横浜線沿線散歩街角散歩
八王子市めじろ台〜散田町
めじろ台から真覚寺
Visited in June 2011
めじろ台から真覚寺
八王子市散田町五丁目に真覚寺という寺がある。かつてはいわゆる“蛙合戦”が見られることで有名だった寺だが、紫陽花が美しいことでも知られる。紫陽花が盛りの六月末、京王線めじろ台駅から真覚寺までを歩いた。
めじろ台から真覚寺
京王高尾線のめじろ台駅に降りると駅前には大きなロータリーがある。駅の周辺にはさまざまな店舗があってなかなか繁華な佇まいだ。この駅を中心に、めじろ台の住宅街が広がり、駅前から南へは「めじろ台グリーンヒル通り」が延びている。駅の北側には線路と平行に東西に延びる道路がある。この道路はエンジュの並木になっており、その根方には紫陽花が植栽されている。この紫陽花も、今回の散策の目的のひとつだ。

めじろ台から真覚寺
一定の間隔で植えられたエンジュのそれぞれに、エンジュの根方とすぐ横のガードレールとを覆い隠すように紫陽花がこんもりとした球状に育って花を咲かせている。紫陽花の開花の状態にはばらつきもあり、あまり咲いていないものもあるが、数多くの花を咲かせているものは、まるで紫陽花でできた大きなボールをエンジュの根方に置いたような景観になっている。その様子が美しくもあり、楽しくもある。

めじろ台から真覚寺
駅前から東へ数百メートル行くと丁字路の交差点にぶつかる。交差点の向こうは台地から低くなった地形で、そこを山田川が流れている。眼下には山田小学校が見え、その向こうには広園寺の木々も見えている。細い坂道を降りてゆけば広園寺も近いが、今回はここから眺めておくだけにしよう。

交差点の西南側の角にはケーキショップの「パティスリーメゾン」が建っている。「パティスリーメゾン」は最近ではみなみ野店が評判だが、こちらが本店だ。この住宅を兼ねた本店の店舗が建つ以前は、交差点から少し北に行った道脇に店舗があった。
めじろ台から真覚寺
交差点から北西の方角へ、大きなケヤキの並んだ中央分離帯を持った道路が延びている。この道路はかつての京王御陵線の跡だ。京王御陵線は大正天皇崩御によって造営された多摩御陵への参拝者のための交通機関として敷設されたものだ。1931年(昭和6年)に営業を開始、1945年(昭和20年)の初頭に戦局の悪化に伴って営業を休止、事実上の営業終了となっている。御陵線は京王線の北野駅から分岐し、山田駅を経てこの道路に敷設された線路を通り、南浅川を越えて多摩御陵前駅へと向かっていた。1964年(昭和39年)に京王高尾線が開通、御陵線の北野駅から山田駅までの区間が高尾線として復活し、山田駅から高尾山口駅の区間が新設、それに伴って山田駅から多摩御陵前駅までの区間は廃止となっている。南浅川の北側の住宅街の中には御陵線の橋脚の一部が今も残っている。

めじろ台から真覚寺
かつて御陵線が通っていた道路を西へと辿ろう。道路は僅かに曲がりながら、緩やかな起伏を伴って続いている。その僅かな曲がりや起伏が表情に変化を与えてケヤキ並木の景観が美しい。しばらく行くと道路の左手、南側に丘の端部となった崖状の地形がある。きっと御陵線を敷設する際に丘の端部を切り崩したのだろう。その丘の連なりの一部だったのか、道路の北側に今もこんもりと雑木林を茂らせた丘がある。「黒木開戸緑地」との名がある。緑地はめじろ台側から続く尾根筋の一部なのだろう。東西に長い緑地には昔ながらの尾根道の風景が残っている。

めじろ台から真覚寺
御陵線跡の道路はやがて「万葉けやき通り」との交差点に至る。御陵線跡の道路はそのまままっすぐに延びて、今は立体交差でJR中央線の下をくぐって甲州街道との並木町交差点へと至っている。交差点には特に名標が取り付けられていないが、交通量の多い、大きな交差点だ。交差点のすぐ南側にある歩道橋に上がってみた。歩道橋から北を見ると眼下に交差点が見え、立体交差の向こうに町並みが広がり、その向こうに遠い山々の稜線が見えた。なかなか爽快な眺望だった。
めじろ台から真覚寺
「万葉けやき通り」を少し西へ進み、すぐに南側の住宅街の中へ入り込む。100mほど進むと変則的な形の十字路があり、その角に小さな社があった。その背後は木々の茂った丘になっている。実はこの丘はめじろ台の住宅街が位置する丘陵の北端部で、社の左横は万葉公園の一部、社の右側の木々の向こうには目指す真覚寺が建っている。社の左手に万葉公園の上部へと上る小径が辿っているが、今回は真覚寺へと向かおう。

