群馬県富岡市の富岡製糸場は1872年(明治5年)に明治政府によって造られた器械製糸工場だ。当時の最大の輸出品だった生糸の品質改善と生産性向上、器械製糸の普及、技術者の育成といったことを目的にした官営工場だった。1893年(明治26年)には当初の目的を果たしたとして民間に払い下げられ、その後、1987年(昭和62年)まで操業を続けた。
操業を終了した後も、当時の所有者であった片倉工業株式会社によってほとんどの建物が保存されてきた。2005年(平成17年)には「旧富岡製糸場 」として国の史跡に指定され、同年、すべての建造物が富岡市に寄贈され、以後は富岡市によって保存管理がなされている。2006年(平成18年)には主要な建造物が国の重要文化財に指定され、さらに2014年(平成26年)には「世界遺産一覧表」への記載が実現、同年、繰糸所、西置繭所、東置繭所の3棟が国宝の指定を受けている。現在は保存修理工事を継続しつつ、一般公開がなされ、富岡製糸場の歴史と文化財としての価値を今に伝えている。
富岡製糸場を訪ねて最初に目を引くのは、やはり往時の面影をそのままに残した建造物群の姿だ。東置繭所、西置繭所、繰糸所といった主要建築物を中心に、首長館(ブリュナ館)や検査人館、女工館、鉄水溜などの建造物が築造当時のままに残る。
木骨レンガ造という建物群は横須賀製鉄所の建設に関わったフランス人が設計したものだそうだが、寸法を尺貫法に換算して日本人の大工が施工に当たったという。瓦葺きの屋根など、日本風の建築様式も取り入れられた和洋折衷の建造物である。
明治期の建築物に興味のある人はもちろん、特に興味がなくても国宝や国の重要文化財に指定された建造物を見学していくのは楽しいひとときだ。外観のみ見学可能な建造物も少なくないが、これらの建築物を見学していくのは富岡製糸場見学の醍醐味のひとつだろう。
敷地のほぼ中央部に東西に延びる繰糸所は富岡製糸場の中でも最大の見所かもしれない。繰糸所は繭から糸を取る作業が行われていたところだ。製糸工場の中心施設と言っていい。建物は長さ約140m、フランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置された、当時世界最大規模の器械製糸工場だったという。国宝である。
建物は小屋組みにトラス構造を用いて中央に柱がなく、巨大な空間が造り出されている。その中に往時の機材がそのままに残されている。その姿に稼働した頃の様子を思い浮かべるのも難しいことではない。今はひっそりと静かに歴史のひとこまを今に伝えるだけだが、操業当時の機械音や作業に当たった人々の声がふと聞こえるような気もしてくる。
首長館(ブリュナ館)は“お雇い”として招かれたフランス人用の宿舎として建てられた3棟のうちの1棟で、設立指導者として雇われたポール・ブリュナのために1873年(明治6年)に建てられたものという。ブリュナは任期満了の1875年(明治8年)12月まで家族と共にここで暮らし、その後は宿舎や式典の会場などとして使われたという。国指定重要文化財である。
他にも女工館や検査人館、鉄水溜、重要文化財の指定こそ受けていないが、敷地南側に残る寄宿舎の建物や診療所など、近代建造物に興味のある人には垂涎ものの施設がいろいろと残っている。丹念に見学していきたい。
富岡製糸場は1893年(明治26年)に三井家に払い下げられている。その後、1902年(明治35年)に原合名会社に譲渡され、1938年(昭和13年)には株式会社富岡製糸所として独立、翌1939年(昭和14年)には当時日本最大の製糸会社だった片倉製糸紡績株式会社(現在の片倉工業株式会社)に合併されている。戦後は自動繰糸機が導入され、製糸工場として稼働を続けていたが、やがて日本の製糸業そのものが衰退、1987年(昭和62年)にはついに稼働を停止、長い歴史に終止符が打たれた。
その後、2005年(平成17年)7月に国の史跡に指定され、同年9月には建造物のすべてが富岡市に寄贈されて現在に至るわけだが、特筆すべきは1987年(昭和62年)に稼働を停止した後、2005年(平成17年)に国史跡に指定されて富岡市に寄贈されるまでの18年間である。
この18年間、片倉工業株式会社は「売らない」「貸さない」「壊さない」という気持ちで富岡製糸場を保存してきたというのだ。富岡製糸場が日本の近代化に果たした役割やその歴史的価値を鑑み、原型のままに保存することが重要だと考え、管理事務所を設けて建物の保存管理を続けたという。操業を停止した古い工場は、企業にとって“お荷物”だったろう。更地にして別の工場を建てたり、売却してしまった方が経営的にはメリットが大きかったろう。社内では保存への反対意見もあったかもしれない。それでも敢えてコストをかけてまで保存管理を続けたのだ。富岡製糸場が今も残り、国宝や重要文化財として、そしてまた世界遺産としてその価値が認められ、一般の人々がその姿に触れることができるのは、ひとえに片倉工業株式会社の18年間の尽力があってこそと言っても過言ではあるまい。その事実を知るとき、片倉工業株式会社の志と英断に対して深く感動し、胸が熱くなるのを禁じ得ない。こうした人々の志によって、歴史は後世に伝えられていくのだ。
富岡製糸場が明治初期の日本の近代化に果たした役割やその重要性は、残された建造物群を漫然と見て回るだけではなかなか理解が及ばない。幕末から明治維新を経て、明治初期の日本が近代化を急いだ時代の歴史的背景をある程度学んでおかなくては、富岡製糸場の本当の価値はわからないだろう。施設内に設けられた富岡製糸場の歴史に関するパネル展示にじっくり目を通していけば、さまざまな発見や学びがある。その発見や学びを得てこその、富岡製糸場見学である。