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相模原市田名
田名八幡宮
Visited in April 2005
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
田名八幡宮
相模原市の「水郷田名」として知られる地域に位置する田名八幡宮は千年以上の歴史を持つ古社である。798年(延暦17年)に天地大明神を勧請したのが始まりだと、社伝にはあるらしい。その後、相模川の洪水や火災などによって幾たびか社殿は失われ、現在まで残る本殿は1689年(元禄2年)の再建という。田名八幡宮と号したのは1191年(建久2年)のことであるらしい。
田名八幡宮
今は「水郷田名」の住宅街の中にひっそりと鎮座し、社の規模や境内の広さなどは特筆するほどではないが、端正な中に凛とした空気を漂わせて、経てきた歴史の風格といったものを感じさせてくれる。境内の隅には相模原市の保存樹木に指定された数本の大木が高く葉を茂らせ、古い由緒を物語っている。

現在では家内安全などの御利益で地元の信仰を集める田名八幡宮だが、そもそもは弓矢の神、すなわち武門の神で、それを物語る「的祭(まとまち)」の神事が今も続いている。「的祭」は毎年1月6日に奉納される神事で、葦で編んだ的を四人の男児が弓で射て、その12本の矢でその年の豊凶を占うというものだ。的は五尺九寸五分というから225cmほどか。的と矢の制作は氏子酒井家の世襲であるらしい。弓を射る男児は三歳〜五歳の年頃の「長男」であるらしく、袴姿で神事に臨むという。鎌倉時代、源頼朝の頃に始まったという由緒の神事で、相模原市の無形重要文化財にも指定され、昭和57年度に選定された「かながわのまつり50選」のひとつでもある。

田名八幡宮
境内の隅には雨乞いに使われたという「ばんばあ石」がある。日照りが続いた時にこの石を相模川の淵に沈めると不思議に雨が降ったという。しかし多くの場合は洪水となって被害もあった。後に残された「じんじい石」の怒りが嵐を呼ぶのだろうということで、「ばんばあ石」を川に沈めた後に代理の石を置いたのだという。雨が降ると「ばんばあ石」はまた川から出されて境内に安置された。不思議な話だが、この雨乞いの行事は江戸中期から大正末期頃まで行われていたという。
田名八幡宮の位置する「水郷田名」は江戸期から大山道の宿場として栄え、昭和初期まで鮎漁や鵜飼いなどによって行楽地として賑わったところだ。現在ではあまり「水郷」としての面影はないが、家々の間を縫うように流れる「烏山用水」や、相模川の風情に昔の姿が偲ばれる。田名八幡宮のすぐ近くには「相模川ふれあい科学館」もあり、行楽に訪れた際に田名八幡宮を訪ねてみるのもいい。例大祭は九月に執り行われるが、この時に奉納される獅子舞も相模原市の無形重要文化財である。
【追記】
相模川河岸のこの地域は、2005年4月の時点での住所は「相模原市田名」だったが、2005年(平成17年)7月から住所表示が変更され、「水郷田名○丁目」という住所になり、住所表示の上でも「水郷田名」となった。2010年4月には相模原市が政令指定都市となり、区制が導入され、「相模原市中央区水郷田名」となっている。

【追記】
田名八幡宮の神殿、社務所、宮司住宅は、老朽化のため、2009年(平成21年)に改築されている。本頁に掲載されている写真は改築以前のものである。
田名八幡宮