横浜線沿線散歩街角散歩
町田市相原町
朱雀路
September 2000
朱雀路 長者窪
JR横浜線の相原駅を西に出ると「朱雀路」という散策路を示す案内板がある。横浜線の線路の西側に広がる雑木林の丘陵を縫って辿る散策路だ。この朱雀路を順路に従って歩いてみた。
朱雀路出発点
相原駅の西口を出ると目の前に「朱雀路」の出発点を示す案内板がある。案内板は北へ「観音山入口」を指し示している。それに従って進むとやがて「観音山入口」を示す案内板があった。観音山へは西に折れて進むルートだが、順路はそのまま真っ直ぐに「豆柿」と指し示している。傍らには横浜線を渡る踏切があり、相原駅を東口に出て八王子市宇津貫町へと向かって通じる道路へと繋いでいる。

朱雀路
「豆柿」へと向かって進むと、やがて道は急に細くなる。このルートで間違いないのかと不安になるほどだが、小道は目の前の雑木林の丘陵へと向かってさらに延びている。道脇にはせせらぎが流れ、水音が聞こえている。右手には畑の向こうに横浜線の線路が平行していて時折行き過ぎる電車の音が聞こえてくる。

朱雀路
やがて道は雑木林に突き当たるようにして西に折れ、林の裾を這うように続いている。右手の林の木立が道に覆い被さるように枝を広げているが、山中の道とは違って片側に視界が開けているために開放感があって快適だ。しばらく進むと左手には丘陵を造成したと思われる住宅街の姿が見える。丸山団地という。その丸山団地から延びてきた道が朱雀路の散策路と交わるあたり、湧き水らしい水の流れもあって谷間の風情を残しているが、ここが「古代窯の谷」というらしい。

朱雀路
傍らに立てられた案内板の解説によれば、八王子市と相原町の境の谷には瓦などを焼いた窯の跡が200基以上も確認されており、これは平安時代のものとしては国内最大級なのだそうだ。その大半が開発によって失われたということだが、このあたりには数十基の窯跡が今も残っているのだという。この小道はその時代の工人たちが窯への行き来に辿った道であるらしい。

朱雀路大糠利
残念ながら古代の窯跡を見ることはできないようだ。小道をさらに進むと、道の両脇に畑が現れた。人の姿もある。どうやら家庭菜園が設けられた一角であるらしかった。家庭菜園の畑を抜けると丸山団地から延びてくる舗装路に出た。道脇に朱雀路の案内板が立っている。このあたりは大糠利(おおぬかり)という地名であるらしい。案内は舗装路の奥へとむかって「梅の木沢」と指し示している。

「梅の木沢」へと向かって進む。車両の通行も可能な舗装路だが、車はまったく通らない。ただ一台、郵便配達のバイクが追い越してゆく。おそらく奥まったところで行き止まりになる道路なのだろう。右手に雑木林を見ながら、左には杉木立の向こうからせせらぎの水音が聞こえる。川の源流域に近い谷戸の様相だ。このあたりが「梅の木沢」なのだろう。しばらく進むと右に折れる道があって、案内板は「尾根道」を示している。

朱雀路
「尾根道」へと坂道を上る。普段はあまり人の通行もない道であるらしく、行く手を倒木が遮っている。倒木をかわしてさらに上るとようやく尾根道へ出た。左に進むと七国峠方面とある。迷わず七国峠へと向かう。さきほどから左手の木立の向こうからざわざわと騒がしい音が聞こえてくるが、どうやら養鶏場があるらしかった。尾根道はその養鶏場の建物の屋根を木立の隙間に見ながら延びている。

尾根道は町田市と八王子市の境にあたっている。行く手の右側は八王子市で、尾根道からの視界には雑木林の木立だけが見えているが、その向こうにはみなみ野シティの開発による造成地が広がっているはずだ。尾根道は比較的歩きやすく、木立の中の空気が爽快だ。九月も下旬だというのに木立の中では蝉が鳴いている。歩いてゆくと人とすれ違った。林の中の下草刈りの作業をしているらしかった。

朱雀路 鎌倉古道
やがて尾根道は鎌倉古道に行き当たった。ここにも案内板が立てられ、右には古道跡、左に七国峠とある。右に進めばおそらくみなみ野シティ造成地へと出てしまうだろう。左に折れて進むと、それほど距離もなく七国峠へと着いた。鎌倉古道の峠である。傍らに鎌倉古道を解説した案内板が立っている。かつて上州(群馬県)や武州北部(埼玉県)の武士たちが幕府のあった鎌倉へと往来した道であり、この峠には堀割状の古道の遺構がよく残っているのだと記されている。

峠から道が分かれて延びている。峠を越える鎌倉古道から逸れて、南へ延びる道には「丸山表」とあり、北へ山肌を上るようにして「お大日さま」とある。「丸山表」へと辿れば丸山団地方面へと抜け出ることになるだろう。「お大日さま」と示された小道へと進む。道は山の斜面に半ば階段状に這っており、足下を確かめつつ進む。細く曲がりくねった道をさらに進むと、やがて林の中にぽっかりと開いた空間があって、大日如来の祠があった。

祠の前はちょっとした広場のようになっていて、ベンチなども設けられ、朱雀路散歩の休憩所のような役割も持っているかのように見える。ベンチには、近所の人なのだろうか、年輩の男性が腰を下ろして新聞を読んでいる。祠の前には年輩の女性四人連れの姿があった。朱雀路の散策を楽しむグループなのだろう。

