横浜線沿線散歩公園探訪
町田市小山ヶ丘〜小山町
三ツ目山公園
Visited in April 2013
三ツ目山公園
町田市小山ヶ丘五丁目に「三ツ目山公園」という公園がある。公園の北側を通る多摩境通りからも見え、「三ツ目山公園」という名のバス停もあるから、地元の人でなくても公園の存在を知る人は少なくないだろう。公園は広場と雑木林の残る丘陵地から構成されており、全体では7.6ヘクタールを超える面積を有している。
三ツ目山公園
公園の名となった「三ツ目山」は昔からの呼称であるようだ。さまざまに由来が伝えられているがはっきりしたことはわからないらしい。町田街道には「三ツ目」という名の交差点もあるし、他にも「三ツ目」を名に冠した公園があり、よく知られた地名かもしれない。「三ツ目山公園」の中に残された丘が、おそらくその「三ツ目山」なのだろう。

公園は北側を通る多摩境通りに面し、町田市立小山ヶ丘小学校に隣接する。と言うより、西側と南側に小学校を囲むように公園が広がっており、昔は雑木林や畑地の広がる丘陵地だったところが住宅地として造成された際、ひとつの区画を公園と小学校とが分け合ったとでも言うような配置を見せる。小学校の東側や多摩境通りの北側は住宅街で、高層の集合住宅なども建ち並んでいる。小学校に通う子どもたちにとっても、近隣に暮らす人たちにとっても、公園の存在は大切なものだろうと思える。
三ツ目山公園
多摩境通りに面した、小山ヶ丘小学校のすぐ西側の角が、公園のメインエントランスと言っていいだろう。小学校の西側外縁部に沿うように園路が南へ延び、小学校の敷地の西南の角に面した部分からさらに東西に園路が延び、南側の雑木林の中へと小径が辿っている。この場所が実質的に“公園の中心”と言っていい。

小学校脇の園路の西側へは周囲から一段低くなって広場が設けられている。広場には滑り台やブランコなどの遊具が設置されている。遊具は近隣に暮らす小さな子どもたちのためのものだろうと思うが、数も種類も必要最低限といった印象だ。“周囲から一段低い”とは言っても、その西側にはさらに低くなった広場が設けられており、視界が開けて爽快な開放感がある。

三ツ目山公園
小学校西側の最も低い広場は、その西側の一角には調整池が設けられているが、おそらく広場全体が調整池としての機能を与えられているのだろう。広場に降りてみると、周囲から低くなっているにも関わらず意外に開放感がある。多摩境通り沿いには高層の集合住宅も建っているが、西側にはあまり高い建物もなく、青く澄んだ春の空が広がっている。広場では地元のお年寄りだろうか、グラウンドゴルフを楽しむ人たちの姿があった。

三ツ目山公園
低くなった広場の周囲には園路が巡っている。この園路も多摩境通りからは一段低い位置にあるが、園路と多摩境通りとの間には木々が植栽されて道路の喧噪を防いでいる。中央部の低くなった広場や南側の丘陵を眺めながらの散策はなかなか楽しい。特に園路の西南側では南に視界が開け、橋本駅周辺に林立する高層ビル群のシルエットが見える。その向こうには遠い山並みの稜線が連なり、なかなか爽快な眺望で、公園の立地が基本的に高所であることを実感する。
三ツ目山公園
広場の南東側の一角に、「久保ヶ谷戸横穴墓」のレプリカが展示されている。町田市公園緑地課によって2004年(平成16年)に設置された解説パネルの記述によれば、この場所の西方250メートルの斜面地で1997年(平成9年)に多摩ニュータウン造成中に発見された横穴墓を元に造られたものという。発見された横穴墓は7世紀中頃に造営されたものらしい。横穴墓というものは複数で発見されるのが通常だが、この横穴墓は1基のみが単独で発見されたことから、当時この地域を支配していた有力者の墓ではないかという。設置された解説パネルには横穴墓の構造なども記されている。訪れたときは目を通しておきたい。
三ツ目山公園
広場の南側から小山ヶ丘小学校の南側にかけては雑木林の残る丘陵が横たわっている。多摩境通りからもこんもりと木々の茂った丘の姿はよく見える。“公園の中心”から林の中へと小径が辿っている。小径は木々の中を縫って延び、基本的には丘の中を周回するように構成されているが、西側と南側とで公園の外にも通じている。

木漏れ日に包まれるようにして小径を歩けば、雑木林散策の愉しみを充分に楽しむことができる。目映いばかりの新緑、風にそよぐ木々の音、鳥のさえずり、そうしたものを感じながらの散策は心洗われる思いがする。鬱蒼とした樹林の中を歩いたり、木々が疎らになって青空が見えたり、突然視界が開けたり、変化に富んだ表情を見せるのも嬉しい。

