宮崎県宮崎市、市街地中心部の北方に宮崎神宮が鎮座している。初代天皇である神武天皇を祀り、地元で「神武さま」と呼ばれて信仰を集める神社だ。夏の盛りの八月半ば、宮崎神宮に参拝した。
宮崎神宮
宮崎神宮
宮崎県宮崎市、市街地中心部からやや北に外れたところに、鬱蒼とした木々に包まれて宮崎神宮が鎮座している。宮崎神宮は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのみこと)、すなわち神武天皇を主祭神として祀り、相殿には神日本磐余彦天皇の父である鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと、宮崎神宮の公式サイトやリーフレットでは「鵜鷀草葺不合尊」と表記されている)と母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀る。宮崎神宮のことを、地元では単に「神武さま」、あるいはさらに親しみを込めて「神武さん」と呼ぶ。宮崎県民の篤い信仰と崇敬を集める神社である。
宮崎神宮
宮崎神宮
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宮崎神宮
神日本磐余彦天皇、後の神武天皇は鵜葺屋葺不合命と玉依姫命の子である。鵜葺屋葺不合命は「山幸彦」として知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫の子、彦火火出見尊は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと、「邇邇藝命」とも書く)と木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の子、瓊瓊杵尊は天孫、すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である。神日本磐余彦天皇は天照大神から数えて五代目ということになる。

ちなみに、宮崎市南部の青島に鎮座する青島神社は彦火火出見尊と豊玉姫を祀り、日南市の鵜戸神宮は豊玉姫が鵜葺屋葺不合命を生んだ産屋の跡であり、鵜葺屋葺不合命を主祭神として祀っている。また日南市の駒宮神社は少年期の神日本磐余彦天皇が暮らした宮の跡であるという。

神日本磐余彦天皇は十五歳のときに皇太子に就き、日向の地で政(まつりごと)を執っていた。四十五歳のとき、皇威を持って天下を統一して治めるため、都を移すことを決意、兄である五瀬命(いつせのみこと)と共に美々津の港から東へ向けて出発するのである。世に言う「神武東征」である。菟狭(うさ、現在の大分)から埃宮(えのみや、現在の広島)を経て、高嶋宮(現在の岡山)に至り、軍備を整えて大阪に上陸するが、長髄彦(ながすねひこ、「那賀須泥毘古」とも書く)に阻まれる(そのときの戦いによって受けた傷がもとで五瀬命は亡くなってしまう)。やむなく神日本磐余彦天皇は船団を率いて紀伊に回り、熊野から大和へと攻め入り、長髄彦にも勝利して大和の地を平定するのである。そして畝傍(うねび)の橿原(かしはら)に宮を建て、自ら第一代の天皇に即位する。日向を発って七年目の正月朔日(ついたち)、現在の2月11日のことである。このことから、現在、2月11日を「建国記念の日」とするのである。
宮崎神宮
宮崎神宮
宮崎神宮の社伝によれば、神武天皇の孫に当たる健磐龍命(たけいわたつのみこと、阿蘇神社の祭神)が九州の長官に就任した際に、神武天皇の遺徳を讃えるために鎮祭したのが宮崎神宮の始まりという。第十代崇神天皇、第十二代景行天皇の熊襲征討の際に社殿の造営がなされ、第十五代応神(おうじん)天皇の御代に、日向の国造(くにのみやつこ)が修造鎮祭したとの記録があるらしい。明治以前は神武天皇社、あるいは神武天皇宮と呼ばれていたという。明治になって宮崎神社、次いで宮崎宮と改称され、宮崎神宮と改称されたのは1913年(大正2年)のことである。

現在の社殿は神武天皇御降誕記念大祭事業の一環として1899年(明治32年)から1907年(明治40年)にかけて造営工事が行われ、建て替えられたものだ。皇紀2600年に当たる1940年(昭和15年)には境内地の拡張工事が行われ、ほぼ現在の姿となった。境内地の面積は約25ha、なかなか広大な敷地と言っていい。
宮崎神宮
宮崎神宮
宮崎神宮
鬱蒼と木々が茂る中に真っ直ぐに参道が延び、その先に、木々に守られるようにして社殿が鎮まっている。正門、拝所、幣殿、神殿が直列に並び、幣殿の横に神饌所と御料屋が建つ。シンメトリックな配置が美しい。社殿の巧みな配置も奏効してか、境内は神域としての厳粛な空気に包まれている。社殿は銅板葺きの神明造り、華美な装飾を排して清楚で端正な佇まいの中に風格を漂わせる。

正門に近い参道脇、東側に建つのは徴古館、宮崎神宮の宝物や書籍等の展示のために、いわば“宝物館”として建てられたものだが、現在ではその役割を宮崎総合博物館に譲り、貴重な建築遺産として残されている。

