横浜線沿線散歩街角散歩
町田市原町田〜相模原市古淵
境川河畔
(原町田〜古淵)
Visited in November 2004
境川河畔
11月初旬のよく晴れた日、境川の河畔を歩いた。今回は横浜線の町田駅から古淵駅までを歩こう。この区間の境川河岸の様子は横浜線の車窓からもよく見える。緑に溢れた風景を眺めながら、いつか機会を設けてゆっくりと歩いてみたいと思っていたのだ。
境橋
横浜線町田駅を出て境川の河岸へと向かう。以前、鶴間のあたりから町田駅までを歩いた時、境橋を境川河岸散策の終点に選んだから、今回はやはり境橋から始めることにしよう。境川は都県境だ。町田駅のある左岸側は東京都町田市、境橋を渡った右岸側は神奈川県相模原市になる。左岸側の河岸に設けられた舗道を上流側へと歩いてゆく。境橋から駅周辺にかけては人々の雑踏が交錯しているが、河岸の舗道は驚くほど人の姿が少ない。

舗道脇にビルに囲まれてぽっかりと「原町田境橋広場」というスペースがあったりする。「広場」とはいうものの面積はわずかに149平方メートル、ちょっとした休憩スペースといったところだ。このあたりがちょうど町田駅の南側になる。川の両側にビルが建ち並んでいる。ほんのわずかに距離を隔てているだけなのだが、河岸は喧噪から遠く、どちらかと言えば静かな佇まいだ。

境川河岸
上流側に歩いてゆく。千寿橋、鹿島橋とふたつの小さな橋を過ぎると谷口橋、目の前で小田急線が川を越えている。小田急の線路をくぐるとすぐに下森(しももり)橋、それを過ぎると河岸の風景が変わる。高いビルが少なくなり、視界が開けてくる。河岸の舗道は「境川自転車歩行者専用道路」である旨の標識がある。舗道を行き交う人はあまりいない。自転車で通り過ぎる人や親子連れなどとときおりすれ違う。右手左岸側に都営住宅が並ぶ横を歩く。川面を覗くと鴨や鯉の姿がある。
幸延寺
やがて橋がある。幸延寺橋という。右岸の相模原市側へと幸延寺橋を渡った。橋を渡ると坂道になる。「幸延寺坂」というのだそうだ。坂を登ってゆくと途中右手に幸延寺が建っている。設置された案内板に依れば、山号を福寿山といい、日蓮宗鎌倉妙本寺の末寺であるとのことだ。三宝祖師と鬼子母神を本尊とし、善巧院日旭(ぜんこういんにっきょく)師が開山したとある。この寺には寺宝として大量の古銭が保管されている。「幸延寺の古銭」として相模原市登録有形文化財にもなっているもので、戦前の1936年(昭和11年)、近くの桑畑から木箱に入った状態で発見されたものという。平成14年度の調査では唐の開元通宝(621年初鋳)が最古で、明の宣徳通宝(1433年初鋳)まで、62種、11,866枚が確認されていると、相模原市教育委員会が2003年(平成15年)4月に設置した解説に記されている。相模原市観光協会による別の解説板には、1590年(天正18年)の小田原攻のとき、旧家の先祖が埋めたものらしいとあるが、これには諸説あって定かではないようだ。それらの古銭は残念ながら現在は非公開で見学することはできない。
農家の横の道
幸延寺坂を登りきると十字路があり、その左手の角に「鵜野森鹿島公園」という小さな公園があった。公園の敷地内に「鎌倉道」を示す石標がある。かつてはこの辺りを鎌倉道が抜けていたのだろう。近くには古くからの農家らしい佇まいの家もある。その広い敷地の中には畑があり、その隅に井戸らしいものも見えた。その農家の横の道を辿る。道は細く、いかにも昔からの道らしい佇まいだ。畑の隅の柿の木で、赤く色付いた実が秋空に映えている。

道脇の家の生け垣に、大きなケヤキの木があった。美しく手入れされた生け垣の中に溶け込むように立っている。なかなかの古木のようで、堂々とした立派な姿が印象的だ。カメラを向けるが、あまりに高く、一枚の写真の中に収めることができなかった。
ケヤキ
森野踏切
道を辿って行くと、やがて鵜野森団地の中へと下りた。そこから再び境川の河岸へと戻る。この辺りでは境川の河岸を横浜線が沿うように走っている。車両の通行できない小さな踏切がある。「森野踏切」との名がある。何の変哲もない踏切だが、このような小さな踏切の佇まいになぜか不思議に心惹かれてしまう。上流側を見ると横浜線と境川とを跨いで鎌倉街道が町田市と相模原市を繋いでいる。小さな踏切との対比が面白い。

鎌倉街道の下を通り過ぎると島(しま)橋という小さな橋があった。島橋の上流側右岸には小公園のように設えられた場所があり、樹木の紅葉が美しい。樹木はカエデの仲間のようにも見えるが、マンサク科のモミジバフウかもしれない。樹木に詳しくない身ではなかなかよくわからない。
境川河畔
斜面緑地
そのまま境川右岸を上流側へと歩く。やがて右岸に原っぱが現れる。その向こうには木々が繁り、やがてその雑木林は河岸間近に迫ってくる。この辺りがいわゆる「鵜野森の斜面緑地」で、緑地内には貴重な植物なども見られるという。この付近は相模原市側には「鵜野森」、町田市側には「森野」という地名があるが、その名が示すようにかつては蛇行する境川の両岸に鬱蒼とした森が広がっていたところであるらしい。河畔の原っぱなどはそうしたかつての境川の蛇行の跡だという。この緑地の原っぱを含む一部を住宅地として開発する計画もあるようだ。この緑地もまた保全と開発の間で揺れている。
緑地の横を過ぎると、境川は緩やかに右に曲がって横浜線をくぐる。川の右岸は住宅地となり、「ひのきばし」という小さな橋を過ぎる。町田市側の左岸も、この一角は団地になっている。やがて境川橋、左に坂を登ると古淵駅だ。その道には「古淵なつつばき通り」という名が付けられている。

鹿島神社
境川橋の西側、「境川橋西」交差点から北方へ昔からの道らしい道路が延びている。入り込むと、大日堂がある。相模原市観光協会による解説板が立てられている。それによれば、この大日堂は昔は南側の崖下にあったもので、江戸時代にこの地に移されたものらしい。南北朝時代の北条時行と足利直義による1335年(建武2年)の「井出の沢の合戦」での戦死者を供養するために建てられたもので、大日堂の名が示すように大日如来を本尊としている。かつてはお堂の西を小さな沢が流れており、そこから「井出の沢」の名があるという。その大日堂に隣り合うように鹿島神社がある。鹿島神社の境内には相模原市の保存樹木に指定されたカシやケヤキが繁っている。保存樹木に指定されるだけのことはあり、古木らしい堂々とした立ち姿が印象的だ。これらの樹木の他にも神社の周囲にはさまざまな樹木が茂り、昔ながらの鎮守の森を彷彿とさせる。訪れたのは11月初旬、境内にはおびただしい数のドングリが落ちていた。

大日堂から鹿島神社の前を抜けてゆく道は昔からの街道だったのだろう。樹木に囲まれて良い風情の道が延びている。いずれまた機会を設けてこの道を往こう。今回の散策はここまでにして、古淵駅から帰路を辿りたい。
今回の散策は町田駅から古淵駅まで、特に境川の河岸を歩き、相模原市側の、河岸段丘を上がったあたりはずいぶんと省略してしまった。いずれまた別の機会に古淵から鵜野森のあたりをゆっくりと歩いてみたい。
境川河畔