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八王子市みなみ野
八王子みなみ野駅から宇津貫公園へ
Visited in May 2009
八王子みなみ野駅から宇津貫公園へ
晴天に恵まれた五月の半ば、JR横浜線八王子みなみ野駅に降りた。駅前からみなみ野の街を歩き、駅南方の法華寺の裏手に造られた宇津貫公園を目指そうと思ったのだった。みなみ野は、以前は宇津貫町と呼ばれたところで、里山風景の広がる長閑な土地柄だったが、「八王子都市計画事業南八王子土地区画整理事業」によって住宅街として造成され、「八王子みなみ野シティ」という住宅街に変貌した。整然とした美しい街並みが姿を現したのはこの10年ほどのことだ。造成の真っ直中の頃に、みなみ野駅周辺を少し歩いたことがあったから、今回の散策で変貌ぶりを確かめたいという気持ちもあった。
八王子みなみ野駅前
八王子みなみ野駅を西側へ出ると駅前ロータリーがあり、路線バスや近郊の大学の送迎バスなどが発着している。その周辺にはさまざまな商業施設が建ち並んでいる。1998年6月、開業して1年ほどを過ぎた八王子みなみ野駅前を歩いたことがあった

その頃には駅前にはほとんど何もなく、造成された更地ばかりが広がっていた。駅前には「トワみなみ野」と名付けられた広場があり、スーパーや銀行、地域の歴史などを紹介した「みなみ野館」という施設があったが、すでに無く、「トワみなみ野」があった場所は塀で囲まれた更地になっていた。今では周辺に大型の店舗が建ち、「トワみなみ野」もその役割を終えたということなのだろう。やがてこの跡地にも別の新しい建物が建つのに違いない。
まず立ち寄りたいところがあった。八王子みなみ野駅の300mほど南の線路際に、宇津貫毘沙門天のお社があり、その傍らには八王子市の天然記念物に指定された樹齢300年のスダジイの木がある。このスダジイを見に、1998年11月に宇津貫毘沙門天を訪れたことがあった。その頃は宇津貫毘沙門天周辺は造成工事の真っ直中で、周囲には殺伐とした造成地の風景が広がり、わずかに樹木を残した宇津貫毘沙門天の丘が孤島のように見えたものだった。あれから10年を経て、宇津貫毘沙門天周辺はどうなっただろうか。

宇津貫毘沙門天
駅前の交差点から「アクロスモール」という商業施設を回り込んで線路際の道路へと辿る。道は横浜線の線路を左手に見下ろしながら、緩やかな下り坂だ。その坂を下りきる直前に、右手に宇津貫毘沙門天への石段の入口がある。石段の登り口付近は少しばかり整備の手が加えられたようだ。鳥居も新しいものになっている。狭く急な石段は昔のままのようだが、少し改修されているようにも見える。

宇津貫毘沙門天のスダジイ かつて1998年に訪れた時には毘沙門天の周囲は造成地で、丘の南斜面はただの崖だった。今は毘沙門天の周辺は「みなみ野毘沙門の丘緑地」として整備され、毘沙門天の南側斜面には毘沙門天の石段とは別に丘上に上る階段状の小径が造られている。その小径を登ってゆくと、頭上に見事な枝振りのスダジイの姿が見えた。「やあ、元気だったか」と、思わず心の中でつぶやく。足を止め、しばらくスダジイを見上げていた。

その緑濃く凛とした姿は、時代の変遷や土地の変貌といったものをまるで達観しているように見える。木々の茂る丘が殺風景な造成地へ姿を変え、やがて整然とした新しい街へ姿を変えても、このスダジイはただ葉を茂らせ、水を吸い、日の光を浴びて、その“生”の日々を重ねてきたのだ。樹木という存在に心惹かれるのは、そうした姿に崇敬と憧憬を感じるからかもしれない。

みなみ野二丁目からスダジイを見る
1998年当時、宇津貫毘沙門天の建つ場所は「宇津貫町273番地」だった。今では「みなみ野二丁目9番」だ。毘沙門天の南側は、当時は何もない造成地だったが今ではみなみ野二丁目の住宅街となって家々が建ち並んでいる。1998年に訪れたときと同じ角度から見てみたいと思い、住宅街の中へと歩を進めた。

あのとき、造成地の中に設けられた木道を辿って歩きながら、真正面に緑の孤島のような毘沙門天の丘を見たのはどのあたりだったろう。住宅街の中に立ち、時の流れというものに感慨を抱きながら建ち並ぶ家々の間に毘沙門天の丘を見た。
みなみ野菖蒲谷戸公園
宇津貫毘沙門天から駅前の交差点まで戻り、西側に広がるみなみ野三丁目の町へと歩を進めよう。現在の「みなみ野三丁目」の町のほぼ中央部に、かつて造成前には「菖蒲谷戸」という谷戸があった。現在の「子育てセンター」のある辺りから南東の方角へ向けて、宇津貫毘沙門天の少し南側辺りまで、兵衛川の支流の小さな川が流れており、その川に沿った谷戸だった。

