横浜線沿線散歩公園探訪
日野市旭が丘
旭が丘中央公園
May 2015
旭が丘中央公園
日野市旭が丘五丁目の町に「旭が丘中央公園」という公園がある。その名の通り、旭が丘の町のほぼ中央に位置し、26000平方メートル余りの比較的広い面積を有する。園内には野球場やテニスコートが併設され、子どもたちの遊具を設置した広場もあり、多目的に使用できる公園として近隣の人たちに親しまれている。
旭が丘中央公園

旭が丘中央公園
公園は南東側に野球場を、南西側にテニスコートを置き、その周囲を囲んで、特に公園の北側部分を占めて木立の茂った緑地が設けられているという構成だ。

緑地部分にはケヤキやサクラなどの樹木が大きく育って枝を広げ、しかし鬱蒼とした印象は無く、開放感もあって爽やかな空間を成している。春から初夏にかけては新緑が美しく、日差しの強い季節には緑陰の涼しさが嬉しい。樹木の根方を囲んでベンチが設置されているところもあり、そのベンチに腰を下ろして、あるいは木陰にシートを広げて、のんびりとつくろぎのひとときを過ごす地元の人の姿もある。

公園の北西の隅、テニスコートの北側はブランコや滑り台などの遊具類を設置した広場で、子どもたちのための遊び場としての役割を担っている。この広場にももちろん木立があり、適度に木陰を落としてくれるのがいい。今回訪れたのは土曜日のお昼頃、広場では幾人かの子どもたちが遊んでいた。
旭が丘中央公園/巽聖歌歌碑
緑地部分の一角、木々に囲まれて巽聖歌(たつみせいか)の「たきび」の歌碑がある。巽聖歌は大正末期から昭和にかけて活動した詩人、児童文学者で、特に童謡「たきび」の作詞者として広く知られている。巽聖歌は本名を野村七蔵といい、1905年(明治38年)、岩手県に生まれている。尋常小学校を卒業した後に童謡に興味を覚え、創作活動を開始した。やがて「赤い鳥」への投稿が北原白秋に認められ、その後は詩人、歌人、童謡作家として数々の作品を発表、多大な功績を残している。1948年(昭和23年)、巽聖歌は日野町東大助(現在の旭が丘)に移り住み、1973年(昭和48年)に68歳で亡くなるまでこの地に暮らした。童謡「たきび」は1941年(昭和16年)にNHKの依頼で作られたものという。歌詞中に描かれているのは当時暮らしていた中野区上高田の風景で、現在も「「たきび」の歌発祥の地」として当時の面影が残されている。旭が丘公園の歌碑は、旭が丘が巽聖歌が晩年を過ごした土地であることに因んで、1999年(平成11年)に建てられたものだそうだ。
旭が丘中央公園/平山台土地区画整理事業竣功記念碑
巽聖歌の歌碑の近くに、「平山台土地区画整理事業」の竣功記念碑(碑には「竣功」が「しゅん功」と表記されている)が建てられている。碑の裏面には「平山台土地区画整理事業経過」として事業の概略が記されている。それによれば、「平山台土地区画整理事業」は日野市大字日野、豊田、平山、南平、高幡、栗ノ須、西長沼の各一部を含める約128ヘクタールの土地の区画整理事業だったそうだ。区画整理が成される以前、この土地は住宅地と競馬場敷地が散在する農地山林だったという。土地区画整理事業は1963年(昭和38年)に認可を受けて工事に着手、約10年の歳月と16億円余りの費用を投じて完成し、「旭が丘」が誕生した。現在の旭が丘は整然とした区画の中に住宅地の広がるところで、区画整理以前の様子を想像することも難しいが、こうした土地の変遷というものにも思いを馳せておきたい。
旭が丘中央公園は比較的規模の大きな公園だが、基本的に近隣に暮らす人たちのための公園と言っていい。近隣の人たちの憩いの場、スポーツを楽しむ場所、子どもたちの遊び場としての役割を担う公園だ。遠方から訪ねてみたくなるような特徴はないが、大きく育った木々の景観が美しく、この辺りを散策する機会があれば公園に立ち寄ってみるのもお勧めだ。園内には桜の木も多く、春にはお花見が楽しめるようだ。

公園はJR中央線豊田駅から約1.5km、徒歩で20分強といったところか。公園南側の道路に面して駐車場が設けられているが駐車スペースは10台分を少し超えるほどで充分とは言えない。駐車場は地元の人優先と考えて、車での来園は遠慮しておきたい。
旭が丘中央公園