横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市中区蓬来町〜弥生町
大通り公園
Visited in April 2000
大通り公園
現在の伊勢佐木町にあたる一帯は古くには遠浅の入江だったものを1600年代の中頃に吉田勘兵衛が埋め立てた土地で、吉田新田と呼ばれる湿地だった。幕末になって横浜が開港され、1870年(明治3年)に堀割川が開削されると、その土砂によって吉田新田の沼地の一部が埋め立てられた。現在の蓬来町、万代町、不老町のあたりがそれで、その中央には運河が築かれた。吉田川である。1896年(明治29年)になってさらに吉田新田の残りの部分が埋め立てられ、それに伴って吉田川も延長される。それを新吉田川と呼ぶ。

大通り公園
その吉田川と新吉田川を埋め立てて、公園として整備したのが、現在の大通り公園で、1978年(昭和53年)9月9日に開園している。総延長1200m、平均幅30m、面積3.6ヘクタールの大通り公園は、JR根岸線関内駅の南口の近くから南西に向かって延び、南西側の一部は南区との区境を越える。その地下には市営地下鉄1号線が走り、公園の中ほどに伊勢佐木長者町駅が、南西側の端には板東橋駅が位置している。

大通り公園
園内には「働く女/LE BELLE SERVANTE(オシップ・ザッキン/OSSIP ZADKIN−1920年作)」、「3つの部分からなるオブジェ/THREE PARTS OBJECT(ヘンリー・ムーア/HENRY MOORE−1960年作)」、「瞑想/LE MEDITATION(オーギュスト・ロダン/ORGUSTE LODIN−1885年作)」の彫刻が配置され、さらに伊勢佐木長者町駅構内には「橋の詩/MEMORY OF BRIDGE(都市デザイン室−1981年作)」というレリーフが設置されている。「橋の詩」は蓬来橋や千秋橋、横浜橋、板東橋といった吉田川と新吉田川に架けられていた橋の銘板を使って造られたレリーフで、傍らには吉田川、新吉田川に関する歴史の概略が記されており、ぜひ見ておきたいものだ。

大通り公園
成り立ちから考えれば当然のことながら、細長く延びる大通り公園は「公園」というより「広く造られた舗道」という印象もある。園内は関内駅の方から「石の広場」、「水の広場」、「緑の森」という三つのゾーンに分けて構成されており、噴水などの構造物もそれなりに工夫を凝らして設置されている。「緑の森」も「森」というほど鬱蒼とした雰囲気はないが、クスノキなどの木立が大きく枝を広げて木陰を落とす様子は市街地の中の緑の帯といった様相だ。

公園の性格から考えても、休日に家族連れや観光客で賑わうというものではなく、日常的に付近の人々が憩うための場所と言ってよいだろう。両脇はビルの建ち並ぶ市街地で、静かな落ち着いた雰囲気というのは望めないが、そうした環境だからこそやはり大きく育った木立の緑は心安らぐものだろう。

大通り公園
園内のあちらこちらでは、近所の人たちなのだろう、将棋などに興じている人たちの姿を多く見かけた。お昼時になると近辺のオフィスに勤める人たちがランチを取ったり、お昼休みをのんびりと過ごす姿も少なくない。トイレやベンチなども随所に設置されており、また両脇の通り沿いには飲食店やコンビニエンスストアなども軒を連ねているので、町中での一休みという役割は十分に果たすことができるだろう。

訪れた四月の半ば、折しも「よこはま花と緑のスプリングフェア2000」の一環として「花壇展」が開催されており、南西側の「緑の森」の区域に造園業者の設えた自信作の花壇が展示されていた。
大通り公園