土を丘のように高く盛って築造された古代の墓を、通常「古墳」と呼ぶ。「古墳」は土地の豪族、権力者の墓であり、その権力を誇示するために造られた。何を持って「古墳」と呼称するかという点については定まっていない部分もあるが、通常「古墳」と呼ばれるものは3世紀中頃から7世紀にかけて日本各地に数多く造られた。この約400年間を、弥生時代に続く時代区分として「古墳時代」と呼ぶ。弥生時代に日本各地に存在した「くに」がヤマト政権のもとに「倭国」として集約され、やがて「日本国」と称されるに至る時代である。
宮崎県内には、この「古墳」が数多く存在する。中でも西都市の市街地北西側の台地には300を超える古墳が点在し、「西都原(さいとばる)古墳群」の名で広く知られている。
宮崎県内には、この「古墳」が数多く存在する。中でも西都市の市街地北西側の台地には300を超える古墳が点在し、「西都原(さいとばる)古墳群」の名で広く知られている。