒット曲をフィーチャーした彼女のファースト・アルバムが、彼女の名をそのままタイトルにした本作である。

節区切

 スージー・クアトロのファースト・アルバムは日本では「サディスティック・ロックの女王」などという大仰なタイトルが付けられていた。その邦題にも当時の彼女のイメージを窺い知ることができる。彼女がデビューし、一気に人気を獲得していた頃、その音楽よりむしろその存在自体がセンセーショナルに取り上げられていた側面もあった。ステージではぴったりとした皮のジャンプスーツを着込んでベースを弾きながら歌うというのが、当時の彼女のスタイルだった。ジャンプスーツの下にはまったく下着をつけていないといったエピソードも伝えられ、ロック・ファンの男の子の想像力をかきたててくれたものだった。

 スージー・クアトロの携えていた加虐的なイメージはもちろん演出されたものだったろうが、その少々倒錯的で退廃的な感触は、当時すでに隆盛の時期を過ぎようとしていた「グラム」の影響下に語ることもできるだろう。一部には「グラム」というスタイルの音楽を語るときに、スージー・クアトロの名が挙げられることさえある。アメリカ出身のスージー・クアトロだったが、そのキャラクター性は明らかに当時のロンドン・ポップの流行の中にあった。

 スージー・クアトロの音楽はロック的なパワフルなサウンドとポップで聴きやすい楽曲の魅力によって形成されていたと言えるだろう。特にシングルとなってヒットした「キャン・ザ・キャン」や「48クラッシュ」はマイク・チャプマンとニッキー・チンによる楽曲だったこともあってその印象が強い。それらを収録したデビュー・アルバムにはスージー自身とバンド・メンバーであり後にスージーと結婚するギタリストのレン・タッキーとの共作曲も含まれているが、やはりポップな曲調とロックなサウンドとの融合という点では同じ方向性だった。

 当時のロック・シーンの頂点に君臨したレッド・ツェッペリンやEL&P、そしてローリング・ストーンズといったバンドの音楽に比べれば、確かにスージー・クアトロの音楽はいわゆる「ヒット・ポップス」的な印象の濃いものだ。それに対して、ロック・ファンの一部には「浅薄な流行歌」として軽んじる傾向も確かにあった。しかし、それがスージー・クアトロというシンガーとその音楽を貶めるものではないだろう。

 スージー・クアトロという女性は欧米人の標準から言えばかなり小柄な人であったらしい。顔立ちは「とても美しい」というわけではなかったが、愛くるしくコケティッシュな魅力があった。高音を利かせてシャウトする歌声や身体にぴったりとしたジャンプスーツ姿はセクシーな魅力もあった。当時の洋楽好きの男の子たちのアイドルになるには充分だった。そしてそうした男の子たちに支持され、時代の寵児となり、1970年代前半のロック/ポップ・シーンに確実にその足跡を残した。スージー・クアトロの魅力とその音楽を語る上で、そのことだけでも充分なことではないか。

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 スージー・クアトロの音楽と、その歌唱と、そしてスージー自身の魅力に惹かれて、彼女のデビュー・アルバムを購入した洋楽ファンは少なくなかったろう。「キャン・ザ・キャン」や「48クラッシュ」の二大ヒット曲を収録しているというだけで、彼女のファンにとっては魅力的なアルバムであったに違いない。他の楽曲が少々つまらなくても、その二曲があれば、そしてスージー・クアトロというシンガーのアルバムであれば、それでよかったというファンも少なくなかったろう。このスージー・クアトロのデビュー・アルバムを購入した人たちの多くは、そうしたファンたちではなかったろうか。そしてそうしたファンたちにとって、このアルバムはどのようなものだったのか。

