横浜市港北区岸根町〜篠原町
岸根公園
Visited in April 2001
横浜市港北区のほぼ南端、神奈川区に接する辺りに岸根公園という公園がある。その地下を横浜市営地下鉄が通り、「岸根公園」という名の駅もあるので、その存在を知る人は多いだろう。そもそもは1940年(昭和15年)に防災緑地を兼ねた公園として整備が始まったらしいが、戦時中は軍の基地となり、戦後は米軍に接収され、1970年代になってようやく接収解除にともなって新たに整備し直されたものだという。
六角橋の繁華街にも近く、公園の周囲は市街地だが、木立に囲まれた広場を中心にした園内は広々として開放感がある。公園の東端部分、横浜上麻生道路と水道道との交差点の角には県立武道館が併設され、その横には夜間照明設備を備えた軟式野球場も置かれている。水道道に面して駐車場も用意されている。駐車場は有料だが100台を越える駐車スペースがあり、車で訪れる人も少なくないようだ。
駐車場の横の入口が公園のメインエントランスという位置づけだろうか。そこから入ると「中央広場」というスペースがあり、傍らに管理所も置かれている。「中央広場」からは正面に一段低くなった「せせらぎ広場」を見下ろすことができて、緑に包まれた公園のほぼ全容をつかむことができる。
「中央広場」から左手に進むと広々とした芝生の広場が待っている。「ひょうたん原っぱ」と名付けられている。なぜ「ひょうたん」なのかと思うが、園内の見取り図を見ると、広場を囲む木立の並ぶ形状が「ひょうたん」の形をしており、そのためなのだろう。「ひょうたん原っぱ」は広々とした開放感が魅力的だ。周囲の建物を木立がうまく隠してくれて、穏やかな空間を演出している。木立も疎らに過ぎず、密に過ぎず、ほどよく陰を落とす様子がいい。木陰にはベンチなども置かれていて、散策の途中の一休みといった風の人の姿も多い。広場を歩くと水道道を走る車の音が聞こえてはくるが、気になるほどではない。訪れた日、原っぱの端ではゴム動力の模型飛行機を飛ばして楽しむ年輩の人たちの姿があった。趣味のサークルなのだろうか。あまりに飛びすぎて木立の枝に引っかかってしまったものもあって、取るのに苦労されているようだった。
「ひょうたん原っぱ」の北西側の端から公園の敷地はさらに北西に向かって細長く延びている。「ひょうたん原っぱ」からはわずかに高くなって「ゆうゆう広場」や少年野球場が置かれ、さらに西口広場へ至る。「ゆうゆう広場」は砂場や遊具などを配した子どもたちのためのスペースだが、岸根公園の一部というより、隣接した小さな児童遊園という印象だ。近所の保育園らしい子どもたちが遊びに来ていた。
「ひょうたん原っぱ」の北西側の端から公園の敷地はさらに北西に向かって細長く延びている。「ひょうたん原っぱ」からはわずかに高くなって「ゆうゆう広場」や少年野球場が置かれ、さらに西口広場へ至る。「ゆうゆう広場」は砂場や遊具などを配した子どもたちのためのスペースだが、岸根公園の一部というより、隣接した小さな児童遊園という印象だ。近所の保育園らしい子どもたちが遊びに来ていた。
篠原池の横の遊歩道を辿ると横浜上麻生道路へ出る。傍らには市営地下鉄の「岸根公園」駅への入口もあって、公園のもうひとつの玄関口といった印象だ。地下鉄やバスを利用して訪れる人たちにはこちらがメインの公園入口ということになるだろう。岸根公園はその名が示すように「岸根町」に位置し、横浜上麻生道路を隔てた北側に「篠原町」があるのだが、地図をよく見ると、この篠原池のあたりは篠原町に位置するようで、そのためにこの名があるのだろう。この池がもともとこの地にあったものなのかどうかはよくわからないのだが、かなり昔にはこのあたりは沼地であったらしく、「岸根」も「篠原」も古くからの地名であることを考えれば、「篠原池」というのは昔からのものなのかもしれない。
篠原池の横を抜けて「せせらぎ広場」へ至る遊歩道は道脇に花水木が植えられ、美しい姿を見せていた。遊歩道は「花水木の小径」と名付けられ、由来を示す案内板が置かれている。案内板の説明によれば、花水木は1991年(平成3年)に港北区の木に選定されたのだそうで、この小径には6種類の花水木と花水木に似た日本のヤマボウシ3種類、合計60本が植えられているとのことだ。花水木は北アメリカ原産で、日本に入ってきたのは1915年(大正4年)のことであるらしい。案内板にはそういったことも添えられている。散策の際には目を通しておくとよいだろう。