志布志駅は日南線の終着駅だ。
南宮崎駅から約90km、日南線はここで終点となる。この先、大隅半島には鉄道路線はない。かつて、志布志駅からは日南線と志布志線、大隅線の三路線が延びていた。志布志線は志布志から山間を北上し、西都城駅で日豊本線に接続していた。大隅線は志布志から西へ辿り、鹿屋を経て錦江湾岸を北上、垂水を経て国分駅で日豊本線に接続していた。三路線の集まる志布志駅は交通の要衝と言ってよかった。しかし志布志線も大隅線も国鉄再建法施行によって1987年(昭和62年)に廃止、志布志駅は今は日南線の終端の駅として残る。
現在の志布志駅の駅舎とホームは志布志線と大隅線が廃止になった後の1990年(平成2年)、旧志布志駅の貨物用引き込み線を利用して新たに建築されたものだ。かつての駅舎は現在地から南西側に数十メートル離れた位置にあった(現在は交差点になっている)。新駅舎の位置が東へ移動したため、日南線の路線長も40mほど短くなったという。
駅舎内には「志布志駅の歩み」と題して志布志駅の歴史が簡単な年表形式で記されている。SLを象ったパネルに記された「志布志駅の歩み」には「志布志まちづくり研究会」の名があり、「発足6周年記念」とある。その年表は1918年(大正7年)12月、「都城〜志布志間鉄道開設決定」から始まっている。国鉄志布志線が全線開通し、志布志駅が開業したのは1925年(大正14年)3月のことだ。1935年(昭和10年)4月には志布志〜榎原間(後の日南線の一部)が開通して志布志線が延伸、1936年(昭和11年)10月には古江線(後の大隅線の一部)が志布志〜古江間で開通している。1963年(昭和38年)には南宮崎〜北郷間の鉄道が開通し、志布志線の志布志〜北郷間を編入して日南線の全線開通となった。1972年(昭和47年)2月、古江線が国分まで延伸し、大隅線に改称されている。そして1987年(昭和62年)3月、国鉄志布志線と大隅線は廃止となる。年表は1994年(平成6年)3月の鉄道記念公園完成で終わっている。パネルの右端には「終着駅は始発駅」とある。かつて志布志線と大隅線、日南線の三路線の鉄道が発着した志布志駅、志布志線と大隅線の廃止が決まったときの志布志の町の人々の思いが、年表の記述の向こうに見える気もする。
志布志駅は終着駅だから、駅舎は線路の横に並ぶ必要も、線路を跨ぐ橋上駅舎である必要もない。現駅舎は、まるで終着駅であることを明示するかのように、線路の延長上に直交して建っている。“線路はここで終わり、将来もこの先に延びることはない”と言わんばかりだ。ホームは1面1線の単式ホームのシンプルなものだ。駅舎側からホーム側に視線を向けると、線路の延長上、背景には山々の両線が重なって美しい景観を見せる。志布志駅を出て宮崎方面へと向かう日南線の列車は、その山々の南裾を回って志布志湾岸沿いを辿って行く。
駅舎は志布志市総合観光案内所を兼ねており、駅舎入口にはその名を記したプレートが提げられている。このプレートの裏には「ようこそ、志(こころざし)あふれるまち志布志へ。」と記され、志布志駅に降り立つ人たちを迎えている。「志あふれるまち」とは志布志市のPR用キャッチフレーズなのだろう。
「志あふれるまち」とはなかなか楽しいキャッチフレーズではないか。「志布志」という地名だけでも「志」が二つ入っているわけで、志布志市が誕生する以前の志布志町時代から特徴的な名として知られていた。志布志町の中心部の字名もやはり「志布志」で、「志布志町志布志」という地名が存在していたわけだが、2006年(平成18年)に曽於郡の志布志町と松山町、有明町が合併して「志布志市」が誕生した後は「志布志市」の後に旧町名を付加して(すなわち旧地名の「曽於郡」を「志布志市」に置き換えて)表記されることになり、「志布志市志布志町志布志」という住所が生まれてしまった(志布志駅の住所は「志布志市志布志町志布志二丁目」)。当初は志布志市の市役所は有明町に置かれ、旧志布志町役場は市役所の志布志支所となったため、「志布志市志布志町志布志二丁目 志布志市役所志布志支所」などという表記を見ることもあった。まさに「志あふれるまち」である。2021年(令和3年)1月1日に志布志市役所本庁は志布志市に移転、「志布志支所」の表記が無くなって「志布志市志布志町志布志二丁目 志布志市役所」となってしまったのがちょっと残念なところ(!?)かもしれない。
志布志駅前は広々としている。その光景が、かつて三路線が乗り入れていた旧志布志駅の規模の大きさを物語る。駅舎の前は当初はロータリーとして使われていたが、現在は緑地スペースとして整備されており、その一角に種田山頭火の句碑なども置かれている。駅舎前の一角には「志布志駅前」のバス停が設けられ、その前は大きな交差点だ。交差点の南西側には「サンポートしぶしアピア」という施設が建っている。「サンポートしぶしアピア」はショッピングセンターと地域コミュニティ施設との複合施設だ。駅前から「サンポートしぶしアピア」の横を東へ延びる道路に、かつて志布志線と大隅線が平行して走っていた。その道路沿い、「サンポートしぶしアピア」の東側には「志布志鉄道記念公園」があり、蒸気機関車の車体などが保存展示されている。
夏の日の午後、志布志駅では油津行きの車両が出発の時刻を待っていた。ホームのベンチでは中学生くらいの男の子が二人、どこまで行くのだろう。彼らが車両に乗り込み、やがて一両だけの列車はゆっくりと走り出した。列車が出発した後の志布志駅にはまったく人の姿が無かった。次の油津行きが出るのは約2時間後、静かに時間が過ぎてゆく。