横浜市港北区大倉山〜師岡町
大倉山から師岡町
Visited in October 2017
すっかり秋の気配が漂う十月半ば、東急東横線大倉山駅に降りた。大倉山から東へ歩を進め、「
熊野神社市民の森」を中心に師岡町周辺を歩いてみたいと思ったのだった。天気予報では晴れるとのことだったので出かけたのだったが、残念ながらずっと曇りがち、写真も暗くなってしまうと思いつつ道を辿った。
菊名で横浜線から東急東横線に乗り換えて一駅、大倉山で降りた。駅前は商店街だ。「レモンロード」と名付けられた商店街を東へ辿ってゆく。駅から300mほど進むと東海道新幹線の線路をくぐって綱島街道との「大倉山」交差点に出る。綱島街道は片側2車線の幹線道路だ。ひっきりなしに車が通り抜ける。信号が変わるのを待って横断し、正面の細道へ入ってゆく。細道を数十メートル進んでY字形の交差点を北へ折れ、また数十メートル進むと、東側の丘へと登る階段がある。これを登ってゆく。
階段は大倉山一丁目と大豆戸町との境に位置し、なかなか急な斜面を登っている。登りながら振り返ると、高くなるに従って次第に西へ視界が開けてくる。残念ながら天候に恵まれず、景色は白くぼんやりと霞んでいるが、その中に大倉山の町並みが広がっている。階段を登りきったところに「
大豆戸堀上公園」という公園がある。小さな公園だが、丘の縁となった立地で、西へ眺望が開けている。天候に恵まれれば爽快な眺めが楽しめるだろう。大豆戸堀上公園を後にして、丘上に広がる住宅地の中を北東に向かって道を辿る。
地図を確かめつつ道を抜けてゆくと、やがて緑地の入口に辿り着いた。入口脇に「
熊野神社市民の森」であることを示す案内板が設置されている。「熊野神社市民の森」のうちの、師岡熊野神社の南側に位置する区域のようだ。丘の一部に残った林地を「熊野神社市民の森」としたものだろう。中に入ると木々の取り払われた広場のような場所がある。「式坂広場」と名がある。熊野神社を面前にして儀式を臨む処との意味で昔なら呼び慣わしているのだという。「式坂広場」から林の中の小径を抜けて北へ降りてゆく。
降りた先は師岡熊野神社の門前、低地となって「『い』の池」が横たわっている。師岡熊野神社の社殿裏手には「『の』の池」があり、「『い』の池」の500mほど西のところにはかつて「『ち』の池」があって、三者を合わせて「いのちの池」と呼んでいたらしい。「『い』の池」を見学した後、参道の石段を登る。師岡熊野神社に参拝してゆこう。師岡熊野神社は724年(神亀元年)に開かれたという古社だ。社殿は鬱蒼とした社叢林を背負って風格ある佇まいだ。社殿の周囲には「みくまの五木」と呼ばれる巨木をはじめ、さまざま大木が枝を広げている。社殿裏の小高い丘の上には「師岡貝塚」と呼ばれる貝塚がある。
師岡熊野神社にお参りし、「みくまの五木」や「『い』の池」、「『の』の池」などを見学したら、神社の東側の坂道を北へ登ってゆこう。丘上に広がる住宅地を抜けて北東の方角へと歩を進めれば「
熊野神社市民の森」の天神山周辺の区域だ。「熊野神社市民の森」は天神山周辺の尾根筋に沿って東西に延び、そのほぼ中央部を尾根道が辿っている。途中には「天神平広場」などの広場も設けられているが、基本的には鬱蒼と木々の茂る林地の中を抜けて行く。この尾根道が師岡町と樽町との境になっており、南側は師岡町、北側は樽町だ。尾根道を500mほど辿ればようやく丘の端、斜面を降りていった先には杉山神社が鎮座している。
杉山神社が鎮座するのは樽町の南端部、師岡町との境に接する形だ。樽町の総鎮守として崇敬を集める神社だが、創建の年代ははっきりしないらしい。文化文政期(1804〜1829年)に編纂された「新編武蔵風土記稿」にも記述があるとのことで、その頃にはすでにあったのは確かのようだが、その歴史がいつ頃まで遡れるのかはわからないという。
祭神は日本武尊だが、日本武尊を祀るようになったのは明治期以降のことらしく、「新編武蔵風土記稿」には荒澤不動尊が祀られている旨の記述があるという。現在の社殿は2002年(平成14年)に建立されたものとのことで、新しさを感じる様相だが、「
