横浜線沿線散歩街角散歩
相模原市古淵
古淵
Visited in November 2006
古淵
横浜線古淵駅は1988年(昭和63年)3月に開業した。横浜線の中では新しい駅と言っていい。駅の開業以降、駅周辺は商業施設が建ち並んで急激に市街化したが、少し足を延ばせばは古い時代の面影を残す風景を探すこともできる。秋晴れの11月中旬、古淵駅の周辺を歩いた。
この付近では横浜線の線路は台地となった地面より一段下を「切り通し」の形で通っており、それを跨いで駅舎と駅前ロータリーがある。ロータリーではタクシーが客を待ち、周辺にはコンビニエンスストアや飲食店などが並んでいる。

相模原市古淵土地区画整理事業完成記念碑
駅前ロータリーの一角に、何やら記念碑が設置されている。「相模原市古淵土地区画整理事業完成記念碑」で、「創造と自然」と銘がある。1993年(平成5年)11月の日付があり、「相模原市長 舘盛静光書」とある。舘盛静光は1977年から1997年まで相模原市長を務めた。記念碑の「創造と自然」の文字は舘盛静光の書によるものなのだろう。記念碑には相模原市古淵土地区画整理事業のあらましが記されている。それに依れば組合設立認可が昭和61年(1986年)1月31日のことで、地区総面積は261,980平方メートル、総事業費は59億3000万であったという。

時のスケッチ
記念碑の傍らには先端にオブジェを取り付けたポールのような形状のモニュメントがある。「時のスケッチ」と題されており、自然のサイクルを表現したものであるらしい。「弧」をモチーフにした幾何学的デザインの中に樹木や鳥の姿が取り込まれ、なかなか印象深い造形だ。このモニュメントや記念碑は造形作家の鈴木尚和によるものという。鈴木尚和は1958年生まれで、多摩美大を卒業、1980年代の終わり頃から造形作家として活動を初め、公園やホール、駅前などに設置される数々のモニュメントを手がけている。
市街化する古淵
駅前のすぐ南側に「古淵駅前」交差点がある。交差する道路を東に少し行くと「古淵中央」交差点だ。この「古淵中央」交差点が、その名のように古淵の町の中心と言ってよく、周辺にはさまざまな商業施設が建ち並んでいる。「古淵中央」交差点を南北に抜ける道路には「なつつばき通り」の名があり、北方では境川を越えて町田市へと延び、「町田駅前通り」や「町田街道」に接続している。南ではすぐに国道16号との交差点があり、交通量の多い道路だ。「なつつばき通り」の両脇、国道16号に面して東にはイトーヨーカドー古淵店が、西にはジャスコ相模原店が建っている。双方とも1993年8月に開店、それぞれが規模の大きな店舗で集客力も高く、このふたつが造られてから古淵の町は一変したと言っていい。
こもれびの橋から国道16号を見る
「なつつばき通り」と国道16号との交差点には「大野台小入口」の名があり、大型の歩道橋が跨いでいる。歩道橋に立って国道16号を見下ろすと、まっすぐに延びる広い道路にひっきりなしに車が行き交い、都市のダイナミズムといったものを感じる。

