群馬県みどり市のほぼ中央部、東町花輪地区に昭和初期に建てられた小学校の校舎が残っている。国の登録有形文化財に登録されている建物で、旧花輪小学校記念館の名で一般に公開されている。旧花輪小学校記念館を訪ねた。
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館は、旧勢多郡東村の花輪小学校の旧校舎を保存し、一般に公開しているものだ。現在のみどり市東町花輪はかつては群馬県勢多郡東村に属していたところで、2006年(平成18年)に新田郡笠懸町、山田郡大間々町と合併し、みどり市が誕生した。合併直前の頃には人口3000人ほどの村だったそうだが、日本鋼管株式会社を創立し、「近代産業の父」とも称される今泉嘉一郎を輩出したことでも知られる。旧花輪小学校記念館の建物は、その今泉嘉一郎の寄付によって建てられた花輪小学校の校舎だそうだ。
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館
今泉嘉一郎は1867年(慶応3年)、東村花輪に生まれた。1873(明治6年)に創設された花輪小学校で学び、やがて東京帝国大学工科大学(現東京大学工学部)に進学、官営八幡製鉄所に入所した後、1912年(明治45年)に友人だった白石元治郎とともに初の民間製鉄会社である日本鋼管株式会社(現在のJFEグループ)を設立した。その後は衆議院議員や日刊工業新聞社長などを歴任し、日本の製鋼、鋼管技術の育成、発展に尽力、1941年(昭和16年)に亡くなっている。ちなみに白石元治郎もまた、大正期から昭和初期にかけて日本の鉄鋼業界をリードしてゆく人物のひとりである。

今泉嘉一郎は郷土へ寄せる思いも強かったようで、1917年(大正6年)には花輪小学校の改築に1万円を寄付、さらに1931年(昭和6年)に落成した新校舎建設の際にも多額の寄付を行ったという。そのときに完成した新校舎が現在「旧花輪小学校記念館」として残されている建物だ。この校舎は2001年(平成13年)3月に小学校の統廃合によって廃校になるまで使われた後、2001年(平成13年)に「旧東村花輪小学校校舎」として国の登録有形文化財の指定を受け、2003年(平成15年)、「旧花輪小学校記念館」として開館した。
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校校舎は建築面積627uの木造二階建て、4間(約7.2m)×5間(約9m)の教室が並び、北側の片廊下という構造は典型的な当時の学校校舎のレイアウトだが、“昇降口部の窓構成や腰折れ屋根窓などに造形的特色がある(文化庁サイトより)”のだそうだ。外部の建具がアルミサッシに替えられている以外は建築当初の姿を残しているという。赤茶色の外壁に覆われた建物は窓枠と軒下部分が白く、そのアクセントがとても美しい。玄関口の屋根の造形も気品を感じさせるものだ。完成した当時はきっと村の誇りであったに違いないし、そしておそらく現在でもその誇りが受け継がれているのに違いない。

公式サイトやリーフレットなどには、その美しい姿の全景を正面から捉えた写真が掲載されている。その景観を期待して訪れたのだが、今は校舎寄りの校庭隅に保育園が建てられており、正面から全景を見ることができなくなっていた。正面からの全景が見られないのでは、その美しい建物の魅力が半減すると言っても過言ではない。とても残念だ。
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館
建物の内部は基本的に学校の校舎として使われていた当時の姿が保たれている。教室の横に長く延びる廊下の様子や、昇降口の階段の佇まいなども往時のままだ。児童たちが使った机や教壇などがそのままに展示された教室もある。教室入口上に設置された教室名の表示プレート(もちろん木製)もそのままに残され、プレートには担任の先生の名も記されている。おそらく花輪小学校が廃校になる直前のものなのだろう。机の残された教室の中を見学していると、今にも賑やかな声とともに子どもたちが教室に入ってくるような気もしてくる。

教室の一部は資料展示室として使われており、今泉嘉一郎や石原和三郎に関する資料、斎藤利江の写真などが展示されている。石原和三郎は旧東村の出身で、群馬県尋常師範学校(現群馬大学教育学部)で学んだ後、花輪小学校で教員として勤務、校長にも任命された人物ということだが、一般には「うさぎとかめ」や「はなさかじじい」、「金太郎」といった有名な童謡の作詞家として知られる。斎藤利江は写真家で、展示されている写真は昭和30年代の足尾線を撮影した作品の数々、斎藤利江氏本人から寄贈されたものという。
旧花輪小学校記念館
旧花輪小学校記念館
また鉄道資料の展示室も設けられており、神土駅(現在の神戸駅)の待合室が再現され、時刻表や駅名標など、かつての足尾線(現在のわたらせ渓谷鐵道)時代の物品が展示されている。

