相模原市中央区上溝
てるて姫の里
ロマン探訪の小路
Visited in May 2015
新緑の眩しい五月の半ば、JR相模線の上溝駅に降りた。上溝駅から北西の方角へ、姥川に沿って歩き、
横山丘陵緑地などを訪ねてみたいと思ったのだった。この辺りは照手姫伝説の残るところだ。中世の頃にこの地を治めていた横山氏の娘、照手姫と、常陸の国の武将、小栗判官との悲恋物語というのが伝説の基本骨格だが、照手姫の伝説は説経節や浄瑠璃、歌舞伎の題材となって日本各地に広められ、そのため各地に伝承地があり、物語にはさまざまなヴァリエーションが存在する。広まってゆくうちに創作が付け加えられたり、細部が変わってしまったりしたのだろう。上溝は、その照手姫の生誕の地だそうだ。それに因んで、上溝駅から照手姫伝承地である
横山丘陵緑地奥までを繋いで「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」という散策ルートが設定されている。そのルートに沿って歩いてみたい。
「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」は、基本的には上溝駅から姥川を遡る形だが、姥川沿いを辿る前に上溝駅北側の丘に立ち寄っておきたい。上溝駅から県道57号線の北側へと歩道橋を渡ると、相模線の線路の東側に木々の茂った丘がある。“丘”は南北に延びる河岸段丘の段上に当たる。そこへ散策路が設けられ、木々の間を縫って延びている。散策路入口には「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」のイラストマップを描いた案内板が設けられている。この案内板に目を通し、予備知識を得てゆこう。
散策路を辿ってゆくと相模線の線路を見下ろす端部に出て、そこからは西に眺望が開けている。すぐ南側には上溝駅のホームが間近に見え、発着する相模線の車両の姿もよく見える。さらに高みに上がって遠くを臨めば丹沢の山々のシルエットが霞み、大山の姿も見ることができる。散策路脇にはベンチが設けられている。ベンチに腰を下ろしてのんびりと眺望を楽しむのも素敵なひとときだ。
緑地内には現在の
横山公園内にかつて在った「神奈川県園芸試験場相模原分場」で作出されたというハナモモの品種「照手紅」なども植えられている。ハナモモの花期に訪れると、より楽しめるだろう。
崖端部の散策路をさらに北へ辿れば相模原市立上溝中学校の横を抜けて
横山公園へと抜けることができるが、今回はここで引き返し、姥川沿いの散策へと歩を進めることにしよう。
上溝駅から県道57号線を西へ辿る。県道57号線には「てるて通り」という愛称が付けられているようだ。「てるて通り」を西へ辿れば500mほどで「上溝本町」交差点、県道46号線と丁字路を成している。この交差点を中心にした地域が上溝の中心地という印象だ。県道46号線や「てるて通り」沿いに商店などが建ち並んで繁華な佇まいを見せる。
上溝駅から「てるて通り」を西へ200mほど辿ったところで「てるて橋」が姥川を跨いでいる。てるて橋の袂から姥川左岸部の道を北へ辿ろう。道はすぐに姥川から離れてしまい、姥川河岸を辿ることはできないようだ。商業施設と駐車場に挟まれた横を抜けて北へ進む。
てるて橋から150mほど進んだところで、道脇に「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」の道標が立てられていた。この先、800mで「鏡の泉」、1200mで「照手姫遺跡の碑」だそうだ。矢印の指し示す方向へと進んでゆこう。50mほど進むと舗装路は終わりだ。眼前には木々の茂った緑地が横たわっている。段丘崖下に残された緑地のようだ。その林の中へ未舗装の細い散策路が延びている。
