横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市中区山手町
山手公園
Visited in May 2003
山手公園
山手本通りからカトリック山手教会横の小径を南へ入り込んでゆくと、フェリス女学院大学の南側に深い木立に包まれて山手公園がある。山手公園は横浜開港期に山手の居留地に暮らした外国人たちのために造られた公園が発祥だ。開園は1870年(明治3年)のことで、日本にはまだ「公園」という概念が存在していなかった時代だ。1876年開園の横浜公園より6年早く、1903年(明治36年)に開園した東京の日比谷公園より30年以上も早い。そのために「日本初の西洋式公園」として横浜の歴史の中にその名を刻んでいる。
山手公園

また、山手公園は日本に於けるテニス発祥の地としても知られ、園内には「日本庭球発祥の地」碑が置かれている。山手公園は旧山手居留地に暮らす外国人たちが日本政府から土地を借り受けて開園したものだが、その地代や維持費の捻出のために「レディス・ローンテニス&クロッケー・クラブ(LLT&CC)」に貸与され、このクラブが公園内にコートを設置したのが始まりであったという。このクラブは公園全体の管理も委託され、山手公園の歴史はまさにテニスと共にあったと言ってもよいだろう。現在もクラブハウスとして使われている建物は関東大震災後に外国人住宅として建てられた旧山手68番館である。
山手公園/「日本庭球発祥の地」碑山手公園/クラブハウス

1998年4月には居留地時代のテニスクラブに由来するYITC(ヨコハマ・インターナショナル・テニス・コミュニティ)の創立120周年を記念して、「横浜山手・テニス発祥記念館」が造られている。館内には山手公園やテニスの歴史などのパネル展示や昔のテニスウエアなどの展示もあり、テニス好きな人には興味の尽きないものだろう。現在の山手公園には12面のコートがあり、うち6面はYITCの占有なのだそうだが、残り6面は一般にも解放され、広く市民に利用されている。
山手公園/横浜山手・テニス発祥記念館山手公園/テニスコート
丘陵の斜面に造られた山手公園は木立に囲まれた静かな公園で、山手本通りから少しばかり奥まっているせいか観光客の姿も少ない。テニス発祥記念館とテニスコートが並ぶ横には芝生の広場があり、地元の人たちが散策を楽しんでいたりする。広場の端からは南側へ視界が開けて眺望も良く、時の経つのを忘れてのんびりと穏やかなひとときを過ごすことができる。木立の中を辿る散策路を降りてゆくと、斜面の中ほどには遊具を配した広場もあるが、子どもたちの遊ぶ姿を見ることはあまりない。

公園を包み込むように茂る木立は大木も多く、公園の長い歴史を物語っているようでもある。また、「名所」として言及されることは少ないようだが、山手公園は桜も見事だ。桜の盛りの時期にも地元の人たちがお花見を楽しんでいる程度で、大勢の花見客が詰めかけることはあまりないようだ。静かで穏やかなお花見を好む人にはお勧めの場所だろう。
山手公園山手公園

ボールを叩くラケットの音がテニスコートに響くのを聞きながら、ふと百年以上も前の、外国人居留地の人々がこの公園を散策していた頃の光景を思い描いてみたりする。その頃はおそらく今よりもっと静かで緑も豊かだっただろう。緑濃い丘陵の眼下に見える風景には現在ほど民家は無く、のどかなものであったことだろう。その頃にもテニスに興じる人々の楽しむ声がこの穏やかな公園に響いていたのだろう。イギリスやフランスといった国々から遠い極東の島国に訪れた人々は、何を思いながらこの丘を歩いたのだろうか。
山手公園