これらの建造物群は明治期の造営の際に伊東忠太が設計し、佐々木岩次郎が監督した。伊藤忠太は明治から昭和期にかけて活動した建築家、建築史家で、日本建築史の創始者としても知られる。佐々木岩次郎も明治から昭和期にかけての建築家で、日本建築の巨匠として知られ、特に寺社の建築に多くの業績を残している。彼らの手がけた宮崎神宮の建造物群は、2010年(平成22年)に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。
宮崎神宮
参道東側には神池や神苑、神田などが設けられている。神苑に植えられた「オオシラフジ」は樹齢400年以上と推定される古木で、国指定天然記念物である。藤棚の横はちょっとした広場になっている。広場にワシントン椰子が植えられているところなどは、いかにも宮崎の神社らしいところか。
宮崎神宮
神池の岸辺に五所稲荷神社が鎮まっている。古くから五穀豊穣や商売繁盛の守護として人々の信仰を受けてきた神社である。創建年代は不明だが、社殿前に1827年(文政10年)9月に奉納された手水鉢が残っているとのことで、それよりさらに古いことは確実だろうという。かつては宮崎神宮本殿の東側にあったが、明治期の造営工事の際に現在地に遷座されたものという。有志によって奉納された鳥居が並ぶ景観もなかなか印象的である。
宮崎神宮
宮崎には青島神社や鵜戸神宮など、神話の舞台として伝えられる神社が少なくないが、宮崎神宮はそうした神社とは少し性格を異にする。何と言っても、第一代天皇である神武天皇を祀る神社である。明治以来多くの皇族方が参拝に来られ、特に昭和天皇の御親拝は皇太子時代を含めて六回を数える。宮崎を訪れた際にはぜひとも参拝しておきたい。
宮崎神宮
夏の朝、神職の人たちが境内を掃き清める中、ときおり参拝の人たちが訪れる。正月には初詣の人たちで大いに賑わうが、この季節、さらに朝方では人の姿は少ない。境内の木々からは蝉時雨が降り注ぐ。夏の暑さが境内を覆う前のひととき、凛とした空気に包まれての参拝は清々しく、心が晴れやかになるひとときだ。
参考情報
交通
宮崎神宮の最寄り駅はJR日豊本線の「宮崎神宮」駅、駅から徒歩10分ほどで着く。宮崎駅からは2.5kmほどの距離がある。宮崎駅からバス路線を利用してもいい。

宮崎神宮には参拝者用の駐車場が用意されており、駐車スペースにも比較的余裕がある。初詣シーズン以外なら問題無く駐車することができるだろう。

宮崎神宮は宮崎市の中心市街の北側に位置している。市街中心部の「橘通3丁目」交差点から国道10号(江平通り)を1kmと少し北へ進むと、神宮参道へと左へ逸れる交差点がある。そこから800mほどで宮崎神宮だ。

遠方から訪れる人は宮侮ゥ動車道宮崎ICから国道220号を北上し、まず宮崎市街中心部を目指そう。

飲食
宮崎神宮は宮崎市街中心部から少し外れているので、周辺に飲食店は少ない。飲食店は市街中心部に戻って探すのが賢明だ。

宮崎市中心部にはさまざまな飲食店がある。「味のおぐら 本店」で有名な「チキン南蛮」などを楽しむのもお勧めだ。

周辺
宮崎神宮の境内地内、北側には宮崎県総合博物館が建っている。なかなか見応えのある展示で、お勧めだ。庭園部分は民家園になっており、五ヶ瀬町旧藤田家住宅や椎葉村旧清田家住宅といった古民家が移築、保存されている。興味のある人は見学しておこう。宮崎神宮の南西側には宮崎県総合文化公園があり、園内には宮崎県立美術館などが建っている。宮崎神宮の北西側には数百メートル離れて宮崎県立平和台公園がある。はにわ園や古墳などを見学したい。

「橘通3丁目」交差点周辺から南側にかけては宮崎市の中心部と言えるところだ。数多くの商業施設が建ち並んで繁華な佇まいを見せる。南北に抜ける国道220号(橘通り)の中央分離帯にはワシントン椰子が植えられ、南国的な雰囲気を漂わせている。町歩きを楽しむのも一興だろう。

「橘通3丁目」交差点からさらに1kmほど南に下れば大淀川、河岸に設けられた橘公園はフェニックスの樹影が織り成す風景が美しい。宮崎らしい風景を堪能できるところだ。

宮崎神宮から東へ、北権現通りを経由で5kmほどで海岸に設けられたみやざき臨海公園だ。日向灘に面してマリーナも設けられている。美しい風景が楽しめる。南ビーチ前に建つ「The BEACH BURGER HOUSE」も人気だ。
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