真覚寺
社の建つ交差点を右手に折れて回り込むと真覚寺が見えている。西側が正面入口になっている。真覚寺はそれほど広い境内を有しているわけではない。正面にお堂が建ち、その右手(南側)に心字池が横たわり、入口横に鐘楼がある。

真覚寺
入口横に八王子市教育委員会によって設置された「真覚寺蛙合戦の旧地」の解説板がある。この解説板にも記述があるが、「蛙合戦」とは産卵期にたくさんの雄蛙が雌蛙を奪い合って争う様子を言い表したものだ。この真覚寺の心字池はかつてこの「蛙合戦」の地として有名だったという。境内には1745年(延享2年)の芭蕉蛙塚の碑があり、安政年間(1800年代中頃)の「五街道細見」には「芭蕉の蛙塚があり甲州街道の名所」と記されているのだそうだ。少なくとも戦前まで、数千、数万匹のヒキガエルが「蛙合戦」を繰り広げていたという。

真覚寺
「関八州(武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国の総称で、ほぼ現在の関東に相当する)から蛙が集まった」と言われたという話を聞いたこともあるが、もちろん誇張だとしても、それほどおびただしい数の蛙がいたということなのだろう。昭和40年代以降になると周辺の市街地化によって蛙の数は減ってゆき、最近では数匹だけだそうだ。そのため、以前は「市指定天然記念物」だったものが、2004年(平成16年)に「市指定旧跡」に改められ、「真覚寺蛙合戦の旧地」ということになっている。

真覚寺
その心字池の岸辺に、この季節は紫陽花が美しく咲く。特に池の北側、本堂に近い側の岸辺が見事で、池の佇まいと相俟って良い風情だ。本堂や鐘楼、池に架かる橋などと紫陽花との取り合わせもなかなかフォトジェニックな美しさだ。数の点では特筆するほどではないが、寺の境内に咲く紫陽花の風情という点で、八王子市内の紫陽花の名所と言ってもいいのではないか。訪れたとき、境内にはスケッチを楽しむグループの姿があった。それぞれに構図を決め、熱心に絵筆を運んでおられた。

高宰神社
真覚寺の南西側には隣接するように高宰神社という神社が建っている。南北朝の終わり頃、京から移り住んだ高貴な公家があり、その公家が亡くなった後、由比の杉山峠に葬られ、その後山田の広園寺に小蔵主明神として祠が建てられ、正保慶安年間(1600年代中頃)に真覚寺境内に移し、高宰神社としたものという。江戸時代には千人同心の厚い信仰を受け、現在も並木町、千人町、散田町、めじろ台といった周辺地域の氏神様として信仰を集めている。

高宰神社
この高宰神社の境内に祀られている「田の神」の像と石塔が目を引く。「田の神」とは文字通り、水田を護り、豊穣をもたらす神だ。鹿児島県から鹿児島県に近い宮崎県南部に多く、さまざまなところに祀られている。水田の畦道などにひょっこりとお立ちになっている姿も多い。当地では「たのかみさま」が訛って「たぬかんさあ」と呼ばれる。他の地方で見ることは希で、東京近郊では珍しいのではないだろうか。
めじろ台から真覚寺
高宰神社を後にして散策の足を延ばそう。西に向かって保育園の横で南に折れる。小径を辿ってゆくと東側はすでに万葉公園だ。道脇の家で、庭先に手動式ポンプが設置されているところがあった。井戸なのだろうか。道の途中から万葉公園へと入ってゆく。園内のところどころで紫陽花やホタルブクロが花を咲かせている。公園の中を辿って南側へ抜け出るとめじろ台四丁目の住宅街だ。南へ真っ直ぐに辿ってゆけばめじろ台駅だ。めじろ台駅へ戻って、遅い昼食を済ませ、そろそろ帰路を辿ることにしよう。
以前から真覚寺や高宰神社を訪ねてみたいと思っていた。せっかく訪ねるのであれば紫陽花の頃がいいだろうと、足を運んだのだったが、めじろ台駅前の通りの紫陽花や真覚寺の紫陽花、それぞれに堪能できた散策だった。
めじろ台から真覚寺