熊野神社市民の森」の樹林を背負って建つ姿には凛とした風格が漂っている。
「杉山神社」、あるいは「○○杉山神社」の名がある神社は横浜市港北区から都筑区、青葉区、緑区、町田市辺りの鶴見川流域に広く存在する。江戸時代には70社を超える“杉山神社”があったということだが、合祀されるなどして数が減少、現在は31社を数えるという。樽町杉山神社は、その中でも最東部に位置するもののひとつである。
樽町杉山神社の参道を東へ出て、道路を南へ向かおう。道路はすぐ西寄りに曲がっている。「
師岡沼上耕地公園」の横を通り過ぎ、樽町杉山神社の参道入口から200mほど進んだところで右手(北側)の道に入り込む。天神山の南側の崖をつづら折りで辿る細道があり、「七曲がり」の名で呼ばれているのだが、これを歩いてみたいと思ったのだった。「七曲がり」は、“こんなところに道があるのか”と思うほどの、鬱蒼と木々の茂る崖地を辿っている。現在は「
熊野神社市民の森」の一部として整備されているようだが、なかなか険しい道である。このような道に出会うのも散策の醍醐味と言っていい。
「七曲がり」を登りきった先は天神山広場の南端部だ。往路で辿った道とは違う小径を辿って西へ向かう。160mほど小径を進むと「切り通し」の近くへ抜け出た。天神山の尾根に切り通しを設けて道が南北に道が抜けているところだ。「切り通し」から南へ降り、住宅地の中を抜けると、樽町杉山神社の参道入口から続く道に出た。このまま、この道を西へ辿っていこう。
道沿いは、周囲に比べて低地になっている。昔は水田が広がっていたところらしいが、今はすっかり住宅地だ。その中に畑地が残されていたりもする。500mほど辿れば師岡熊野神社の門前、「『い』の池」の横を通り過ぎる。「『い』の池」からさらに250mほどで、綱島街道との交差点に出た。
綱島街道の西側は小高い丘になっている。もちろん丘は住宅地だ。その丘の向こうが大倉山駅という位置関係だから、丘を横切っていこう。「熊野神社入口」交差点から綱島街道を数十メートル南へ進んだところで、横断歩道を渡り、丘に登ってゆく道に歩を進めた。道は緩やかに曲がりながら丘を登ってゆく。道脇には住宅が建ち並んでいる。この辺りは「大倉山一丁目」の町の北端部に当たるところだ。100mと少しで丘の上、道の勾配がなくなり、さらに進むと今度は下り坂となって丘を降りてゆく。降りてゆけば大倉山駅のすぐ脇に抜け出るはずだ。
急勾配となった坂道を降りて行く途中、道脇の樹木の幹に「とびだし注意!」のメッセージを記した張り紙があるのに気付いた。張り紙には猫のシルエットを描いたイラストが添えてある。張り紙はおそらく手作り、近所の人の手によるものか。ビニール袋に入れられたものが二枚、樹木の幹に取り付けられている。近所の飼い猫か、野良猫か、道路に飛び出す猫に注意して欲しいとの、通行する車などに向けてのメッセージだろう。
そんな張り紙が必要なほど、猫が多いのか。そう言えばついさっき、道を横切って行く猫を見た。そんなことを思いながら張り紙を見ていると、上品な物腰の老婦人に「今日は猫がいませんね」と声をかけられた。婦人は坂を下りて駅へ向かう途中のようだった。日常的に猫の姿が多いところなのだろう。猫好きとしては目の前に猫がとびだすのは大歓迎だが、残念ながら、この時には猫に出会うことはなかった。
坂を下りて数十メートル歩けば大倉山駅だ。駅周辺のお店で一休みして、そろそろ帰路を辿ることにしよう。
以前、当サイトをご覧頂いている方から「
熊野神社市民の森」や「獅子ヶ谷市民の森」もぜひ訪ねてみて欲しいとお勧めをいただいていたのだが、なかなか機会をつくれずにいた。今回ようやく念願叶って「熊野神社市民の森」を訪ねることができた。お勧めいただいた通り、素敵な散策ルートだった。次の機会には「獅子ヶ谷市民の森」や「みその公園」の辺りを訪ねてみたい。