 アルバムは「48クラッシュ」で幕を開け、スージーとレン・タッキー共作による「グリセリン・クイーン」、「シャイン・マイ・マシーン」、「オフィシャル・サバービアン・スーパーマン」と続く。スージーとレンによる楽曲はいずれもブギを基調にしたシンプルなロックン・ロールだ。ノリが良く軽快だ。「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」はビートルズの有名曲だが、これを見事にスージー・クアトロ風のハードなロックン・ロールにしてしまっているところが楽しい。「プリミティヴ・ラヴ」はマイク・チャプマンとニッキー・チンの二人による楽曲だが、彼らによる他のヒット曲とは少々イメージが異なり、ジャングルの中を思わせる効果音なども使用して幻惑的な世界を造り上げている。この曲に於けるスージーの抑えた歌唱は印象的で、吐息なども交えてセクシーだ。なにしろタイトルが「プリミティヴ・ラヴ」である。

 LP時代のB面の冒頭を飾ったのは彼女の出世作であり、日本でのデビュー曲となった「キャン・ザ・キャン」だ。続いてプレスリーの代表曲のひとつであり、すでにロックン・ロールのスタンダードともなっている「オール・シュック・アップ」をカヴァーしている。これもスージーは自分の持ち味を活かしてうまく歌っている。「スティックス・アンド・ストーンズ」と「スキン・タイト・スキン」はスージーとレンとの共作曲だ。「スキン・タイト・スキン」ではシンプルでパワフルなロックン・ロールとはまた違った世界を垣間見せる。「ゲット・バック・マンマ」はスージーによる楽曲で、他の楽曲のほとんどが3分から4分台なのに比して、6分近くの演奏時間と長い。シンプルなロックン・ロールだが、途中ではメンバーのソロ・プレイも含み、スージーの歌唱も心なしか力が入っている。スージーのベース・プレイを堪能できる楽曲でもある。「ロッキン・ムーンビーム」は再びスージーとレンとの共作曲で、軽やかなロックン・ロールだ。最後に収録された「シェイキン・オール・オーヴァー」はザ・パイレーツの1960年のヒット曲で、そのリーダーであるジョニー・キッドによって書かれたものだ。ザ・フーによる演奏があまりに有名だが、スージー・クアトロの演奏と歌唱も、ザ・フーには及ばないものの、なかなかパワフルに楽曲の魅力を再現している。この優れた楽曲がスージーのシャウトで歌われる様に快感を覚えたファンも多かっただろう。

 スージー・クアトロのデビュー・アルバムは、すべての音楽ファンに薦めるべき名盤といったものではない。しかし、あの頃彼女の魅力に惹かれ、その音楽を愛したファンにとって、忘れられないアルバムであることだろう。やはり「キャン・ザ・キャン」や「48クラッシュ」の存在感は特別で、その二曲が収録されていなければアルバムの魅力が半減することも事実だろう。しかし他の収録曲の魅力も捨てがたい。「プリミティヴ・ラヴ」や「ゲット・バック・マンマ」、そして「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」や「シェキン・オール・オーヴァー」のカヴァーなどはなかなか聴き応えがあって、ヒット・シングルだけではわからないスージーの魅力を伝えている。

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 ヒット・チャートを飾った流行音楽として、あるいは時には「グラム」の中のシンガーのひとりとして扱われたスージー・クアトロだが、その音楽は何ら奇をてらったところのない、シンプルなロックン・ロールだった。確かに当時のロック・シーンで、その頂点を極めるような個性や奥深さといったものを携えていたものではなかったが、スージーの歌声は充分に魅力的で、そのファンにロックン・ロールの楽しさを伝えてくれたものだったろう。「ロック」というものにあまり興味のなかった洋楽ファンの中には、スージー・クアトロから「ロック」の世界へと足を踏み込んだ人たちもあったかもしれない。言うなれば「ロック」と「ヒット・ポップス」の狭間で、時代の一時期を駆け抜けたシンガーだったのではないか。

 1970年代も後半になってからだったか、スージー・クアトロの初来日コンサートを福岡で見た。席はステージから遠く、スージーの顔さえはっきりとは見えなかったが、ステージ中央に立ってベースを弾きながら叫ぶように歌う彼女の姿はとてもかっこよかった。そう、スージー・クアトロというシンガーは、とにかくかっこよかった。それだけで充分ではないか。