串間市南部に位置する本城地区の南西部、志布志湾を臨んで美しい浜辺が横たわっている。浜辺から千野川を挟んだ西側に「一里崎」と呼ばれる岬があり、そこからこの浜辺を「一里崎浜」と通称している。西は千野川の河口、東は本城川の河口、両者に挟まれた形で、浜辺は1km余りの長さで延びている。浜辺の北側には100mを超える幅の松林が広がり、その北側には家々が建ち並んで集落を成している。下千野の集落である。浜辺の東端部はわずかに磯辺があり、その東側は本城川の河口だ。本城川の河口部、内陸側には広い干潟があり、「本城干潟」の名で呼ばれる。浜辺と本城干潟とに挟まれた部分にも家々の密集した集落があり、ここは「港」の名で呼ばれている。本城川に隔てられた南側は崎田地区である。
一里崎浜は、かつては海水浴場だった。一里崎そのものが景勝地として知られており、この付近は夏の行楽地として近隣から多くの行楽客を迎えて賑わったものである。正確な資料が無いが、おそらく日本が高度経済成長に湧いていた時代までは、一里崎はよく知られた景勝地であり、行楽地であったはずである。現在、一里崎浜にはいわゆる“海水浴場”としての設備はまったくない。自治体等による海水浴場としての整備保守はまったくなく、遊泳区域の表示もなければ、監視員もいない。シャワー施設もないし、もちろん「海の家」もない。要するに、一般的な認識としての“海水浴場”ではないのだ。串間市観光物産協会の方に訊ねてみても「昔は海水浴場だったんですよ」と、過去形である。
かつて行楽地として知られ、海水浴場として賑わった一里崎浜が、なぜ現在のような状況になってしまったのか。おそらくさまざまな要因が絡み合っているのだろう。時代の変化と共に人々の“行楽”というものに対する意識が変わり、自家用車の普及と道路網の整備によって人々の行動範囲も大きく変わり、そうした変遷の中で次第に訪れる行楽客が少なくなってゆき、海水浴場としての様態を失っていった、ということなのではないか。
一里崎浜は美しい浜辺だ。揺るやかな弧を描いて砂浜が横たわり、眼前に広がる志布志湾の向こうにはうっすらと大隅半島の山々の稜線が見える。浜辺は入り江の奥に位置しているから、東を見ても西を見ても緑の山々が浜辺を抱き込むように海に張り出している。志布志湾内の、さらに入り江の奥だから、ほとんど波も無い。振り返れば松林の上には夏空が広がるばかりだ。
一里崎浜の最大の魅力は、(皮肉なことだが)人の姿がほとんど無いということだ。と言うより、人の姿があることの方が珍しいと言っていい。人の姿の無い、美しい浜辺を一人歩くのは何とも贅沢な気分で楽しい。この素晴らしい景色を独り占め、聞こえるのは波の音だけだ。誰かと一緒に訪れるなら、ビーチパラソルやレジャーシートなどを準備して行くといい。誰もいない浜辺にパラソルを立て、のんびりと志布志湾を眺めて過ごす。素敵なひとときだろう。
一里崎浜を東端部まで歩くと、わずかに磯辺があって、その先は本城川の河口だ。河口部の幅は比較的狭く、対岸には崎田地区の浜辺が近いが、その奥で川幅は大きく広がり、干潟を成している。この干潟を「本城干潟」と呼ぶ。本城干潟はさまざまな生き物たちの貴重な生息地だ。地元の学校や有志のグループなどによる観察会などもも催され、保護への関心の高まっている。
本城干潟は緑の山々に囲まれて横たわる景観も美しく、満潮のときも干潮のときもそれぞれに素晴らしい景観を見せる。のんびりと干潟の風景を眺めながら時を過ごすのもいいものだ。また、この辺りは宮崎県内では数少ない、海に沈む夕陽を見ることのできるところである。満潮と夕暮れが重なれば、本城干潟の水面に移る夕陽を見ることができる。
本城干潟に面して北西側には家々が集まって集落を成している。この集落を「港(みなと)」と呼ぶ。「○○港」ではなく、ただ単に「港」である。「港」は「湊」と書いたりもする。要するに「みなと」であって文字は重要ではない。
この本城港(湊)地区は、室町時代の明貿易の頃から風待ちや飲料水・食料の補給地として栄えたところである。当時は港に津口番(江戸時代に港に出入りする船舶の出入りや積み荷を監視、取り締まりを行っていた番所)や明問屋(貿易船の船宿)があったという。
1596年に出版されたファン・リンスホーテンの「東方案内記」に所収されたH.ラングレン作の東インド地域図には紀伊半島以西の日本も描かれているが、これに描かれた九州と思われる島の南東部に「Minato」の地名がある。この「Minato」が、他ならぬ本城港のことであるらしい。それほど重要な港だったということだろう。
かつて日本から南洋や明(現在の中国)へ向けて出航した貿易船が、この港に立ち寄って食料や水を補給したのだろう。その飲料水に用いられた井戸が集落に残っている。井戸の水は近年まで集落の生活用水としても使われていたそうである。
現在の本城港は鄙びた集落だ。数十戸の家々が狭い範囲に寄り添うように建ち並び、郷愁を誘うような風情を漂わせている。家々の間を縫うように辿る小径を、のんびりと歩いてみるのも楽しい。
かつて景勝地として知られた一里崎、海水浴場として賑わった一里崎浜、さらに昔は貿易船の風待ち港、補給港として知られた本城港、そうした歴史の変遷を美しい風景の中に封じ込め、現在の一里崎浜と港集落には静かな時間が流れている。観光の対象としてはまったく認知されていないが、一里崎浜や本城干潟の美しい風景は串間市の誇るべき財産のひとつである。
一里崎や本城干潟の名を知らない人なら特に、一度は足を運んで、自分の目でその風景を見て欲しいと思うが、難点はアクセスの不便さである。JR日南線串間駅からは距離があり(5kmを超える)、バス便は串間市のコミュニティーバスが週に3日、1日に4往復するのみで、観光用としては実用的ではない。レンタカーを利用するのが賢明だが、観光用の駐車場などもなく、車を駐める場所にも苦労する(どこに車を駐めればいいのかは、串間市観光物産協会に問い合わせしていただきたい)。
しかし、そのアクセスの不便さも、かえって魅力なのではないかと思える。いわゆる“知る人ぞ知る”的な魅力もあるのではないか。あまり人に教えたくないような気にもなってしまう、一里崎浜と本城干潟である。
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ページ内の写真は2016年夏に撮影したものです。本文は2019年8月に作成しました。