上溝の繁華街からそれほど離れていないというのに、林の中は別世界のような印象だ。木々は鬱蒼と茂り、その中に分け入るように山道のような小径が延びている。小径はところどころで小さな起伏を越え、木道を渡りながら北へ辿る。すぐ東側には相模線の線路が通り、その向こう、段丘崖の上には上溝中学校と
横山公園があるはずだが、林の中からはまったく見ることができない。時折聞こえる電車の音で線路が近いことがわかる。
林の中をしばらく進むと、再び「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」の道標があった。「鏡の泉」まで500mということだから、さきほどの道標から300mほど進んだことになる。林の中の小径は、少なくとも200mほどはあったのだろう。
小径は唐突に林の中から住宅地へ抜け出る。住宅が並ぶ中を辿ると姥川の河岸に出た。県道503号線が姥川を越えている。県道503号線は姥川から400mほど南の「上溝」交差点が起点で、北は都道503号線となって立川市の日野橋交差点までを繋いでいる。県道503号線が姥川を跨ぐ橋は日金沢橋、橋には「ひかねざわばし」と記されているが、土地の名としては「ひがねざわ」と読むのが一般的らしい。橋の袂には古い道標や道祖神らしい碑が並んでいる。この辺りに点在していたものを集めたものだろう。道標には、南に向かえば大山や厚木、平塚に至る旨が記されている。昔から大山や平塚へと向かう重要な道だったのだろう。
日金沢橋の欄干部には泉で水を汲む照手姫のレリーフが設けられ、その横に「日金沢」の地名の由来を記したパネルが設置されている。「この地に住んだと伝わる横山将監の娘照手姫はこの沢のほとりからわく清水をつかい日に日に紅かねをつけ粧いこらしたという」とのことである。
日金沢橋から北を見れば、段丘上に上がっていく県道の両脇に青々と木々が茂っている。右手、段丘崖の斜面林の向こうは
横山公園だ。左手は
横山丘陵緑地、その向こうには照手姫を祀る榎木神社が鎮座しているが、榎木神社に参拝するのはまた別の機会にしよう。橋の上から姥川を覗いてみれば、下流側は大きな溝とでもいうような様相で、両岸には住宅が建ち並んでいる。上流側は右岸側には住宅が並び、左岸側は緑地の木々が川面を覆うように葉を茂らせている。
日金沢橋の袂から
横山丘陵緑地へと入ってゆこう。県道503号線に面したところから小径が緑地の中へ延びている。その脇に大きなユリノキが育っており、訪れたとき、枝の高みに花を見ることができた。小径は段丘の斜面の中ほどを辿ってゆく。小径の両脇には木々が鬱蒼と茂っている。途中、展望所らしい木製のデッキが設けられていたが、眼前には木々が茂って展望を楽しむことはできない。冬になって落葉樹が葉を落とせば、また印象が違うのかもしれない。
少し行くと真っ直ぐに伸びる小径から斜面を下る小径が分かれている。分岐点には「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」の道標が立てられており、斜面下へ降りれば50mで「鏡の泉」だそうだ。下ってゆくと姥川河岸に設けられた小径へ抜け出た。河岸に出ると姥川左岸に横たわる
横山丘陵緑地様子がよくわかる。木々の緑が溢れるように河岸の斜面を覆っている。河岸の小径を辿ってゆくと「鏡の泉」があった。要するに崖下の湧水だ。かつて照手姫が化粧に湧き出る清水を用いたという伝説から、“照手姫がその身を水面に映したかもしれない”ということで「鏡の泉」と名付けられているようだ。特に“伝説の地”を思わせるような印象は感じられないが、照手姫の時代にはこの辺りの風景もずいぶんと違っていたのだろう。
「鏡の泉」の脇から小径が斜面を上っている。このまま河岸の小径を辿ってみたい気もするが、いったん元の小径へと戻って上流側へと辿ることにしよう。
林の中の小径を辿ってゆくと、ふいに舗装路へ抜け出た。舗装路とは言ってもそれほど広い道ではない。車一台がようやく通れるかというほどの幅の坂道が、途中で大きく屈曲しながら崖上と崖下を繋いでいる。ちょうとその屈曲点へと抜け出た形だ。ここまでが
