横浜市神奈川区六角橋
六角橋
Visited in November 2005
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
快晴に恵まれた11月初旬、横浜市神奈川区六角橋を歩いた。六角橋商店街をメインに据え、神奈川大学や杉山大神などにも足を延ばしてみようと思ったのだった。それぞれが「神奈川区ビューポイント36景」に選ばれているところだ。六角橋の街で「神奈川区ビューポイント36景」巡りを楽しんでみたい。
東急東横線白楽駅を降りて西側の道路を南に下れば六角橋商店街だ。この道路は旧綱島街道で、古くから街道筋として人々の往来が多かった土地柄という。現在の商店街が形成されたのは戦後のことらしいが、戦前から商店が建ち並んで賑わう町だったようだ。400メートルほどの長さの通り沿いにさまざまな商店が軒を並べている。ほぼまっすぐに延びる通りは、南へ緩やかな下り坂になっている。車両の通行も可能な道路だが、それほど広い道路というわけではなく、車両の通行もあまり多くはないが、しかし人の往来は多く、白楽駅と神奈川大学とを繋ぐルートに当たることから、神奈川大学の学生たちも多く行き来する。古い佇まいの商店街を若い学生たちが闊歩する姿も、なかなか素敵だ。
六角橋の街は、懐かしい時代の賑わいを今もその佇まいの中に残している。通りの両脇には個人商店が肩を寄せ合うようにして建ち並ぶ。少しばかり古びた店構えは昭和の香りを漂わせて、古くから栄えた庶民の街らしい風情を感じさせるところだ。ところどころに真新しい店が混じるところは時代の流れというものだろう。それぞれの店先の様子や、掲げられた看板にもそれぞれの味わいがあり、のんびりと商店街の空気を感じながらの散策が楽しい。
旧綱島街道の六角橋商店街の西側に平行して「六角橋ふれあい通り」という名の細い通りが延びている。もともとは「六角橋仲見世通り」と呼ばれる通りだったらしい。人と人とがすれ違うのがやっとというほどの幅の通りの両脇に、さまざまな商店が建ち並んでいる。アーケードを設置した通りは少々薄暗く、しかしそれもまたひとつの魅力と言っていい。何しろ通りが狭いから、人と人との距離が近い。すれ違う買い物客同士の距離はもちろんだが、通りを行き交う人々と店の人との距離が近い。歩きながら店の奧に目をやると、必ずと言っていいほど、店番の人と眼が合う。その度に会釈を交わしあって通り過ぎる。それもまた楽しい。
「六角橋ふれあい通り」には実にさまざまな店が並んでいる。鮮魚店や精肉店、八百屋、陶器店、衣料品店、生花店、鞄店といった商店はもちろん、キムチの専門店、時計修理の専門店(時計の販売は行っていないようだ)、ハワイアンの店といったものまである。どのような店があるのだろうかと見てゆくだけでも楽しい。この中に「だるま屋」という模型店があるが、この店は鉄道模型のマニアの間では全国的に有名な店であるらしい。
六角橋商店街は各種のイベントが多く行われることでも知られているが、近年では「大日本プロレス」のイベントも開催されている。なぜ六角橋で「プロレス」なのかと思うが、六角橋が映画「お父さんのバックドロップ」のロケ地となったことからの繋がりであるらしい。映画「お父さんのバックドロップ」は故中島らもの同名短編小説を映画化、2004年秋に公開されたもので、プロレスラーの父と、父親がプロレスラーであることを嫌う息子を軸にした物語だ。映画ではプロレスラーの父を宇梶剛士が、その息子を神木隆之介が演じていた。物語の舞台は1980年の大坂だが、六角橋の街の佇まいが物語のイメージに合致したために六角橋でロケが行われたもののようだ。この映画に出演していたレスラーたちと六角橋商店街の人々との交流から、こうしたイベントが生まれたということであるらしい。
六角橋商店街を南に抜けると横浜上麻生道路だ。横浜上麻生道路にはかつて横浜市電が走り、六角橋はその終点の町だったという歴史がある。横浜市電は明治期から昭和40年代まで横浜市街地を走った路面電車だが、その中の「六角橋線(当初は中川線という呼称だったらしい)」が、六角橋へ延び、六角橋交差点付近に駅があった。だから六角橋商店街は東急東横線白楽駅と横浜市電六角橋駅とを繋ぐ形で発展したのだろう。
