江戸時代の川越は江戸の北の守りを担う要衝の地だった。新河岸川の舟運が江戸に通じ、商人たちは江戸との商いで財を成した土地柄だ。その川越の町を、1893年(明治26年)、大火が襲う。火災によって川越の町の三分の一が焼失したという。火災からの復興に当たって、川越商人たちはすでに江戸で耐火建築として用いられていた伝統的な蔵造りの工法を採用した。それが現在の川越に残る「蔵造りの町並み」の原型である。伝統工法を取り入れたとは言っても時代はすでに明治、東京では煉瓦造りや石造りの建物が主流になりつつあり、川越の蔵造りはそうした新技術も柔軟に取り入れた独特のものであるという。