横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市港北区小机町
小机城址市民の森
October 1998
小机城址市民の森
横浜線小机駅から横浜上麻生道路を西へ辿り、小机辻から右手に入り込んで、城山踏切で横浜線の線路を越えると、小さな十字路がある。よく見てみると十字路の角に「小机城址市民の森」の案内標識が立っている。案内の示すまま左折して進むと、やがて左に横浜線の線路が見える頃、「小机城址市民の森」の入口に辿り着く。横浜線小机駅から歩いて15分から20分ほどだろうか。住宅の間の細い道に入り込み、坂道の散策路を登ってゆくと昼間でも薄暗い雑木林の中だ。ここが「小机城址市民の森」だ。

小机城が築かれた時期についてはよくわかってはいないらしい。一説には1400年代の中頃だろうとも言われ、当時の関東管領の上杉氏による築城と考えられているようだ。小机城が歴史の舞台に登場するのは1400年代後半のことだ。山ノ内上杉氏の家臣であった長尾景信の死後、景信の嫡子景春が家督相続争いに端を発して上杉氏に反旗を翻すが、この時景春側の拠点のひとつとなったのがこの小机城だった。太田道灌率いる上杉軍の二ヶ月間にも及ぶ攻撃の末に小机城は落城、その後いったんは廃城となる。

1500年代に入って北条氏一族の領有となり、南武蔵の拠点として改修、笠原越前守信為が城代となって小机の地を支配下に置いた。やがて豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、小田原北条氏が滅亡すると、四代目城主笠原弥次平衛重政は徳川家康の家臣となって台村(現在の緑区台村町辺り)を領有し、それにともなって小机城は再び廃城、歴史の舞台から去って行く。笠原弥次平衛重政はその後大阪で没したが、遺骨は小机の雲松院に葬られた。雲松院には横浜市の地域文化財となっている笠原一族の墓所がある。

小机城址市民の森
現在の「小机城址市民の森」は、その名の通り小机城の遺構の残る丘陵を「市民の森」として整備したもので、4.5ヘクタールの広さがあるということだ。毎年四月には「小机城址祭り」も開催され、地元の人々には憩いの場として親しまれているようだ。

城山と呼ばれるこの丘陵は標高40メートルほどで、城跡の南側を横浜線のトンネルが通り、西側には丘陵をえぐるように第三京浜が通っている。第三京浜によって西側部分は破壊されてしまっているが、本丸跡など主要部分はほぼ完全に残っているのだという。

散策路は、本丸跡や二の丸跡、土塁跡、空堀跡などの小机城の遺構が残る中を辿り、要所要所に説明のための案内板も立てられている。歴史に関心のある人には興味の尽きないものに違いない。「市民の森」の名の通り、丘陵全体が雑木林で覆われ、鬱蒼とした木立や空堀の見事な竹林など、そうした場所が好きな人なら特に史跡などに興味がなくても楽しめるだろう。本丸跡などにはちょっとした広場があり、ベンチも設置されているが、蚊も多かったのでお弁当など広げる時には覚悟が必要かもしれない。

丘陵の西側の「富士仙元」は第三京浜で分断されており、いったん横浜線沿いの道路まで戻り、第三京浜の下をくぐって行かなくてはならない。階段を登ってゆくと第三京浜越しに視界が開け、小机の町並みや、新横浜方面まで眺望できる。

その第三京浜を走る車の騒音は意外に大きく響く。第三京浜の防音壁に反響するのか、雑木林の中にも絶えず響き渡っているのだ。この第三京浜からの騒音についてはガイドブックなどでも言及されていない。敢えて言及するのを避けているのか、無視すべきことと判断されているのか、あるいは普段ならそれほど気にならないレベルの騒音なのだろうか。せっかくの趣のある深い木立の雑木林や竹林であるのに、興をそぐように低く響く騒音が残念でならなかった。

いずれにしても小机の町のシンボルのひとつでもあるし、歴史的にも興味深い場所であることには間違いない。小机の町の散策の際には是非とも訪れてみるべきだろう。駐車場は無いので横浜線小机駅から徒歩が良いだろう。
小机城址市民の森