横浜市電六角橋線は1928年(昭和3年)に開通、横浜市北部から中心市街へと行き来する市民の足を担った。六角橋線は1968年(昭和43年)に廃止、その4年後の1972年(昭和47年)には横浜市電が全廃、横浜市から路面電車の姿は消えてしまった。
六角橋商店街から南西の方角へ、住宅街の中を抜けてゆくと、六角橋三丁目の丘の上に神奈川大学がある。神奈川大学は1928年(昭和3年)に米田吉盛によって桜木町に開設された「横浜学院」が前身という。翌年には「横浜専門学校」となり、1930年(昭和5年)に六角橋に移転している。学制改革に伴って「神奈川大学」に移行したのが1949年(昭和24年)のことだ。
小規模の専門学校から始まった神奈川大学だが、現在では法学部、経済学部、経営学部、外国語学部、理学部、工学部などの学部を置く総合大学で、「横浜キャンパス」の他に「湘南ひらつかキャンパス」もあり、学生総数は二万人近くを数える規模だ。
地域交流も盛んで、秋の大学祭「神大フェスタ」に六角橋商店街の人々が模擬店を出したり、あるいは六角橋商店街のイベントに神奈川大学の学生が参加したりといったことが行われている。キャンパスは地域に開かれており、学内の食堂なども利用可能のようだが、今回はキャンパスの佇まいを眺めるだけにしておこう。
神奈川大学を後にして、住宅街の中を北へ進もう。六角橋二丁目の北端近くに「杉山大神(すぎやまのおおかみ)」がある。「杉山大神」は六角橋の総鎮守となる神社で、大物主命、天照大神、日本武尊を祀っている。秋の祭りはなかなか盛大なものであるらしい。いつ頃創建されたものかははっきりしないという。
境内には「六角橋」の名の由来となった故事が記されている。「口碑によれば」と前置きされたその解説によれば、日本武尊の東夷征討の際、この地の久応庵に宿を求め、六角の箸で食事を摂り、その箸に天照大神と日本武尊の名を記して祀ったという。その「六角の箸」がすなわち「六角箸」で、後に「六角橋」に転じたというのが、「六角橋」の名の由来として一般に広く知られているものだ。
社殿は特筆するほど壮麗なものではないが、丘の上の境内に木々に囲まれて鎮まり、その姿には凛とした風格が感じられる。社殿は戦災により焼失、現在のものは拝殿、本殿ともに戦後に再建されたものという。市街地の中の神社だから周囲にはすぐ近くまで住宅が迫り、社の裏手には鎮守の森ではなく小学校が横たわっているが、やはり境内は神域、どこか空気の在り方が違って感じられる。
境内には木々が茂り、社殿を包み込むように枝を広げている。中でも横浜市の名木古木に指定されたケヤキの堂々とした姿は特に素晴らしい。樹齢は200年を超えるという。訪れたのは11月、ケヤキはそろそろ秋の色に染まり始めており、陽光を受けて輝く様子がたいへんに美しかった。
杉山大神を訪ねた後は、そのまま北西の方角へと進もう。六角橋六丁目の住宅街を抜け、やがて水道道に出る。水道道はこの辺りでは区境になっており、道路の向こうは港北区岸根町、
岸根公園が広がっている。
岸根公園もすでに秋の色だ。岸根公園の中を少し歩こう。草はらの広場の開放感や充実した遊具類が人気の公園だが、このときにも大勢の親子連れが遊んでいた。
公園内を一巡りして、そろそろ帰路を辿ることにしよう。横浜市営地下鉄「岸根公園」駅から地下鉄を利用して新横浜まで行き、そこで横浜線に乗り換えるのもいいが、今回は「篠原池」バス停から中山駅行きのバスに乗ろう。
六角橋商店街の付近は繁華な佇まいだが、神奈川大学から杉山大神にかけての、六角橋二丁目から六丁目の辺りは基本的に住宅街だ。緩やかな起伏を伴った立地に家々が並び、その中を網の目のように路地が抜ける。うっかり道の選択を間違えると袋小路だったりする。そのような街の佇まいを楽しみながら、住宅街の中を歩いた。杉山大神に向かう途中、少しばかり迷ってしまったが、迷ってしまうのもそれはそれでひとつの散策の愉しみだ。白楽駅から北方の住宅街に入り込むと
白幡池公園や
篠原園地も近い。時間に余裕があれば六角橋商店街に歩を進める前に立ち寄ってみるのも悪くない。
【追記】
1990年(平成2年)に選定された「神奈川区ビューポイント36景」は、2006年(平成18年)4月、「わが町かながわ50選」にリニューアル、さらに2009年(平成21年)、横浜開港150周年に合わせて「わが町 かながわ とっておき」にリニューアルされている。