「池辺富士」は1796年(寛政8年)に建立されたものという。現在の横浜市都筑区から青葉区にかけての地域には、かつて七基の富士塚が存在していたという。港北ニュータウンが開発される以前、この辺りは丘の上に畑地が広がるばかりの、長閑なところだった。場所によっては遠く富士山の姿を眺めることもできて、だから富士山信仰も盛んだったのかもしれない。自分たちの暮らす土地にも富士を象って塚を築き、信仰の対象としたのだろう。
それらの富士塚は港北ニュータウンなどの宅地開発のために大部分が失われた。残っているのは「山田富士」と「
川和富士」、そしてこの「池辺富士」の三基のみである。そのうちの「山田富士」は今は公園の中に残され、「川和富士」は本来の場所から移されて新しい姿に生まれ変わっている。この「池辺富士」は畑地の直中に残り、昔ながらの風景を今に残す貴重な存在と言っていい。
周囲を畑地に囲まれて、「池辺富士」は風趣に富んだ姿を見せる。草木に包まれてこんもりとした姿は、少し可愛らしい印象もある。特に塚の西側から眺めれば、畑越しにその全貌を見ることができる。本来は美しい円錐形をした塚だが、周囲に茂った木々によってその形状がよくわからないのが残念なところかもしれない。木々が葉を落とした冬に訪れると、塚の輪郭がよくわかるだろう。
塚の東側に回れば、塚に登る小径がある。“登山道”の入口には鳥居が立っており、塚が信仰の対象であることを物語っている。
2007年(平成19年)に訪れた時には古びた木製の鳥居だったが、今回訪れたとき、真新しいコンクリート製のものに改築されていた。2016年(平成28年)6月に建立されたものという。鳥居には「浅間社」とある。今もこうして、地域の人々の信仰の対象であり続け、整備が施されているのだ。決して過去の遺物としてうち捨てられているのではない。
小径を辿れば塚の頂上部に登ることができる。頂上部には小さな石の祠が祀られている。祠の前に供物があるところを見ると、日常的にお参りに訪れる人もあるのだろう。「池辺富士」は高さ8mほど。この辺りはそもそも標高50〜60mほどの丘陵地だから、頂上部からは周囲に視界が開けて爽快な眺望が楽しめる。特に南に向けての眺望が素晴らしく、眼下に池辺町の景観を見下ろし、その向こうには遠く新横浜プリンスホテルの円柱形のタワー棟や、みなとみらいのビル群、横浜ベイブリッジなどの姿を見ることができる。それらは双眼鏡や望遠レンズを装着したカメラなどが無いと遠く小さいが、広々とした視界の中にその姿を探すのも楽しい。かつてこの塚を築いた人々も、こうしてここからの眺望を楽しんだのだろうか。その頃、ここからはどんな景色が見えたのだろう。
前回訪れた時は散策の途中だったこともあり、あまり時間をかけることができなかったが、今回はじっくりと「池辺富士」を堪能することができた。鳥居が新しいものになっており、今も人々の信仰が篤いことを知ることができたのは嬉しいことだった。そうやって地元の人々に守られながら、永く「池辺富士」が残ってゆくことを願う。