相模原市鹿沼台〜矢部〜相模原
相模原の並木道
Visited in November 2001
市街地の木々も紅葉に染まり始めた11月中旬、相模原の市街地を歩いた。ケヤキやイチョウの並木の美しい国道16号を中心に、町歩きを楽しんでみたいと思ったのだった。国道16号は交通量も多く、決して散策の楽しい道ではないのだが、かねてから並木の美しさに惹かれていて、それらの木々が紅葉に染まる時期に歩いてみたいと思っていたのだ。
すっきりとした秋晴れの朝、横浜線を淵野辺で降り、鹿沼公園を目指した。春の桜や初夏の紫陽花で有名な鹿沼公園はあまり紅葉のことが語られることはないが、イチョウやモミジなどが秋の色に染まって園内を彩ってくれている。池のほとりのイチョウや西入口付近のモミジなどはなかなか見応えのあるものだ。
しらばく鹿沼公園の景観を楽しんだ後、西入口から国道16号へ向かった。残念ながら国道沿いのイチョウ並木はまだ緑のものが多く、期待していたような景観は望めない。それでもところどころ黄金に染まったイチョウの木もあり、歩道橋の上に立って眺めてみると、黄緑色のイチョウと赤茶色のケヤキとの織りなす景観がなかなか美しい。交通量の多い国道とその両脇に広がる市街地というのは、殺伐として乾いた印象になってしまうものだが、この並木のお陰でずいぶんと印象が変わり、潤いのある景観になっているような気がする。国道脇を歩いてみても、広く作られた歩道と並木のお陰なのか、国道の喧噪もそれほど気にならない。
しばらく国道16号に沿って歩き、矢部一丁目と二丁目の境の付近から東に入り込んだ。相模原市のこの辺りには「矢部」と付く地名がいくつかある。横浜線の矢部駅あたりを中心に、矢部一丁目から矢部四丁目、さらに矢部新田、矢部新町、上矢部といった地名が並ぶ。このあたりは今から三百年以上前の江戸時代初期、1600年代後半に江戸の商人相模屋助右衛門が開墾し、上矢部新田と呼ばれた土地だった。1684年(貞享元年)の検地で193町歩(約190ヘクタール)の開発面積が記録されているという。
その新田開墾に先立ち、稲荷社を創建、新田開発成就を祈願したのだという。稲荷社は松の巨木のあった場所を霊地として選んで建てられたのらしいが、もともと街道筋に小さな祠があったというから、おそらくは街道沿いに松の巨木があり、その袂に祠があったのだろう。その稲荷社が現在矢部二丁目の住宅街の中に鎮まる村富神社だ。名称は1952年(昭和27年)に「村富神社」と改称されているが、以前は村富稲荷と呼ばれていたようで、「村富」という名には開墾によって生まれた新しい村の繁栄を願う想いが込められているのだろう。1866年(慶応2年)に村の代表が京都伏見稲荷を参拝して神霊を拝受したと、境内の解説板には記されている。
現在の村富神社の周辺は整然とした住宅街が広がり、大きな通り沿いには商店なども多く立ち並ぶ土地柄だが、昭和初期には街道沿いに数十戸の農家が並ぶだけののどかな風景だったという。村の鎮守として三百年以上の歴史を持つ神社は二千坪を越える境内の中に多くの樹木を抱いて往時の面影を残す。樹木の中には相模原市の保存樹木に指定された桜や松、ケヤキなどの堂々とした姿もあり、それらの木々のこんもりと茂る様子は、少し離れたところからもよく目立つ。「見返りの松」と呼ばれた神社創建時の松の巨木はすでに無いが、かつては八王子から南下する街道の御殿峠からも見えたのだという。
どちらかと言えば質素なほどの佇まいを見せる社殿は、しかし村の鎮守として人々の信仰を集めてきた歴史の風格を携えている。境内の解説板によれば、1806年(文化3年)に制作された獅子頭三体が神社に保存されているという。社殿の傍らには相模屋助右衛門の霊を祀ったという社も建っている。その奥には「鎌倉街道見返りの松」の碑が建ち、神社創建時にこの地にあった御神木の名残をとどめている。傍らには「大松と白蛇伝説の地」と書かれた碑もある。松の巨木にまつわる伝説も残されているのだろう。