三ツ目山公園
丘の頂上付近には「休憩広場」や「展望広場」と名付けられたスペースが設けられている。それらの広場にはベンチが置かれており、のんびりと一休みするにも良い場所だ。特に「展望広場」とその周辺は、その下方の斜面が木々のない草はらになっているため、その名が示すように南西方向に視界が開けている。そこからは高層ビル群の建つ橋本駅周辺や、その北側の相原の町並みが眼下に広がり、その向こうには遠く連なる山々の稜線が見える。なかなか爽快な眺めで、しばらくこの眺めを楽しんでいたくなる。広場には公園内の散策路の案内図をはじめ、雑木林と人々の暮らしとの関わりについての解説、そして公園周辺の生き物についての説明などのパネルが設置されている。これらにも目を通しておきたい。
三ツ目山公園
三ツ目山公園
雑木林の丘の東側や谷戸の地形になっており、今は住宅が建ち並んでいるが、その最奥部、すなわち小山ヶ丘小学校の南側に当たるところは公園の一部として整備されている。雑木林の端を辿る小径を下りてゆくと、谷戸の奥部には小さいながらも池を抱えている。

谷戸の奥部の小山ヶ丘小学校南側は人工的に整備されたスロープを成しているが、小学校が建てられたときに整備されたものなのだろう。その東側にも木々の茂った小さな丘があり、その丘も公園の一部のようだ。スロープの中ほどに設けられた小径を進むと東側の丘に入って行けるが、こちらはただ林の中を小径が抜けてゆくだけのようだ。

三ツ目山公園
そのスロープの上側、小学校南側の園路から谷戸を見下ろすと、丘陵と丘陵とに挟まれた谷戸の地形がよくわかる。谷戸の向こうには、ここからも橋本周辺の町並みがよく見える。両脇に木々の茂った丘があり、その間から町並みと遠い山並みとを見る風景もなかなか興趣のあるものだ。園路にはベンチも設けられており、丘を渡る風に吹かれながらの一休みも楽しい。

その園路を東に辿ってゆくと小山ヶ丘五丁目の住宅街の脇へと出て、小広場が設けられている。三ツ目山公園の一部ではあるのだが、独立した小公園のようにも見える。少しだけだが小さな子どもたちのための遊具が置かれており、小山ヶ丘五丁目に暮らす子どもたちのための遊び場としての役割もあるのだろう。
三ツ目山公園
山王山日枝神社
公園の南側には公園に隣接して、山王山日枝神社が建っている。かつては鬱蒼と木々の茂る三ツ目山を背負って鎮座する神社で、三ツ目山の樹林は鎮守の森だったのだと思うが、今はそれが市民の憩いの場としての公園に姿を変えているというわけだ。境内に設置された御由緒書によれば、創建の年代は不詳だという。

山王山日枝神社は大山咋神(おおやまくいのかみ)、素戔嗚尊(すなのおのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の四柱の神々を祀っている。これらの神々はそれぞれこの地域にあった日枝神社、八坂神社、金刀比羅神社、秋葉神社の祭神だった神々だ。明治になってこれらの神社が合祀されたものだそうだから、当時の政府が推進した一村一社の考え方によって合社されたものだろう。日枝神社が地元では山王様と呼ばれていたということだから、それが現在の山王山日枝神社の名の由来なのだろう。

山王山日枝神社
社殿は小さなもので、地域の鎮守らしい素朴な佇まいで木々に包まれて鎮座している。社殿前の一角は小さな広場になっており、シーソーなどの遊具が置かれている。昔はこうした神社の境内が地域の子どもたちの遊び場だったものだが、ここにもそうした時代の面影が感じられる。

境内には三ツ目囃子についての説明パネルも設置されている。江戸囃子が江戸時代の後期に伝わったものらしいが、独特のリズムがあり、踊りや演奏技術も評価が高く、今も受け継がれているという。

山王山日枝神社はもちろん三ツ目山公園の区域外、本来なら南側の参道から入ってくるべきだと思うが、公園内の雑木林の中の小径を辿って訪れることもできる。緑濃い丘を背負って鎮座する神社の佇まいには、郷愁を誘うような印象がある。公園散策のついでに参拝してゆくのも悪くない。
山王山日枝神社
多摩境通りを中心にした小山ヶ丘の町が造成される以前、この辺りは木々の茂る里山の風景が広がっていたところだ。三ツ目山公園はその頃の風景を残し、古くからこの地域に暮らす人たちにとっても、新しい住宅街に暮らし始めた人たちにとっても、貴重な緑の空間だと言えるだろう。地域外からの来訪者にとっても、特に雑木林散策の好きな人には魅力的な公園だろう。公園には駐車場はなく、その点では遠方から訪れるには少しばかり不便かもしれない。2013年4月に訪れたときには小山ヶ丘小学校の東側にコインパーキングがあり、それを利用することができた。
三ツ目山公園 山王山日枝神社 三ツ目山公園