横浜線沿線散歩街角散歩
町田市相原町
相原駅から清水寺へ
September 1998
清水寺
お彼岸も近い初秋のある日、町田市相原町の清水寺を訪ねてみた。清水寺へは相原駅から町田街道に沿って東へ辿り、徒歩で10分ほどの距離だ。少しばかり寄り道をしながら清水寺へと向かった。
横浜線の相原駅を出て東に進むと、都の史跡にもなっている青木家屋敷があるが、これは現在も使用中のため見学はできない。その横を通り過ぎ、町田街道に出ようとしたとき、北側へ入り込む小道があったので、そのままその小道を進んでみた。そうやって気まぐれにルートを選ぶのも散策の楽しみのひとつだ。

「ホタルの里」
すぐに墓所の横を通りかかった。お彼岸に近かったので彼岸花の姿がある。そのまま進むと町田街道の喧噪も遠のき、昔懐かしい谷戸の風景が広がった。道脇に「ホタルの里」と書かれた看板と、その看板の下の水田の端に「ホタル飼育中」の旨書かれた小箱がある。はたして本当にホタルを飼育しているのか、飼育しているとすればどのようなものなのか、商業ベースなのか、地元の有志によるボランティアのようなものか、それともまったくの個人によるものか、よくわからない。何にせよホタルの姿が見られるというのであればなかなか素敵なことではある。

水田の風景
水田はちょうど刈り入れを迎えようとする時期で、黄金色に実った稲穂が美しい。すでに刈り入れが終わって干してあるものもあった。水田の向こうには丘陵の斜面に造られた住宅街の姿が見える。「かすみが丘住宅」という名のその住宅街は入り込んでみると本当に急な斜面に造られている。住んでいる人には失礼な話かもしれないが、毎日の生活での上り下りだけでもたいへんなのではないかと思われた。

フェンス越しに見る八王子バイパス
住宅街の中の決して広くはない坂道を登ると、やがて丘の頂上に着いて雑木林の中の小道となり、八王子バイパスを超える橋があった。橋の金網越しに八王子バイパスや遠くの景色を眺めていると、50ccバイクに乗ったおじさんが反対側から通りかかり、橋の真ん中で停まる。何となく様子がおかしいと思って見ていると、そのバイクは川越ナンバーなのだった。おじさんは相模原方面から川越へ戻る途中、間違って八王子バイパスへと入ってしまい、慌ててバイパスを降りたのはいいのだが、道に迷ったあげくにこの橋に辿りついたというわけらしかった。もっと早めに気付きそうなものだがと思いつつ道を教えてあげると、おじさんは礼を述べて今登ってきた坂道を降りていった。その後に続くように清水寺に向かって坂道を降りたのだった。
彼岸花
臨済宗清水寺の創建は1624年(寛永元年)であるらしいが、幕末に当時の名主であった青木勘次郎易道を中心とした村民の手によって整備されたとのことだ。観音堂に安置される観音像は相原観音とも、あるいはこの辺りの旧地名が坂下であったことから坂下観音とも呼ばれていたという。
清水寺観音堂

清水寺観音堂の彫刻

観音堂は総ケヤキ造りであるらしい。施された彫刻も精緻なもので見応えがある。この観音堂と水屋、鐘楼はいずれも町田市の有形文化財に指定されており、傍らに町田市教育委員会による解説を記した案内板が設置されている。案内板によれば、観音堂は1850年(寛永3年)、水屋は1837年(天保8年)頃、鐘楼は1842年(天保13年)の再建とされているらしい。案内板の解説にはそれぞれの建物の詳細なデータが記してあり、興味のある人には嬉しいものだろう。
清水寺水屋清水寺鐘楼

また境内には種痘の普及に勤めた蘭学医青木得庵の記念碑がある。「善寧兒(ジェンナー)先生碑」となっており、得庵と善寧兒(ジェンナー)の功績をたたえて得庵の妻であった喜代によって建てられたもののようだ。

境内は照葉樹の大木が葉を茂らせて多摩丘陵のかつての姿を偲ばせるが、寺は参道の面する町田街道から近く、交通量の多い町田街道からは車の騒音が聞こえてくるし、隣接する住宅地もすぐ間近に迫っていて、世俗から離れた静謐な雰囲気というものにはほど遠いのが残念だ。おまけにこの時は寺の近くで工事をしており、なにやらざわざわとして落ち着かなかった。かつては静かな林の中の寺であっただろうに、今では取り残されたような印象が少し哀しい。
寺社や史跡に興味のある人にとっては清水寺はぜひ訪れてみるべき場所のひとつと言ってよいだろう。そうでない人にはあまり面白みのある場所とは言えないかもしれないが、相原を散策する機会があれば、立ち寄ってみるといい。
清水寺