東京都青梅市新町に御嶽神社が鎮座している。新町を開拓した吉野織部之助が、開拓完成の際に大和国金峯山権現を勧請し、村内鎮守として創祀したものという。夏の暑さも退いた九月の半ば、青梅新町の御嶽神社に参拝した。
東京都青梅市新町二丁目の北西端近く、御嶽神社が鎮座している。「新町御嶽神社」と通称され、地域の信仰を集める神社である。青梅市新町の辺りはそもそもは吉野織部之助らによって開拓されて開村したところだが、開拓が完成した1616年(元和2年)、吉野織部之助が大和国金峯山権現を勧請し、村の鎮守として祀った。それが「新町御嶽神社」の始まりである。
広国押武金日命(ひろくにおしたけかねひのみこと、安閑天皇)と日本武命を祀り、御嶽大権現と称して、村内鎮守として土地の人々の崇敬を受けてきた神社である。明治維新の際に御嶽神社と改称され、1873年(明治6年)に村社に列格、1913年(大正2年)には富士大神社(祭神は花咲耶姫命)を合祀している。
現在の社殿は1971年(昭和46年)に鉄筋コンクリート造で新築されたもので、その際に社殿境内が一新されたという。参道の大鳥居は1986年(昭和61年)に御鎮座370年を記念して造営されたものという。
近年に整備が行われたからか、境内地は整然として現代的な印象だ。古色蒼然とした風情は乏しいが、土地の氏神として信仰されてきた風格が感じられて晴々とするような空気感が満ちている。ゆったりとした気持ちで参拝したい神社である。
御嶽神社の境内社として祀られている塩竃神社は宮城県塩竈市の塩竈神社を勧請し、1886年(明治19年)に設立されたものだ。設立に当たり地区内や近隣から講社を募り、請員数千に至ったという。1968年(昭和43年)に改修され、さらに1986年(昭和61年)の御嶽神社御鎮座370年記念事業の際に大改修がなされている。安産、子授け、子育ての御利益で信仰を集める神社である。
新町天神社も御嶽神社の境内社のひとつで、1986年(昭和61年)の御嶽神社御鎮座370年記念事業の際に太宰府天満宮を勧請して創建されたものという。菅原道真公を祀り、学問や文芸の御利益で信仰を集めている。7月25日の例祭の際には青梅少年剣道選手権大会が催されるそうである。社殿の傍らには天神社らしく神牛像が置かれている。この神牛像、著名な彫刻家である北村西望の作である。
新町水神社も御嶽神社の境内社のひとつとして祀られている。1976年(昭和51年)に多摩川の水波能売神を御嶽神社旧本殿社に勧請して祀ったのが始まりで、その翌月には町内10の井戸神を遷霊して祀ったという。武蔵野台地に開かれた新町は水を井戸に頼った。人々の水に対する感謝を象徴する神社である。
境内の一角には新町開拓の祖である吉野織部之助のレリーフをあしらった顕彰碑が建てられている。1960年(昭和35年)に建立されたもののようだ。新町の開拓は武蔵野台地に於ける新田開発の最初期のものとして、後のモデルケースともなった。その意味でも吉野織部之助の功績は大きい。碑文に目を通し、ひととき先人の苦労に思いを馳せてみたい。
境内には見事に枝を張った樹木も少なくないが、社務所前のソメイヨシノはひときわ目を引く。根方は囲いを設けて守られている。御神木として大切にされているのだろう。春に満開を迎えた姿はさぞ見事なものだろう。その姿も見てみたいものである。
青梅新町の御嶽神社は地元の人たちの氏神として信仰されていた神社だ。観光地的性格はほとんどないが、各地の神社を巡っている人なら訪ねてみたい神社だろう。また青梅新町の土地の歴史に興味のある人なら、近くにある旧吉野家住宅と共に訪ねておきたい神社だと言っていい。武蔵野台地の荒れ地が開墾され、ようやく開村して神社が建立されたときの、人々の思いを想像しながら参拝しておきたい。
新町御嶽神社は、JR青梅線小作駅が最寄りだ。駅から約2km、徒歩で30分ほどだ。
参拝者用駐車場が設けられているので、車での来訪も可能だ。二十数台分の駐車スペースがある。
遠方から車で訪れる場合は圏央道青梅ICを利用すれば近い。青梅ICから約2kmだ。
神社周辺には飲食店はない。飲食店を探すなら駅周辺に移動した方がいい。
神社の南側、道路を挟んで隣接する大井戸公園には「
青梅新町の大井戸
」という古い時代の井戸の跡がある。すり鉢状に掘り下げた窪地の底に井戸を設けた、「まいまいず井戸」と呼ばれる形状の井戸だ。興味のある人は立ち寄っておこう。
神社の南西側に数百メートル辿ると、青梅街道沿いに旧吉野家住宅がある。現在の新町を開拓し、代々名主を務めた吉野家の旧宅だ。「青梅新町の大井戸」と併せて見学していこう。
神社の東、1kmほど離れたところに位置する富士塚公園には古い時代に築かれた富士塚が残っている。興味のある人は訪ねてみるといい。
青梅新町の大井戸