横浜市都筑区北山田
山田富士公園
Visited in May 2017
横浜市都筑区北山田、横浜市営地下鉄グリーンラインの「北山田駅」のすぐ近く、北西側に「山田富士公園」という公園がある。広場と雑木林から構成された公園で、その名のように園内には「山田富士」が昔の表情を残したまま保たれている。
「山田富士公園」の「山田」は「やまた(yamata)」と読む。「やまだ(yamada)」ではない。山田の名は、明治中頃までこの辺りに存在した「山田村」に因んだものだ。山田村は1889年(明治22年)に周辺の勝田村、牛久保村、茅ヶ崎村、大棚村と合併、中川村の一部になった。その中川村は1939年(昭和14年)に横浜市に編入され、横浜市港北区の一部になっている。1994年(平成6年)には横浜市港北区と緑区の2区が港北区、緑区、青葉区、都筑区の4区に再編成され、旧山田村の村域は現在横浜市都筑区に位置しているというわけだ。横浜市営地下鉄グリーンラインにも「北山田駅」と「東山田駅」が存在するが、その周辺に広がる「東山田」、「南山田」、「北山田」の町域が、かつての山田村の村域に当たるという。
かつての山田村は谷戸と里山の入り組む、長閑な田園地帯だったらしい。そこに「山田富士」と呼ばれる富士塚があった。文化文政期(1804〜1829年)に編纂された「新編武蔵風土記稿」にも「太子堂山 北ノ方ニアリ此山ニ富士塚トテ高サ十丈ハカリアリ又半腹ニ至リテ太子堂ヲ建ツ」との記述があり、古い時代から存在していたことがわかる。その頃には富士塚の辺りは小高い丘陵地で、その丘陵の一角に太子堂が建っており、そこから丘は太子堂山と呼ばれていたのだろう。当時は長泉寺の寺領だったらしい。その富士塚が港北ニュータウン造成を経て、今は山田富士公園の一部となって残っている。
山田富士公園は横浜市営地下鉄グリーンライン「北山田駅」のすぐ北側に位置している。駅から徒歩数分といったところだろう。面積は3.7haほど、港北ニュータウン内の公園としては比較的規模の大きい方だと言っていい。公園は西側に雑木林の丘を抱え、東側に池を配した広場を設けた構成になっている。東側の広場がもっぱら地元の人たちの憩いの場で、西側の雑木林に足を踏み入れる人は少ないようだ。
山田富士公園は横浜市営地下鉄グリーンライン「北山田駅」のすぐ北側に位置している。駅から徒歩数分といったところだろう。面積は3.7haほど、港北ニュータウン内の公園としては比較的規模の大きい方だと言っていい。公園は西側に雑木林の丘を抱え、東側に池を配した広場を設けた構成になっている。東側の広場がもっぱら地元の人たちの憩いの場で、西側の雑木林に足を踏み入れる人は少ないようだ。
その丘陵部の南側に富士塚がある。頂上部分の標高は40m。「新編武蔵風土記稿」には「高サ十丈ハカリアリ」とあるから、高さ30mほどということになるが、おそらく目視による推測で、正確な測量などは行っていないのだろう。「高さ」をどのように考えるかにもよるが、公園東側の広場部分と富士塚頂上部との標高差が20mほどだから、「新編武蔵風土記稿」の「十丈ハカリ」との差異は誤差の範囲か。富士塚は、おそらく昔から今のような姿だったのだろう。
山田富士公園は北山田の町に暮らす人たちの憩いの場としての公園と言っていい。その公園に、昔からこの地にあった富士塚を残したということだろう。港北ニュータウンに残された富士塚があるという点では、そうしたものに興味のある人ならぜひとも一度は訪れてみたい公園だろう。富士塚を見学し、その後は公園の広場でのんびりと過ごすというもの、素敵な休日の過ごし方かもしれない。
山田富士公園の東側には横浜国際プールが隣接しており、施設の西側部分には緑地スペースが設けられている。山田富士公園と併せて散策を楽しむのがお勧めだ。横浜国際プールの建物の造形も興味深く、建物に興味のある人ならそれも見逃せない。山田富士公園南側には「ふじやとのみち」という緑道が延びている。「ふじやとのみち」を辿って近隣の公園を巡ってみるのも楽しい。
山田富士公園の東側には横浜国際プールが隣接しており、施設の西側部分には緑地スペースが設けられている。山田富士公園と併せて散策を楽しむのがお勧めだ。横浜国際プールの建物の造形も興味深く、建物に興味のある人ならそれも見逃せない。山田富士公園南側には「ふじやとのみち」という緑道が延びている。「ふじやとのみち」を辿って近隣の公園を巡ってみるのも楽しい。