歩道橋は「こもれびの橋」と名付けられている。この西南側に広がる大野台と西大沼には貴重な平地林が残っており、それらを「木もれびの森」と名付けて市が整備保存を行っている。歩道橋の「こもれびの橋」のネーミングは、おそらくここからの由来に違いない。交差点から少し南へ入り込むと相模緑道緑地が延びており、それを辿れば相模原中央緑地へ至る。相模原中央緑地が「木もれびの森」の中心と言っていいだろう。平地に広がる緑濃い林の佇まいはなかなか魅力的で、ひとときの散策には良いところだ。
現在の八王子道
「古淵中央」交差点で「なつつばき通り」と交差し、東西に延びる道路は、古くから八王子と神奈川方面とを繋いでいた道で、「八王子道」と呼ばれている。「古淵中央」交差点から少しばかり東へ行くと道の南側に大野小学校があるのだが、その門脇に「八王子道」を示した地名標柱が建っている。簡単な説明が付けられており、「八王子に向かう人々が行き交ったので八王子道と呼ばれた」旨が記されており、「久保沢道」とも、「神奈川道」、「横浜道」とも呼ばれたと添えられている。道脇には古くからの農家らしい佇まいの家も建っており、道の歴史を感じさせる。江戸時代末期、横浜が開港して外国との貿易が始まると、生糸が重要な輸出品となり、八王子周辺をはじめ、埼玉、山梨、長野といった地域の養蚕農家から生糸が八王子宿に集められ、横浜へと運ばれた。この道も、かつてそうした生糸運搬の人々が行き交った時代があったに違いない。
津久井踏切
その「八王子道」を「古淵中央」交差点から少し西へ進むと「古淵二丁目」交差点があり、交差点から北へ向かう道路はすぐに横浜線の線路を踏切で越える。この踏切には「津久井踏切」との名がある。かなり古くから在る踏切であることは確かだが、なぜこの踏切の名に「津久井」が冠されているのか、「津久井」は「津久井町」の「津久井」なのか、興味を覚えるところだ。踏切は現在(2006年11月)では南側から北側への一方通行となっているようだ。駅周辺の主要道路はすべて線路を跨いでいるからこの踏切の交通量はかなり少なく、ときおり地元の人の車が通り抜けてゆくだけだ。
古淵一丁目
「津久井踏切」で横浜線の線路を渡って線路の北側、古淵一丁目に歩を進めると、町の佇まいが一変する。線路に近い辺りではそうでもないが、線路から離れるに従って、道そのものの佇まいにも、道脇の家々の佇まいにも古い時代の面影が濃厚に感じられるようになる。家々が並ぶ中の細道に入り込んでみるとぽっかりと畑地や竹林が残っていたりする。家々の庭にも木々が茂っている。

かわじま坂
そうした様子を楽しみながら歩いていると道が緩やかに下り坂になり、三叉路に出た。三叉路の角に「かわじま坂」を示す地名標柱が建っている。添えられた説明に依れば、「昔、島のような地形だったから」このような名があるのだという。坂を西へ下りると境川の河畔だ。坂を東に下りてゆけば道脇には鬱蒼と木々が茂っている。民家の敷地内に茂る木々のようだ。相模原市の保存樹木に指定されている大木の姿もある。道脇の家々も、その敷地内に茂る木々も、古い時代からの姿をそのままに保っているのだろう。まるで時の流れを封じ込めたような景観が道の両側に広がっている。
鹿嶋神社
木々が茂って薄暗ささえ感じる坂道を東へ降りてゆくと、道の北側に鹿嶋神社が建っている。境内には相模原市と相模原市観光協会による説明板が設置されており、その説明に依れば、創建の年代は不明らしいが、新田義貞が鎌倉攻めの際に祈願のために建立したという言い伝えや、あるいは淵辺義博の子、義喬が建立したという言い伝えもあるという。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で、古くから村の鎮守として人々の信仰を集めてきた神社であるとの旨が記されている。その歴史を物語るように境内には鬱蒼と木々が茂り、その木々に守られるように社殿が建っている。かなりの大木も少なくなく、相模原市の保存樹木に指定されたカシやケヤキなどはひときわ目を引く。

大日堂
鹿嶋神社の東側には隣接するように大日堂が建っている。こちらも相模原市と相模原市観光協会による説明板が設置されている。説明によればもともとは南側の崖下にあったお堂を江戸時代に移したものらしい。地域の人々の口承に伝えられる由来に依れば、南北朝時代の建武2年(1335年)、北条時行と足利直義による「井出の沢の合戦」がこの地で起こり、その戦死者を供養するために建立されたものという。
境川
鹿嶋神社と大日堂の前を行き過ぎて東へ進むとすぐに「なつつばき通り」に抜け出る。すぐ北側を境川が流れ、川向こうは町田市だ。「なつつばき通り」は境川橋で川を越えて町田市側へと延びている。町田市側の河岸は団地になっており、古淵駅の利用客もこの団地に暮らす人々がかなりの割合を占めているという。橋の袂、河岸に植えられたユリノキがそろそろ黄葉に染まり始めており、秋の日差しを浴びて輝いている。南へ坂道となった「なつつばき通り」を登れば「古淵駅東」交差点だ。古淵駅周辺の散歩もそろそろこのあたりで終わりにして、駅へ向かって帰路を辿ろう。
古淵古淵
古淵駅の周辺から国道16号にかけては商業施設が建ち並び、「新しい街」という佇まいだが、古淵一丁目の境川河岸に近い辺りには鹿嶋神社や大日堂が建ち、鬱蒼とした木々に包まれた坂道にも古い時代を彷彿とさせる風情があって散策も楽しい。次の機会には違う季節を選んでみたい。
古淵