横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市神奈川区西寺尾〜鶴見区東寺尾
西寺尾と東寺尾
May 2003
現況と異なる内容を含んでいます
入江川せせらぎ緑道
横浜線の大口駅を東口に出ると、入江川という小さな川が流れている。以前、この川に沿うように南へ辿り、子安通から浦島町の辺りへと歩いたことがあったが、今回はその入江川の上流部へと歩いてみたい。鶴見区東寺尾あたりの入江川は「入江川せせらぎ緑道」として整備されており、散策は楽しい。「入江川せせらぎ緑道」をメインに、周辺の緑地なども辿って、神奈川区から鶴見区へと跨いで西寺尾と東寺尾の町を歩いてみた。
入江川公園
大口駅を東口へと出て少し北へ歩くと、入江川の河岸に入江川公園という公園がある。広場があるだけの小さな公園だが、広場の周囲に置かれたベンチにはのんびりとくつろぐ人の姿が多い。広場ではゲートボールを楽しむお年寄りの姿がある。広場を取り囲むように並ぶ木立が陰を落とし、いかにも町の人たちの憩いの場といった雰囲気が見ていても楽しい。

公園から「神入橋」を渡って入江川の左岸へと移る。「神之木町」という町名や「神入橋」という名が興味をそそるが、昔このあたりに「御神木」があったことに由来するものであるらしい。公園敷地の北端部分から川の上へ大きく枝を張りだしているのは桜のようだ。春には美しい景観となることだろう。
入江川
入江川の左岸の道を上流へ向けて歩く。車の通行も可能な道路だが通り抜ける車はほとんどない。向かって左手、川向こうには間近に横浜線の線路があり、ときおり上り下りの電車が走り抜けてゆく。少し行くと頭上を線路が横切っている。地図で確認すると東海道貨物線とある。知らないといったい何だろうかと思ってしまう。

やがて「神屋橋」、このあたりは本当に「神」の字の付く地名が多い。川を渡る道路に至り、その先には河岸に沿って歩く道はなさそうに見える。右に折れると交通量の多い道路との交差点に出る。綱島街道の「法隆寺」交差点から国道15号の「入江橋」交差点とを繋ぐ道路だ。この道路は交通量が多いが道幅の狭いところもあり、歩道もあったりなかったりで歩きにくい。信号が変わるのを待ってそのまま横断し、西寺尾三丁目の町中へ入ってゆく。
西寺尾三丁目
西寺尾三丁目のあたりは家々の並ぶ中を狭い道が曲がりながら縦横に抜けている。都市計画に沿って造られた新興の住宅街には見られない風情があってなかなか楽しい。道沿いにはさまざまなお店が点在し、その中を地元の人々がゆっくりと行き交っている。どことなく郷愁を誘うような町の佇まいを楽しみながら歩くと、やがて丁字路に行き当たった。目指すのは「入江川せせらぎ緑道」の方面なので、これを左に折れて北へ向かうことにした。

みなとみらいのビル群のシルエット
少し広い道路を横切り、西寺尾二丁目に入ると、丘の西斜面に差し掛かる。左手眼下に町並みの眺望が開けてくる。西寺尾第二小学校の上へ差し掛かると、右手の丘の上にはゴルフ練習上のネットが見える。それを回り込むように丘の上へ向かった。坂道を上りながらふとふりかえると、町並みの向こうにみなとみらいのビル群のシルエットが見えた。

丘の斜面のゴルフ練習場は、地図を見ると「子安農園ゴルフ場」と書かれている。相澤雅雄氏著の「ハマ線地名あれこれ(230クラブ新聞社刊)」によれば、西寺尾には大正初期から昭和初期の戦後間もなくの頃まで畜産事業を行った「子安農園」があったという。「子安農園」は1914年(大正3年)に開園、家畜の飼料の生産から品種改良、畜産関連図書の出版まで幅広く行い、畜産振興に多大な功績を残したが、周辺の市街化に伴い、1953年(昭和28年)に閉園した。今では「子安農園」があったことを想像することも難しいが、こうして名称だけが名残をとどめているのだろう。
丘の上に何やら施設がある。「工業用水道東寺尾配水池計器室」と記されている。付近には住宅も建つが、その脇には畑地も残り、このあたりが市街化する以前ののどかな風景を彷彿とさせる。この丘の頂上付近がちょうど神奈川区と鶴見区との境に当たっている。少し引き返すように丘の上の小径を南側へと歩くと「西寺尾の丘公園」の上に出る。

西寺尾の丘公園
西寺尾の丘公園」は丘の斜面を利用して造られた公園で、おそらく雑木林の丘として残っていた場所を公園として整備したものだろう。まだ新しい公園のようだ。公園に近づく時には下の広場のあたりで子どもたちの歓声が聞こえていたが、降りてみると入れ違いに子どもたちはいなくなった後だった。公園は東に視界が開けて開放感が爽快だ。特に公園上部の木立のある一角がいい。木陰のベンチでは横になって休んでいる人の姿があった。

