横浜市保土ヶ谷区西久保町
西久保町公園
Visited in April 2015
横浜市保土ヶ谷区西久保町の北端近く、今井川の河畔に西久保町公園という公園がある。広場を中心に構成された、1ha近い面積を有した公園だ。
相鉄線天王町駅を南へ出て、環状1号線を横切って東へ進むと今井川が流れている。今井川に架けられた南北橋を渡ると、目の前が西久保町公園だ。公園の東側と南側にはUR都市機構の西久保町公園ハイツの高層住宅が建っており、その向こうには東海道線の線路が通っている。西久保町公園は面積9000平方メートルの「近隣公園」で、おそらく公園の周囲に建ち並ぶ高層住宅に暮らす人たちが多く利用するのではないだろうか。
公園は平坦で、その中央部西寄りに、丸みを帯びた三角形(いわゆる“おむすび形”)の輪郭をした広場があり、公園の大部分をその広場が占めている。北東側の角には遊具類を設置した広場があるが、遊具は滑り台やブランコなど、必要最小限といった印象だ。南東側の角はおそらく公園のメインエントランス的役割の広場だろう。円形の二重リングのような構造物があるが、おそらくかつては円形のパーゴラだったのではないか。上部の木製の構造物が老朽化して取り外され、そのままになっている状態のように見える。それらの広場の隙間を埋めるように緑地帯が設けられ、木々が植栽され、散策路が巡っている。場所によってはわずかな起伏を与えて、風景の表情に変化が与えられている。
今回訪れたのは春の日の土曜日の午後、すでに夕方に近く、広場にはボール遊びをする中学生くらいのグループがいるだけだった。陽気の良い季節の休日には多くの人で賑わうらしい。隣接する住宅地に暮らす人たちにとって、すぐ近くにこのような公園があるのは素敵なことだと思える。高層住宅に暮らす人たちにとっては“共同の庭”のような役割も担っているのではないだろうか。
西久保町公園とUR都市機構の西久保町公園ハイツが建つ、この一角は、かつて日本金属工業株式会社という企業の横浜工場があったところだ。日本金属工業は1932年(昭和7年)に設立され、鉄鋼メーカーとして昭和初期から戦後の高度経済成長期に於ける日本の発展の一翼を担った企業だ。2012年(平成24年)に日新製鋼と経営統合、2014年(平成26年)には経営統合の際に発足した日新製鋼ホールディングスとの三社が合併、日新製鋼株式会社と社名を改めている。その日本金属工業は、金属工業の分野に携わったことのある人にはよく知られていることだが、日本で初めてステンレス鋼の国産化に成功した会社だ。と言うより、日本金属工業はそもそもステンレス鋼の製造を目的に設立された会社で、この地にあった横浜工場で1932年(昭和7年)、ステンレス鋼の圧延を行ったのが日本に於けるステンレス鋼製造の始まりである。その功績を顕彰するためか、公園西側に隣接する住宅地の擁壁に「ステンレス鋼発祥の地」の碑が取り付けられている。碑は、もちろんステンレス鋼製だ。興味のある人は見ておくといい。
西久保町公園ハイツに設けられた広場の一角、公園に面したところには、何やら鉄骨を組み合わせたようなオブジェが設けられている。直線を基調にしたデザインが無骨でありながら工業デザイン的な美しさを感じさせる。下に立って見上げると、春の青空の下、金属製の黒い構造物と高層住宅の建物との対比が不思議な興趣を醸し出している。このオブジェについて特に解説のようなものは見つけられなかったのだが、これもこの場所にかつて金属工業の企業の工場があったことへのメモリアルのような意味があるのだろうか。
西久保町公園は、近隣に暮らす人たちの憩いの場としての公園であり、遠方からの来園者を迎えるような性格は持っていない。来園者用の駐車場も設けられていない。しかし、そこにかつて日本金属工業という企業の工場があり、そこで初めてステンレス鋼の国産化が行われたという事実は、興味のある人には訪ねてみたいと思えるものかもしれない。今は公園と高層住宅の建物が美しい風景を織り成すところだが、かつて鉄鋼メーカーの工場があった頃の光景を思い浮かべてみるのも一興かもしれない。