横浜市神奈川区
神奈川宿歴史の道
(青木橋〜上台橋)
Visited in May 2002
現在の神奈川区の市街地はかつては東海道の神奈川宿として栄えた町だった。今ではすっかりビルの建ち並ぶ市街地に変貌してしまったが、ところどころに神奈川宿の面影や横浜開港期の歴史のひとこまを伝える場所も残っている。それらの史跡などを繋いで「神奈川宿歴史の道」という散策コースが整備されている。
「神奈川宿歴史の道」は、東は新町の神奈川通東公園から西は台町の上台橋まで、約四キロほどを史跡や公園などを辿って結び、随所にデザインされた青海波(せいがいは)やレンガ敷きの路面、亀を象った車止めなどが訪ね歩く人を導く。要所にはガイドパネルが設けられ、場所に応じたエピソードや往時を伝える写真や絵図などが記され、歴史のひとこまに触れることができる。京浜急行の神奈川駅から青木橋を渡って、西へ上台橋のあたりまで、この「歴史の道」を歩いてみた。
「神奈川宿歴史の道」は、東は新町の神奈川通東公園から西は台町の上台橋まで、約四キロほどを史跡や公園などを辿って結び、随所にデザインされた青海波(せいがいは)やレンガ敷きの路面、亀を象った車止めなどが訪ね歩く人を導く。要所にはガイドパネルが設けられ、場所に応じたエピソードや往時を伝える写真や絵図などが記され、歴史のひとこまに触れることができる。京浜急行の神奈川駅から青木橋を渡って、西へ上台橋のあたりまで、この「歴史の道」を歩いてみた。
本覚寺は日本に於ける臨済宗の開祖栄西によって1226年(嘉禄2年)に開かれた寺だという。その後、権現山の合戦のために荒廃、1500年代になって曹洞宗の寺として再興されたものであるらしい。
アメリカ領事館として使われていた時期には、境内の松の木に星条旗が掲げられ、山門は領事館員らによって白いペンキを塗られたという。今でもうっすらとその白いペンキの跡を見ることができるが、これが日本で最初のペンキ塗装なのだそうだ。またこの寺は生麦事件の際に負傷したふたりのイギリス人が逃げ込み、治療を受けた寺でもある。治療に当たったのはヘボン博士であったという。
高島台の丘の上からは南側へ視界が開けて爽快だ。フェンス越しではあるが、横浜の市街地を見下ろす眺望が楽しめる。みなとみらい地区の高層ビル群のシルエットも見えている。今ではビルの林立する横浜駅周辺もかつては袖ヶ浦と呼ばれる入江で、風光明媚な景勝地として知られていたのだという。
「神奈川宿歴史の道」はその市街地を見下ろしながら、丘の上の南端部分に沿って続いている。タイルが指し示す道順に沿って進むと、やがて左手下方に小さな公園がある。「かえもん公園」という名の小さな公園で、鉄道用地の埋め立てに尽力した高島嘉右衛門についての解説パネルが設置されている。公園名も高島嘉右衛門の名にちなんだものと思えるが、公園自体が何かの縁があるのかどうかはよくわからなかった。その公園上から北へ少しだけ入り込むと、住宅街の一角に高島易断の顕彰碑が建っている。
タイルに沿ってさらに進むと、やがて南への眺望は失われ、丘の上の住宅街の中を進む。左手に見える小さな公園の脇を進むと、やや大きな道路と交差する十字路に出る。公園の斜向かいの角には化粧品会社の研究所がある。そのまま真っ直ぐに進むと、丘の西端を回り込むように道が曲がって台町公園へと至る。交差点を左に折れ、曲がった坂道を降りてゆくと、丘の下の旧東海道へと抜け出る。ちょうど神奈川台関門跡の碑が建つ場所だ。
坂道の下、国道から逸れてすぐ右手には大綱金刀比羅神社がある。平安末期の創建という古社で、もともとは後方の山上にあり、飯綱権現、飯綱社などと呼ばれていたのだという。後に現在地に移り、琴平社を合祀して大綱金刀比羅神社となったものであるらしい。今は三宝寺の建物の横にひっそりと小さな社が建つだけだが、かつては船乗りたちの崇敬を集めた神社であったという。またこの神社前には日本橋から七つ目に当たる一里塚があった。現在の鳥居横あたりが塚跡という。
宮前商店街から青木橋を渡って旧東海道を辿ってくると、青木橋を渡るためにルートが屈曲するのだが、地図を見ると本来は宮前商店街からほぼ直線を描いて台の坂へ続いていただろうことがわかる。かつての東海道が鉄道路線によって分断されたことを示しているのだろう。
上台橋の下は泉町方面と横浜駅とを結ぶ道路が通っている。その道沿い、上台橋の北西側に沢渡中央公園という公園がある。疎らな木立の広場があるだけの公園だが、市街地の中に穏やかな空間を保っており、一休みには良い場所だ。「神奈川宿歴史の道」を示すタイルは上台橋からさらに少しばかり西に続くが、神奈川区から西区となってそれも途絶え、東海道は保土ヶ谷の宿を目指している。
京浜急行の神奈川駅を降りれば、宮前商店街や幸ヶ谷公園なども近い。それらを辿って「神奈川宿歴史の道」をさらに東へ辿るのもよいだろう。台町のあたりは横浜駅からもそれほど遠くはなく、横浜駅から台町や高島台方面を訪ねるのもよいだろう。台町の通りから高島台の丘の上の道へループを描くように「神奈川宿歴史の道」が辿っているが、それほどアップダウンを繰り返すようなコースではなく、歩くのも苦にならない。丘の上から今はビルの建ち並ぶ街を眺めながら、横浜開港期以前の景観を思い描くのはなかなか楽しい。