今泉嘉一郎は1867年(慶応3年)、東村花輪に生まれた。1873(明治6年)に創設された花輪小学校で学び、やがて東京帝国大学工科大学(現東京大学工学部)に進学、官営八幡製鉄所に入所した後、1912年(明治45年)に友人だった白石元治郎とともに初の民間製鉄会社である日本鋼管株式会社(現在のJFEグループ)を設立した。その後は衆議院議員や日刊工業新聞社長などを歴任し、日本の製鋼、鋼管技術の育成、発展に尽力、1941年(昭和16年)に亡くなっている。ちなみに白石元治郎もまた、大正期から昭和初期にかけて日本の鉄鋼業界をリードしてゆく人物のひとりである。
今泉嘉一郎は郷土へ寄せる思いも強かったようで、1917年(大正6年)には花輪小学校の改築に1万円を寄付、さらに1931年(昭和6年)に落成した新校舎建設の際にも多額の寄付を行ったという。そのときに完成した新校舎が現在「旧花輪小学校記念館」として残されている建物だ。この校舎は2001年(平成13年)3月に小学校の統廃合によって廃校になるまで使われた後、2001年(平成13年)に「旧東村花輪小学校校舎」として国の登録有形文化財の指定を受け、2003年(平成15年)、「旧花輪小学校記念館」として開館した。