横浜市港北区太尾町
大倉山公園
Visited in April 2006
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
東急東横線大倉山駅の北西側の丘の上に、大倉山公園がある。木々に包まれた丘の上に広場などを設けた公園だが、その中に建つ
大倉山記念館や、北側の谷戸に広がる
梅林などがよく知られている。
大倉山駅を出ると、線路のすぐ西側に北側の丘に上ってゆく坂道がある。けっこう急な坂道だ。それほど広い道ではないが車両の通行もある。上ってゆくとやがて道は少し西よりに折れて勾配が緩やかになる。道の右手(北側)は大曽根台の住宅地で、道の右手(南側)はすでに大倉山公園の南端部だ。ベンチを配した小さな広場があり、ハナミズキの並木となった遊歩道が北へ延びている。訪れたのは4月の半ば、広場ではツツジが鮮やかに咲き、白いハナミズキが遊歩道を彩っている。ハナミズキの遊歩道を登り詰めるとまた小さな広場があり、中央部に大きなヤマボウシの木が枝を広げている。園内に設置された公園案内図によれば、この辺りは「入口広場」と名付けられている。大倉山駅から訪れる人にとっては公園のエントランスに当たる場所となるからだろう。
「入口広場」から北側へ進むと、さらに一段上がるような形で木々に包まれた広場に出る。正面に大倉山記念館が建ち、広場は「記念館前広場」と名付けられている。
大倉山記念館は横浜市の有形文化財に指定されたもので、園内に設置された解説によれば、そもそもは実業家大倉邦彦が大倉精神文化研究所の本館として1932年(昭和7年)に建築したものという。ギリシャ神殿を彷彿とさせる意匠の建物は堂々として、周囲を圧倒するような佇まいだ。大倉山記念館は内部も一般に公開され、自由に見学することができる。訪れたときには正面玄関横の花壇にチューリップが咲き、景観に色彩と潤いを与えていた。緑濃い丘に建つ大倉山記念館はなかなか「絵になる」景観だ。「記念館前広場」のあちらこちらにスケッチを楽しむ人の姿があった。
大倉山記念館の西側には「記念館前広場」から奧へ延びたような形で「ピクニック園地」と名付けられた一角がある。木々に囲まれた草はらの広場で、脇の方にはベンチを配し、中央部に印象的に二本のホウの木が立っている。木立に包まれた穏やかな佇まいの一角で、「ピクニック園地」の名が示すように木陰にシートを広げてのんびりと過ごすのに良い場所だろう。桜の木も少なくないようだから花期には美しい景観を見せてくれることだろう。訪れたときにはもちろんすでに葉桜だが、脇の方で一本の八重桜が花を残していた。広場は静けさに満ち、車や電車の音などもほとんど聞こえてはこない。
大倉山記念館の傍らに寄り添うように立つ大きなクスノキの横を通り抜けてさらに北へ進む。大倉山駅の横から上ってきた道路がここでUターンするように屈曲して東へ降りている。その横に公園管理所が置かれている。管理所脇からは東への眺望が開けている。公園管理所の北側には雑木林がある。小規模の雑木林だが木立の中を散策路が辿り、ベンチも置かれている。ちょうど散策を楽しむ人の姿があった。桜の木も少なくないようで、桜の花の季節には美しい景観を見せてくれることだろう。
公園管理所の西には道路を挟んでちょっとした広場がある。「展望広場」と名付けられており、木々の隙間から南側への眺望が楽しめる。「広場」というほど広いわけではないが、四阿も置かれ、木々に囲まれた丘の上の休憩場所といった様相だ。この広場の隅には子どもたちのための遊具が設置されている。「子供の遊び場」と名付けられているが、複合遊具がひとつ置かれているだけで、それほど充実したものではないように思える。訪れたときにも子どもたちの遊ぶ姿はなかった。「展望広場」から西へ尾根筋が延び、奧は「花木園」になっている。
「展望広場」の北側の谷戸が有名な
梅林だ。そもそもは西に隣接する龍松院の地所だった土地を東京急行電鉄が乗客誘致のために買収して梅林を整備し、1931年(昭和6年)に公開したのが始まりであるという。初めは地名に因んで太尾公園という名だったようだが、1934年(昭和9年)に大倉山公園に改められたものという。開園当初は1000本を超える規模だったらしが、現在は150本ほどの梅が植えられているという。大倉山公園の梅林は近郊では屈指の梅の名所として知られ、毎年早春になると大勢の観梅客が訪れて賑わっている。緑の葉を茂らせた梅林はひっそりとしており、花の咲く季節とはまた違った魅力が感じられる。池や四阿を配した園内は穏やかな和風庭園としても充分に魅力的で、ゆったりとした散策が楽しめる。
梅林と
大倉山記念館で知られる大倉山公園だが、公園自体も緑濃く穏やかな佇まいが充分に魅力的だ。丘の上に位置する公園だが、深い木々に覆われて眺望を楽しめるところがあまり多くないのは少しばかり残念なところかもしれない。
梅や
桜、花水木、あるいは
秋の紅葉など、四季それぞれの表情を楽しみながらの散策がお薦めと言えるだろう。
【追記】
東急線大倉山駅周辺はかつては「太尾町」の一部だったが、2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて住居表示の変更が行われ、「大倉山(一丁目〜七丁目)」の町名が誕生した。大倉山公園はほぼ「大倉山二丁目」に位置し、「大倉山エルム通り」は「大倉山二丁目」と「大倉山三丁目」の境となっているようだ。以前は「大倉山」は公園や駅の名として存在するのみで、地名としてはあくまで通称だったのだが、この住居表示変更によって名実ともに「大倉山」となった。