本郷通りと春日通りとが交わる「本郷3丁目」交差点から本郷通りを北へ数十メートル進むと、「菊坂」と呼ばれる坂道が北西の方角へ向かって延びている。本郷四丁目と本郷五丁目の境を辿って緩やかに下り、やがて言問通りとの「菊坂下」交差点へと至る。距離にして七百メートルほどだろうか。
道の途中には文京区教育委員会による「菊坂」の解説を記した案内板がある。それによれば「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候に付、同所を菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」と「御府内備考」に記されているという。この辺りには菊畑が広がり、菊の花を作る者が多く住んでいたため、坂を菊坂、坂上の方を菊坂台町、坂下の方を菊坂町と名付けたということだ。現在は「本郷四丁目」、「本郷五丁目」の町だが、1965年(昭和40年)までは町名として「菊坂町」が存在していたようだ。
菊坂は車両の通行も可能な道路だが交通量はあまり多くはない。庶民的な佇まいの個人商店が軒を並べる、のんびりとして穏やかな佇まいの通りだ。周辺は基本的に住宅街で、古い建物も数多く残っている。横手に伸びる細い路地に入り込むと、手動ポンプ式の井戸が残っていたりするのも楽しい。
道の途中には文京区教育委員会による「菊坂」の解説を記した案内板がある。それによれば「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候に付、同所を菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」と「御府内備考」に記されているという。この辺りには菊畑が広がり、菊の花を作る者が多く住んでいたため、坂を菊坂、坂上の方を菊坂台町、坂下の方を菊坂町と名付けたということだ。現在は「本郷四丁目」、「本郷五丁目」の町だが、1965年(昭和40年)までは町名として「菊坂町」が存在していたようだ。
菊坂は車両の通行も可能な道路だが交通量はあまり多くはない。庶民的な佇まいの個人商店が軒を並べる、のんびりとして穏やかな佇まいの通りだ。周辺は基本的に住宅街で、古い建物も数多く残っている。横手に伸びる細い路地に入り込むと、手動ポンプ式の井戸が残っていたりするのも楽しい。