現在では低地に沿った道路がわずかにその名残をとどめている。その「菖蒲谷戸」の名を残した「みなみ野菖蒲谷戸公園」という小公園がみなみ野三丁目の中央部にある。かつての「菖蒲谷戸」の南側斜面を利用して造られたと思われる地形で、公園は北側に低く、南側が高い。広場を中心に構成された、地域の人たちのための小公園だが、その名に昔の風景を偲んでみるのも一興だ。

公園の北側にはかつて菖蒲谷戸集会所があり、南側には小川が流れていた。この小川には「ばばあの水」という古地名がある。「ばばあの水」という名にはどんな由来があるのだろう。興味を覚えるところだ。

君田尾根緑地
「みなみ野菖蒲谷戸公園」の東側の道路を南西方向へと辿ってみよう。道はトウカエデの並木だ。周辺には整然として美しい街並みが広がっているが、その中に畑も残っている。トウカエデの並木道を歩く。やがて、みなみ野四丁目の町へと入り、東南側に視界が開けた。

道は丘上を辿っており、そこから東南側の街並みを見下ろし、その向こうには宇津貫公園の木々の緑が見えている。道脇の斜面は「君田尾根緑地」という名の緑地になっている。ここから見える南側の低地部分はかつて「君田谷戸」という名の谷戸で、家々が集まって集落を成していた。現在は緩やかな起伏の中に真新しい家々が並ぶ風景だが、その中に昔の風景を想像してみる。

秋葉山大権現
緑地の中の遊歩道を辿って、かつての「君田谷戸」へと降りてゆこう。宇津貫公園を目指し、住宅街の中の道を抜けてゆくと、家々の並ぶ中にひっそりと小さなお社がある。秋葉山大権現のお社らしい。

「秋葉山大権現講中世話人」の名で由来について記した案内板が立てられている。それに依れば、このお社はかつて「宇津貫町639番地(現在地より少し南西側か)」に祀られていたもので、「八王子みなみ野シティ」の区画整理事業によって2003年(平成15年)7月、ここに遷座されたものという。江戸中期の1789年(寛政元年)、五良右衛門という人物を世話人とした君田谷戸講中によって建立されたものらしい。

秋葉大権現は静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社を総本社とする信仰で、火を司る神である火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)を祀る。防火、鎮火の御利益で全国各地で信仰されており、君田谷戸でもそうした御利益を願って勧請したものだろう。
宇津貫公園
みなみ野四丁目の街を南へ抜け出ると、東西に延びる広い道路の向こうに宇津貫公園が横たわっている。宇津貫公園は雑木林の丘と広場から構成された公園で、その緑濃い佇まいは造成以前の宇津貫町の面影を残している。

公園は法華寺の裏手に当たり、公園内の丘はかつては「五平山」と呼ばれる山だったようだ。園内に残された雑木林にはさまざまな樹木や山野草が自生しているという。近代的な”ニュータウン”となったみなみ野の街に於いて、貴重な自然と言っていい。近くに暮らす人たちにとって心安らぐ憩いの場であることはもちろんだが、八王子みなみ野駅から歩ける距離ということで、学校や幼稚園などの遠足の場所となることもあるようだ。

宇津貫公園を一巡りした後は、園内のベンチに腰を降ろし、少し遅いランチタイムを楽しむことにしよう。緑溢れる公園でのアウトドアランチは快適なひとときだ。のんびりと一休みして、八王子みなみ野駅へ向かい、帰路を辿ることにしよう。
みなみ野が住宅街へと変貌してからは、初めてその街の中を歩いた。宇津貫毘沙門天の周辺など、その変貌ぶりには驚くばかりだが、随所に緑地を残した街の佇まいは美しく、散策も楽しい。この新しい街にも、また新しい歴史が刻まれてゆくのだろう。

造成される以前の宇津貫町から片倉町にかけての様子を後世に残そうという目的で、「宇津貫・片倉むかし道」と題された「絵地図」が発行されたことがある。「宇津貫みどりの会」という有志により、2002年(平成14年)に発行されたもので、広げるとA1サイズになる大きな「絵地図」だ。メインとなる「絵地図」には造成以前の宇津貫町の全景が描かれ、古い地名が記されている。本ページ記述中の古地名や位置関係などは、この「絵地図」を参考にした。発行に尽力された関係者の方々に、この場を借りてお礼を申し上げたい。
八王子みなみ野駅から宇津貫公園へ