境内は木々に包まれて周囲とは異なる空気に包まれているが、神域としての厳粛さより人々の暮らしと共にあった親しみのようなものに満たされている。八月の例大祭には境内の神楽殿で舞いなどが奉納され、神輿や山車などが周辺を渡御して賑わうのだという。神社の南側には保育園や小さな公園が隣接している。訪れた日、境内には地元のお年寄りの憩う姿があった。神楽殿の前に腰を下ろす人たちは秋の日差しを浴びながら昔話でもしているのだろうか。周囲がまだのどかな農村であった頃の、子ども時代の日々を懐かしく思い出すこともあるに違いない。
現在の村富神社の周辺は整然とした住宅街が広がり、大きな通り沿いには商店なども多く立ち並ぶ土地柄だが、昭和初期には街道沿いに数十戸の農家が並ぶだけののどかな風景だったという。村の鎮守として三百年以上の歴史を持つ神社は二千坪を越える境内の中に多くの樹木を抱いて往時の面影を残す。樹木の中には相模原市の保存樹木に指定された桜や松、ケヤキなどの堂々とした姿もあり、それらの木々のこんもりと茂る様子は、少し離れたところからもよく目立つ。「見返りの松」と呼ばれた神社創建時の松の巨木はすでに無いが、かつては八王子から南下する街道の御殿峠からも見えたのだという。
どちらかと言えば質素なほどの佇まいを見せる社殿は、しかし村の鎮守として人々の信仰を集めてきた歴史の風格を携えている。境内の解説板によれば、1806年(文化3年)に制作された獅子頭三体が神社に保存されているという。社殿の傍らには相模屋助右衛門の霊を祀ったという社も建っている。その奥には「鎌倉街道見返りの松」の碑が建ち、神社創建時にこの地にあった御神木の名残をとどめている。傍らには「大松と白蛇伝説の地」と書かれた碑もある。松の巨木にまつわる伝説も残されているのだろう。
境内は木々に包まれて周囲とは異なる空気に包まれているが、神域としての厳粛さより人々の暮らしと共にあった親しみのようなものに満たされている。八月の例大祭には境内の神楽殿で舞いなどが奉納され、神輿や山車などが周辺を渡御して賑わうのだという。神社の南側には保育園や小さな公園が隣接している。訪れた日、境内には地元のお年寄りの憩う姿があった。神楽殿の前に腰を下ろす人たちは秋の日差しを浴びながら昔話でもしているのだろうか。周囲がまだのどかな農村であった頃の、子ども時代の日々を懐かしく思い出すこともあるに違いない。
村富神社から北へ進み、西門商店街へも立ち寄ってみる。西門商店街のある通りは矢部と相模原との境にも当たっており、南側が矢部一丁目、北側が相模原六丁目(線路側一部には五丁目、四丁目も)となる。道路の両脇には広い舗道が作られ、矢部側の歩道は樹木が主体の「木もれびの道」、相模原側は水が主体の「せせらぎの道」として、それぞれのコンセプトでまとめられている。「木もれびの道」も「せせらぎの道」も晩秋という季節のためか少々殺風景だが、初夏から夏にかけての季節にはまた印象も変わるのだろう。
歩いていると赤と青と対になった巨大な手の彫刻が目を引く。これは岡本太郎作のものという。それぞれに「呼ぶ 赤い手」、「呼ぶ 青い手」という名がある。他にも時計塔や、横手へ延びる商店街の大きなゲートなど、町づくりの工夫がなされているように見える。道脇に並ぶ商店では地元の人々がのんびりと買い物を楽しむ姿がある。いかにも地元の商店街という風情が楽しい。
西門商店街から再び国道16号へと戻り、北へ向かう。気のせいか、北へ辿るほどに並木のイチョウは黄葉の進んだ木が多くなるようにも思える。赤茶色のケヤキと黄金色のイチョウと、対照的な形状で並ぶ並木が美しい景観を見せる場所もあって、ふと立ち止まって見上げてしまう。
さらに歩けば「相模原駅入口」の交差点。左手、西へ向かえばアイワールドなどがあって買い物客で賑わう場所だが、こちらは買い物が目的ではないので、そのまま右へ曲がって相模原駅へ向かう。この通りは「さがみ夢大通り」というのだそうで、整然とした歩道にイチョウ並木が美しい。この並木のイチョウはそれほど大きくはないのだが、すっかり黄金に染まって散策の目を楽しませてくれた。
国道16号の並木は「相模原駅入口」の交差点を過ぎてさらに橋本方面へと続く。そのまま並木が途切れるまで歩き通して、橋本駅から帰路を辿るのも悪くないだろう。今回は国道16号の並木が主な目的だったのだが、16号沿いのルートから逸れて住宅街の中を気の向くままにシグザグに歩いてみるのも、それなりにさまざまな発見があって楽しいような気がする。