横山丘陵緑地の「日金沢上地区」であるようだ。坂道には「せどむら坂」との名があるようで、緑地入口脇に地名標柱が設けられていた。その標柱に記されているところによれば、坂下の集落を「せどむら」と言ったことから、「せどむら坂」の名があるという。「せどむら坂」脇の崖面は土が剥き出しのままで、昔からの様相を残している。今はなんとか車の通行も可能な道になっているが、昔はもっと狭い急坂だったようで、1896年(明治29年)頃に地元有志によって改良工事が行われたのだそうだ。「せどむら坂」を降りてゆこう。坂の途中、道脇の崖面に不思議な穴が二つある。何のための穴なのかよくわかっていないらしい。
「せどむら坂」を降りきると姥川の河岸だ。橋が姥川を跨いでいる。橋は、容易に推測できるが、「せどむら橋」という名だ。橋の袂にはフェンスで囲まれて道祖神や庚申塔などが並んだ一角がある。これも周辺に点在していたものを一カ所に集めたものだろう。「せどむら坂」から「せどむら橋」を経て延びる道が、今は上溝一丁目と上溝四丁目の町の境になっている。「せどむら橋」を渡った姥川右岸は住宅地だ。昔を偲ばせる風景もところどころに残ってはいるが、畑地はほとんど残ってはいないようだ。かつて存在した「せどむら」の集落も、今は坂や橋のなどに残るのみということだろうか。
「せどむら橋」から上流側の姥川左岸が
横山丘陵緑地の「姥沢地区」だ。「日金沢上地区」はほぼすべてを斜面林が占めていたが、「姥沢地区」は姥川左岸の低地、湿地が中心となっているようだ。「せどむら橋」袂の緑地入口脇に相模原市教育委員会の名で「相模原市登録史跡 照手姫伝説伝承地」であることを示す案内板が設置されている。緑地の南側部分、すなわち「せどむら橋」に近い辺りには姥川河岸に沿って延びる小高い堤と斜面林に挟まれて広場があり、その奥には四阿が建てられている。辺りは木々に包まれてひっそりとしている。四阿の脇には「姥沢幻想の碑」が建てられている。碑には絵が描かれているが、幼い照手姫と乳母の日野金子が言葉を交わしている様子らしい。何やら昔話のひとこまのような絵である。さらに奥へと進むと湿地に木道が渡され、辿ってゆけば緑地の最奥部に至る。最奥部には「照手姫遺跡の碑」が建てられている。そもそもは姥川最上流部の水源地に建てられたものらしいが、現在はこうして横山丘陵緑地姥沢地区の最奥部に移設されている。ここが「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」の終端であるようだ。
横山丘陵緑地から北へ抜け出ると住宅地だ。この辺りは上溝一丁目の最北部に当たる。住宅街には真新しい住宅も建っている。その中の道を辿ってゆくとやがて姥川が近くなる。住宅地の中、姥川を跨ぐ小さな橋があった。軽自動車なら何とか通れるだろうかというほどの狭い橋だが、何やら興趣のある佇まいだ。何という名の橋か、名標を探してみたのだが見つからなかった。橋の上から姥川上流部を見ると、水門のような施設が見える。回り込んで、その横へと行ってみた。水門の先には姥川の流れは見えない。暗渠になっているようだ。姥川に沿って辿ってみるのもここが終点というわけだ。そのまま進むと国道129号に出た。県道508号と立体交差になっている「作ノ口」交差点の脇だ。ここが上溝一丁目の北端部、ここから北は下九沢地区になる。区切りが良いので、この辺りでそろそろ上溝駅へと戻ることにしよう。
上溝駅から
横山丘陵緑地姥沢地区の最奥部へ、姥川に沿いながら、「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」を辿って歩いてみた。照手姫の伝説の残る土地だが、伝承のどこまでが史実かも今では判然としない。伝説は伝説として楽しめばよいのだろう。帰路もまた姥川に沿って上溝駅へ戻るのも悪くはないが、「作ノ口」交差点からなら鳩川も近い。
鳩川に沿うようにルートを選んで上溝駅を目指すことにしよう。