「西寺尾の丘公園」を一回りして再び丘の上へ戻り、「工業用水道東寺尾配水池計器室」と書かれた施設を回り込むように鶴見区側へと降りてゆく。降りてゆくと、「東寺尾ふれあいの樹林」へと至る。所有者の厚意によって提供された雑木林を利用したものだ。小規模だが自然溢れる雑木林の様相をよく保っており、木洩れ日の中の散策が楽しい。
入江川せせらぎ緑道
「東寺尾ふれあいの樹林」から北へ降りると、「入江川せせらぎ緑道」だ。この緑道は神奈川下水処理場で処理した水を使ってせせらぎを造り、それに沿って散策路を整備したものだ。緑道として整備される以前の入江川は生活排水やゴミの投棄などによって汚れた川だったらしいが、今の緑道は美しい小川と緑溢れる散策路に生まれ変わっている。緑道の北には「水道道(鶴見三ツ沢線)」が通り、交通量も少なくないが、それを忘れさせてくれるような緑道の佇まいだ。

入江川せせらぎ緑道右支川
入江川せせらぎ緑道」は東寺尾一丁目の北端近くを東西に延びる本線部分と建功寺脇から馬場一丁目を北に延びる「右支川」とがある。そのそれぞれをのんびりと辿ってみた。本線部分は自然の小川を模した造りで、せせらぎには小魚が泳ぎ、間近にサギの姿を見ることもできた。緑道は緑に縁取られ、道脇の花々も美しく、散策を楽しむ人の姿も多い。「右支川」部分は少し趣が異なり、人工的な水路の様相だが、まさに家々の隙間を縫うように辿る様子が楽しい。せせらぎの一角には鯉の泳ぐ場所もあって歩いていても飽きない。こちらは散策を楽しむ人よりも地元の人たちの行き交う姿が多く、生活道路の役割も大きいのだろう。
白幡公園のログハウス
緑道の本線を上流側へと辿ると、やがて東寺尾二丁目に近づいた頃、水の噴出口があり、緑道は終わる。そこからバス通りを少し南へ進むと左手の丘に白幡公園がある。丘の上に白幡神社の鎮座する雑木林の丘で、木立の中を縫って散策路が延び、ところどころに広場が置かれている。林の中に山小屋風のログハウスがあるが、これは室内に各種遊具を揃えた子どもたちのための遊び場であるようだ。
入江川
白幡公園からどのようなルートで歩こうかと少し迷ったが、やはり今回は「入江川せせらぎ緑道」をもう一度、今度は下流側へ向かって歩き、大口駅を目指すことにした。周辺に足を伸ばして寺尾城址なども訪ねてみたいが、それはまた次の機会に譲ることにしたい。

「入江川せせらぎ緑道」をまたのんびりと歩き、西へ向かう。やがて区境を越えて神奈川区西寺尾一丁目に入る頃、緑道は終わり、入江川は暗渠から現れた巨大な溝のような姿に戻ってしまった。建ち並ぶ家々の間をまるで亀裂のように流れてゆく入江川の姿も、それはそれで興味深いものではある。綱島街道から南下してくるバス通りへと出るが、その道路を避けて東側の細道を選んで歩く。やがて西寺尾第二小学校の横手に出た。学校に隣接して、まるで学校の一部であるかのように、「西寺尾公園」という小さな公園があった。公園を抜け、家々の間を進むと、やがて往路で辿った道へと出た。そこから再び入江川の川岸の道へと戻り、大口駅を目指したのだった。
入江川せせらぎ緑道」は大口駅から歩くと少々距離があるが、訪れるに値する魅力はあるように思える。今回は省いてしまったが、周辺の寺尾城址や空堀跡なども訪ねてみたい気がする。また別の季節を選んで歩いてみるのがよいかもしれない。

このあたりはかなり古い時代から「寺尾」という地名があったようで、中世の古文書にすでに「寺尾」の名があるという。近世以降になって「西寺尾村」、「東寺尾村」、「北寺尾村」がそれぞれ独立した地域になったものらしい。現在の鶴見区東寺尾に「寺尾城址」が残っているが、おそらくこの寺尾城から見た方角によってそれぞれの名があるのだろう。やがて昭和の時代に入って横浜市に編入されて区政が施行された際、「北寺尾」と「東寺尾」は鶴見区、「西寺尾」は神奈川区になってしまった。同じ地名の「西」だけが別の区に分かれているというのもちょっと面白いと思ったりする。
追記 「子安農園」は本文中にて「1953年(昭和28年)に閉園(相澤雅雄氏著「ハマ線地名あれこれ(230クラブ新聞社刊)」より」とあるが、これに関して「自分が幼少の頃にはまだこの辺りで牛を飼っていた」との旨の内容で、本頁をご覧頂いた複数の方からお便りを頂いた。それらのお話から考えれば、1960年代末の頃まで「子安農園ゴルフ場」横の丘(現在は住宅地になっている)では牛が放牧されており、さらに1970年代中頃まで周辺には牛を飼っている家が数件残っていたようだ。子安農園が閉園した後もしばらくは、そのように畜産に携わる家々がこの辺りに残っていたのだろう。「子安農園」に関してお便りを頂いた方々に、この場を借りて御礼を申し上げたい。
西寺尾二丁目付近