大日如来の祠の前からさらに奥へと向かって道が延びている。これも鎌倉古道と書かれてある。そのままその道へと歩を進めてみた。道は下り坂だ。やはり鎌倉古道であるらしく、ところどころに特徴的な堀割の地形をみることができる。終始下り坂の道をしばらく進むと、やがて舗装路の交差点へと出た。出たところに朱雀路の案内板があり、左に順路を指し示しているが、丁字路となった舗装路の交差点をどちらに進めばよいのか少々迷う。交差点のあたりをうろうろとしていると、傍らの林の中に分け入ってゆく小道を見つけた。朱雀路順路を示す案内板もある。「開都」という地名を示している。この道がどうやら先ほどまで歩いてきた道の延長であるようだった。

道は今度は上り坂だ。普段はほとんど人が通ることもないように見える。降り続いた雨によって小道は渓流と化していた様子もうかがえる。小石が多くて歩きづらく、足下を確かめつつ慎重に進まざるを得ない。登りきって、今度は下る。このあたりは水はけがよくないのか、道はぬかるんでいるところもあって歩行者のために板が渡されているところもあった。

朱雀路
ようやく眼前の視界が開け、一般の住宅の姿も見え、車の騒音なども聞こえてきて、どこかに出たことがわかる。舗装路へと出ると、目の前には車両の通行の多い広い道路が通っている。見覚えのある風景だと思ったら、町田街道の相原十字路から東京家政学院の傍らを経て八王子大船町へと抜ける道路なのだった。その道路の相原十字路近く、中相原会館の傍らへと出たのだ。案内板には「開都」とあるが、相原十字路から町田街道を少しばかり東に行ったあたりに同じ名のバス停があるところを見ると、境川に沿って開けたこのあたり一帯を「開都」と呼んでいたのだろうと思える。

朱雀路の案内板はさらに東へと向かって順路を指し示している。案内板が示す、その「長者窪」という地名に惹かれてさらに進んでみる。道はファミリーレストランなどの裏手を抜けて町田街道に沿って延びており、主要道路沿いの喧噪のためにあまり散策を楽しめる雰囲気ではない。やがて道が町田街道に合流しようとするあたり、朱雀路の案内板があった。左手の方角、丘陵へと上ってゆく坂道へ向けて順路が指し示してある。

朱雀路 長者窪
道脇に咲く彼岸花などを眺めつつ坂道を上ると、坂の勾配が緩やかになって目の前に美しい丘陵の畑の風景が現れた。丘陵の傾斜地を利用して畑と水田があり、その周囲を木立が取り囲んでいる。進んでゆくと朱雀路の案内板があり、ここが「長者窪」であると示している。傍らの解説には周囲の畑には決して立ち入らないようにとの注意書きが添えられている。周囲の畑は私有の耕作地であり、「芸術作品」であるとも書かれている。農地を芸術作品に準える記述をこうした案内板に見るのは珍しいが、この美しい風景を見ればそれも無理のない形容と納得するしかない。

案内板はさらに上方を指し示して朱雀路終了点とある。傍らに記された解説によれば、この畑から続く丘が朱雀山であるらしい。畑の中の小道を進む。両脇の畑にはさまざまな作物が植えられており、農作業中の人の姿もあった。雑木林の木立の脇を抜けるあたりまで進み、振り返ると長者窪の美しい風景が逆光に映えた。

長福寺
朱雀路の散策路は長者窪の上方で終点を迎えるが、そのままさらに進むと長福寺へと墓所の裏手を回って辿ることができる。長福寺は曹洞宗の寺で、町田街道に面した丘の上に建っている。創建は江戸時代初期と伝えられており、町田市の有形文化財に指定された山門と文殊堂などが知られている。山門も文殊堂も施された彫刻が見事だが、文殊堂の方は保護のためか全体がフェンスなどに覆われていて細部まで見ることができないのが残念だ。季節柄、境内のところどころに彼岸花が鮮やかに咲いているが、実は長福寺はツツジの見事さが有名であるらしい。交通量の多い町田街道に面してはいるが、道路を見下ろすような立地のためか、木立のためか、街道の喧噪を離れた落ち着いた雰囲気がいい。
今回の朱雀路散策は予備知識もほとんどなく、初めてのことであったので敢えて順路に従って進んでみた。途中、いくつもの分かれ道があったので、それらをまた別の機会に歩いてみたい。早春の頃や、桜の季節、あるいは新緑に輝く季節や紅葉の頃も美しい風景を楽しむことができるだろう。それぞれの季節にまた足を運びたいと思わせる散策路だった。

順路に沿って全行程を歩くとけっこうな距離があり、また雑木林を抜ける小道には悪路の部分もあり、家族連れのピクニック気分での散策にはあまり適しているとは言い難い。散策路途中には広場などはなく、お弁当持参の場合も広げる場所に困ってしまうかもしれない。相原十字路近くにはファミリーレストランなどの飲食店もあるので、散策途中に昼食をとるのであればそれらを利用するのが賢明だろう。

「朱雀」とは中国古代に信じられた空想上の動物で、南方、あるいは季節の夏を司る神獣である。東の青龍、北の玄武、西の白虎とともに四獣として数えられ、それぞれに相応する土地柄があるのだという。朱雀は汚地、すなわち窪んだ湿地に応じている。

「朱雀路」の整備、案内標識の設置などは、相原町に本拠を置くNPO「夢連」による。「朱雀山」もこの「夢連」による命名という。「夢連」のサイトには朱雀路の案内マップも掲載されているので参照されたい。
朱雀路 道脇に咲いていた白い彼岸花