横浜線沿線散歩街角散歩
八王子市宇津貫町
宇津貫毘沙門天のスダジイ
Visited in November 1998
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
宇津貫毘沙門天のスダジイ遠景
JR横浜線の「八王子みなみ野駅」の200メートルほど南側、線路脇にこんもりと樹の繁った小さな丘がある。「みなみ野シティ」の造成中で殺風景な辺りの景色の中で、それは妙に目立つ。横浜線の線路のすぐ横なので車内から見たことのある人も多いだろう。この丘には宇津貫毘沙門天が祀られており、境内には八王子市指定の天然記念物であるスダジイの大木があるのだ。おそらくそのために「みなみ野シティ」の開発の際にもここだけは手つかずで残されることになったのだろう。周囲の状況から見て以前はもっと大きな丘陵の一部だったのだろうと思われるが、今では山は削り取られ、平らな造成地となった光景の中にまるで孤島のように浮かんでいる。
【追記】
本頁の内容は「八王子みなみ野シティ」の住宅街がまだ造成中だった1998年(平成10年)に宇津貫毘沙門天を訪ねたときのものである。この後、「八王子みなみ野シティ」の造成開発は進み、宇津貫毘沙門天の辺りは「みなみ野二丁目」となった。毘沙門天とスダジイの周辺は「みなみ野毘沙門の丘緑地」として整備されている。
宇津貫毘沙門天のスダジイ遠景
こんもりと繁るシイの樹の枝振りに惹かれて、かねてから訪れてみたいと思っていたのだが、いざ近づいてみると辿り着く道がなかなかわからないのだった。丘から線路を挟んで向かい側に立つと、入口の鳥居がすぐ前に見えるのだが、線路は渡れない。仕方なく大回りして線路の向こう側に行ってみても、造成地の中に新しく造られた道路からはまったく近づくことができないのだ。よくよく見ると工事中の造成地へ工事用車輌が出入りするゲートのひとつから、工事用車輌の通行路とは別に小さな道が奥へ続いているのを発見、「ここだ」と思い、意を決して入って行くと、まさにそこから毘沙門天へと続く狭い木道が造成地のただ中に設えられているのだった。
宇津貫毘沙門天入口付近
線路脇の入口に着くと小さな祠と鳥居などがあって、鳥居をくぐって登ってゆく狭い石段があった。かつてひっそりとした雑木林の中に在った頃のことを偲ばせる、昔懐かしい風景だ。が、振り返るとすぐそこには横浜線の線路がある。横浜線を隔てた向こう側にはすでに整然とした区画の中に新築の住宅が並んでおり、その風景の違いに時代の隔たりが感じられる。横浜線が通る以前は本当に静かな山里であったのだろう。今はわずかにここだけが時代に置き去りにされてしまっているようだ。ここが置き去りにされたことが寂しいのか、周囲が変わってゆくことが寂しいのか、風景のギャップがなぜか哀しい。
宇津貫毘沙門天のスダジイ 狭く急な石段はまるで異世界へ誘う通路のようだ。足元を確かめながら木漏れ日の中を歩く。石段を登り切るとそこはちょっとした広場のようになっている。中央にある小屋のような建物が毘沙門天の祠なのだろうか。周囲には塚などがあったり、イチョウの大木の姿もある。目当てのスダジイの大木は向かって左手、南側に大きく枝を伸ばした姿が見える。

石段下の鳥居の横にあった説明板によれば、樹齢はおよそ300年、目通り3.3メートル、樹高は20メートルだそうだ。高尾山中と由木地区以外でこの地方でシイを見るのは極めて希であるとも書かれてある。実に堂々とした見事な大木である。

スダジイの根本のすぐ南側は造成のために削り取られて斜面になっている。それほど高所であるわけでもないのだが視界が開けて周囲の景色がよく見渡せる。造成地でうごめくショベルカーやダンプカーがまるでおもちゃのようだ。山々が削られ、造成され、やがて近代的な建物が建ち並んで行く様を、齢300年のこのスダジイの大木はどんな思いで見つめているのだろう。かつてその周囲に数多く立ち並んでいただろう雑木林の仲間達は、すでにいない。
ここの住所は前述の説明板には「八王子市宇津貫町273番地」と書かれてあるが、造成が進み、周囲が住宅街となれば「八王子市みなみ野」となるのだろうか。整然とした近代的な住宅街の中に公園の一部として残されるのだろうか。やがてこの辺りがかつて雑木林の山だったことさえわからなくなる時が来るのだろう。その時もう一度このスダジイを見に訪れてみたいと思いながら、振り返りつつこの場所を後にしたのだった。
宇津貫毘沙門天入口付近