旧花輪小学校記念館は、登録有形文化財である旧校舎を保存するだけでなく、旧東村の資料館のような役目も担っているのだろう。
旧花輪小学校記念館
それぞれの展示物なども見学しつつ、校舎の中を丹念に見てゆくのはなかなか楽しい。昭和初期に建てられた木造校舎は、こうした校舎を体験した人には懐かしく郷愁を誘うものだろうし、体験したことのない人にはかえって新鮮に感じられるものかもしれない。木造の校舎はやはり温もりがある、と思うのは、木造校舎で学んだ体験を持つ世代の懐旧の思いだろうか。
今泉嘉一郎胸像所
校庭の東側の一角に、校舎新築に際して多額の寄付を行った今泉嘉一郎の胸像と顕彰碑がある。工科大学同期の伊東忠大の設計により、今泉嘉一郎の古希を記念して建てられたものという。「平面は十字形で、正面に階段を設け花崗岩製の高欄を側面まで廻し、背面は壁を造って左右に銘板を嵌込み、胸像の後ろには切妻破風を立上げる構成」だと解説が設けられている。この胸像所も校舎とともに国の登録有形文化財の指定を受けている。
今泉嘉一郎胸像所
旧花輪小学校門柱
校庭の南側、一段下がって道路に面した部分に、旧花輪小学校の門柱が残されている。添えられた解説によれば、門柱は高さ3メートル、30センチ角ほどの花崗岩製、左の門柱の側面に「大正五年二月建之」とあり、前身校舎時代に建てられたものなのだそうだ。1993年(平成5年)頃、道路の拡幅に伴い、校庭よりも低い現在地に移されたものという。この門柱もまた国の登録有形文化財の指定を受けている。
旧花輪小学校門柱
花輪駅
古い駅名標 東村村営バスのバス停標
旧花輪小学校記念館はわたらせ渓谷鐵道花輪駅のすぐ近くに位置している。花輪駅の駅舎は比較的新しいもののようだが、風情のある意匠で造られ、駅前が庭園風に整備されているのが素敵だ。

駅そのものは特に“観光”の対象になるような性格のものではないが、ホームには「群馬県勢多郡東村大字花輪」の住所が書かれた駅名標が残され、駅前の一角には「東村村営バス」のバス停標識が残されていた。2006年(平成18年)の合併で勢多郡東村は廃止となり、現在はみどり市だ。「勢多郡東村大字花輪」や「東村村営」といった表記もやがて消え去ってゆくだろう。来訪者の立場ではあるが、消えてゆく前にせめて写真に残しておきたいと思い、カメラを向けたのだった。
参考情報
旧花輪小学校記念館は無料で入館、見学が可能だが、開館日は土曜日と日曜日に限られている。その他、開館時間などは公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
旧花輪小学校記念館はわたらせ渓谷鐵道花輪駅から近い。駅から東へ100mほど進んで踏切を渡るとすぐだ。

車で来訪する場合、大間々方面から国道122号を北上、あるいは日光方面から国道122号を南下、わたらせ渓谷鐵道花輪駅を目指せばわかりやすい。旧花輪小学校記念館には来訪者用の駐車場は用意されていないが、花輪駅横に無料で駐車できるスペースがあり、これが利用できるようだ。観光客で混雑するような性格のところではないから、駐車スペースに困ることもないように思える。

飲食
花輪駅の周辺に何軒かの飲食店があるようだが、数は少ない。食事は大間々、桐生方面へと移動して店を探すのが賢明かもしれない。

周辺
花輪はかつて銅(あかがね)街道の宿場として賑わった町で、まだその名残が見られる。のんびりと町を散策してみるのもよさそうだ。町の一角には今泉嘉一郎の生家も残されている。興味のある人は立ち寄ってみるといい。

少し北へ行けば足尾、足尾銅山跡を観光するのもいい。南へ下って大間々では高津戸峡などを観光するのもお勧めだ。またわたらせ渓谷鐵道は鉄道そのものが観光名所と言ってもいい。のんびりとローカル線に揺られながら車窓の景色を楽しむのも悪くない。わたらせ渓谷鐵道には大間々駅や上神梅駅、神戸駅、足尾駅など、風情に富む駅も少なくなく、鉄道ファンならずとも訪れてみたくなるところだ。車で訪れた際には国道122号のドライブを楽しみつつ、気ままに車を駐めて散策を楽しむのがお勧めだ。
建物探訪
群馬散歩