横浜線沿線散歩公園探訪
津久井町
−津久井湖城山公園−
城山
Visited in June 2001
津久井湖城山公園
津久井湖の湖畔、城山ダムの南西側に位置する山は城山と呼ばれ、津久井城の遺構が残ることで知られているが、現在は県立津久井湖城山公園の一部として整備が進んでいる。標高350メートルほどの城山は津久井湖を見下ろす展望も魅力で、手軽なハイキングコースとしても親しまれている。散歩感覚で訪れるには少々厳しいかもしれないが、野鳥の声の響く樹林の中を歩くのは楽しい。先を急がず、ゆっくりと山頂を目指すとよいだろう。
城山の登山道
城山へ登るルートはいくつかあり、それぞれに楽しいものだが、駐車場の完備された「花の苑地」からのルートは車で訪れた人には便利だろう。湖畔の苑地から国道を挟んで「桜の小道」が整備され、そこから山頂へと向かう小道が林の中へと延びている。ある程度は整備されているものの、基本的に山道で、途中には急坂もあり、訪れる際にはトレッキングシューズなどを用意したい。小道の横は急峻な崖となっている部分もあり、歩く際には充分な注意が必要だ。

小道を辿って山中へと分け入ると、見事な桧林が広がる。この桧は江戸時代末期に江川太郎左衛門英龍という人物が植林したものらしく、樹齢は約120年であるという。「江川ひのき」と題された案内板の説明には江川太郎左衛門英龍は伊豆韮山の代官で、行政官や洋学者などさまざまな分野で活躍した人物であると書かれてある。この桧林は「かながわの美林50選」にも選ばれているものだ。

桧林を過ぎてさらに進むと木々の間に見え隠れしていた津久井湖や城山ダムがやがて視界から消え、城山の東側へと大きく回り込んでいることに気付く。麓のあたりでは国道を走る車の音が聞こえてきていたのだが、それもやがて遠のいてゆく。小道の脇には大きく育った樹木も多く、ときおり足を止めて見上げたくなってしまう。

城山「宝ヶ池」
山肌に沿って樹林の中を辿る小道を、時にはのんびりと歩き、時には汗をかきながら登る。やがて山頂も近いかと思える頃、小道の分岐があり、傍らに小さな池があった。「宝ヶ池」というらしい。湧き水によるもので、決して涸れることがないという。白濁した水を湛える小さな池だが、山頂に近い道脇に湧き出る泉は少々不思議な印象がある。

分岐から東へ進むと紅葉台という展望台に至る。樹林の中に少し開けた広場があり、樹木の間から眼下に相模川が見える。相模原市大島の北側あたりで、ちょうど上大島キャンプ場や相模川自然の村があるあたりだ。河岸段丘を降りてゆく大嶋坂の道路のシルエットがはっきりと見えている。日の光を浴びてきらめく相模川の川面の様子が美しい。木々の間を抜けてゆく風も爽快で、一休みしたりお弁当を食べたりするのに良い場所だ。

城山の大杉 宝ヶ池の傍らを抜けて山肌に沿う小道を進むと、やがて道脇に大杉が現れる。推定樹齢700年、樹高40メートルという堂々とした杉で、幹回りが大人四人が手を回してちょうどというくらいなのだそうだ。大杉の傍らを過ぎると飯縄神社への石段の下へと至る。馬の鞍のような形状の地形で、小道は分岐しており、根小屋方面へと繋ぐ小道が西へ降りている。

飯縄神社下から津久井城址を目指す。引橋跡、空掘跡などを経て、やがて山頂の本城跡。城跡は木立に囲まれた小さな広場があるだけで、昔日の面影は無い。標高375メートルの宝ヶ峰に位置する城跡だが周囲の木立に遮られて展望も開けていない。わずかに木々の間に津久井湖の湖面の一部を望むことができるだけだ。

津久井城は「築井城」とも書き、鎌倉時代初期(1200年頃)に三浦一族の筑井太郎次郎義胤によって築城されたものだという。戦国時代には小田原北条氏の城となって北条早雲の家臣内藤景定が城主となるが、甲斐武田氏の勢力圏に近く、武田氏による度々の攻撃に晒された城でもあった。その後、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城、廃城となる。現在、山頂付近にはいくつかの曲輪の遺構が残され、整備の手を待っている。
津久井城址の城山は中世の山城の遺構の残る峰としてそれらに興味のある人はぜひとも訪れたい場所のひとつだろう。そうしたものに興味がなくても、軽いハイキング感覚での山登りが楽しめる。山頂までのんびりと歩けば一時間ほどを要し、歩き慣れていない人には少々ハードかもしれないが、ほどよい疲れも心地よく、山頂での一休みも爽快だ。新緑の頃や秋の紅葉の頃などを選んで歩いてみるとよいだろう。
津久井湖城山公園