横浜市神奈川区幸ヶ谷
幸ヶ谷公園
Visited in November 2001
横浜市神奈川区幸ヶ谷、南に青木町、宮前商店街を見下ろす丘の上に幸ヶ谷公園がある。このあたりはかつては「権現山」と呼ばれる急峻な山だったのだという。丘の北西側はざっくりと抉られてJR線と京急線の線路が抜け、その向こうに本覚寺の建つ高島台の丘があるが、鉄道が抜ける以前は尾根続きだったのらしい。
権現山は戦国時代の古戦場跡として知られている。1510年(永正7年)、関東を支配していた上杉氏の家臣上田蔵人(くらんど)が北条早雲方に寝返り、この山に砦を築いて立てこもった。上杉方は二万の兵を集めて砦を包囲、十日間に及ぶ戦いは上杉軍の勝利に終わったという。山は幕末から明治期初めにかけてお台場や鉄道用地埋め立てのために削られ、かつての急峻さを失ってこんもりとした丘に姿を変えている。
現在の幸ヶ谷公園は丘の頂上部分の広場といった様相で、木立に包まれて街の喧噪からは遠く、静かに落ち着いた佇まいを見せる。園内のほぼすべてが桜の林で、桜の名所としてよく知られている。公園の南側の一角には「チェリーハウス」という名のコミュニティハウスが置かれ、図書サービスなどを利用する人が訪れるようだ。すべり台などの遊具も少し置かれているが、子どもたちのための遊び場としてはあまり充実しているとは言えないように思える。
ときおり地元の人が散策に訪れるようだが、あまり人の姿もない。木々の間から電車の音や車の音などが聞こえてはくるが、丘の上という立地のためか、どこか俗世から離れたような静かさがいい。コミュニティハウスの建物をくぐって南へ下りると青木町の宮前商店街へと抜け出る。北側の階段を下りると線路脇の道路へと抜け出て京急神奈川駅が近い。トイレも設置されているので、神奈川宿の散策の際の一休みに訪れるのもよいだろう。
権現山は戦国時代の古戦場跡として知られている。1510年(永正7年)、関東を支配していた上杉氏の家臣上田蔵人(くらんど)が北条早雲方に寝返り、この山に砦を築いて立てこもった。上杉方は二万の兵を集めて砦を包囲、十日間に及ぶ戦いは上杉軍の勝利に終わったという。山は幕末から明治期初めにかけてお台場や鉄道用地埋め立てのために削られ、かつての急峻さを失ってこんもりとした丘に姿を変えている。
ときおり地元の人が散策に訪れるようだが、あまり人の姿もない。木々の間から電車の音や車の音などが聞こえてはくるが、丘の上という立地のためか、どこか俗世から離れたような静かさがいい。コミュニティハウスの建物をくぐって南へ下りると青木町の宮前商店街へと抜け出る。北側の階段を下りると線路脇の道路へと抜け出て京急神奈川駅が近い。トイレも設置されているので、神奈川宿の散策の際の一休みに訪れるのもよいだろう。