鹿児島県曽於市の南部に国鉄志布志線の岩北駅跡がひっそりと残されている。周辺は長閑な田園地帯で、散策を楽しむのもお勧めだ。夏の盛りの八月半ば、岩北駅跡を訪ねた。
国鉄志布志線岩北駅跡
鹿児島県曽於市の中心市街から国道269号を6kmほど南下した田園地帯の中に、旧国鉄志布志線岩北駅の跡がひっそりと残っている。跡地には岩北駅跡であることを示すモニュメントが設置され、ホーム跡が残されている。線路は撤去されており、遊歩道として整備されている。遊歩道を辿れば美しい田園地帯の中の散策を楽しむことができる。駅跡から田園地帯へと散策を楽しむのがお勧めだ。
国鉄志布志線岩北駅跡
国鉄志布志線岩北駅跡
国鉄志布志線は1923年(大正12年)に都城−末吉間で開業、延伸を重ねて1925年(大正14年)に志布志まで開通、開業している。その間に都城ー西都城間が日豊本線に編入されたため、西都城駅が起点駅だ。志布志から先は宮崎県方面へと延伸し、1941年(昭和16年)には北郷まで延びているが、1963年(昭和38年)に志布志ー北郷間が日南線に編入、志布志線は西都城から志布志までを繋ぐ路線として歴史を刻んだ。

1980年代に入って志布志線は国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、廃線が決定された。そして1987年(昭和62年)3月27日を最後に全線廃止となり、岩北駅も廃駅となるのである。
国鉄志布志線岩北駅跡
岩北駅は1924年(大正13年)に大隅松山駅まで延伸された際に新設された駅だった。この辺りはかつての曽於郡末吉町(現在の曽於市末吉町)の南部を占める地域で、山間の平地に田畑の広がり、そこに集落が点在する長閑なところだ。田園地帯の中に築堤を設け、線路が辿っていた。駅も築堤上にあった。
国鉄志布志線岩北駅跡
駅は周辺の集落に暮らす人たちのために設けられた駅だったのだろう。駅跡は国道269号から家々の間の道を入り込んだところに位置している。入り込んでいくと家々に囲まれたかつての“駅前”がちょっとした広場になっている。その広場脇に「国鉄志布志線 岩北駅跡地」と刻まれた石碑が設けられて、かつてここに駅があったことを今に伝えている。
国鉄志布志線岩北駅跡
岩北駅は片面ホームの一面一線、交換不能の駅だった。駅跡にはホームだけが残されている。その脇にあった線路はすでになく、現在は遊歩道として整備されている。ホーム跡も線路跡の遊歩道も木々に包まれ、苔むして少しずつ時の流れに風化しようとしているようにも見える。その中にかつて国鉄の列車が走っていた光景を想像してみるのも楽しい。
国鉄志布志線岩北駅跡
岩北駅跡から線路跡の遊歩道を辿れば、周囲に広がる田園風景を築堤の上から眺めることができる。田畑が広がり、その中に家々が点在する長閑な風景だ。その家々から、かつてこの築堤上の線路を走る志布志線の列車が見えたのだろう。列車が走らなくなって、すでに長い年月が過ぎた。
国鉄志布志線岩北駅跡
岩北駅跡は誰にでもお勧めできるような“観光名所”ではない。しかし鉄道ファン、特に旧国鉄の好きなマニアな人たち、あるいは廃線跡に興味のある人なら訪ねてみたいところだろう。志布志線の列車が走っていた光景を想像しながら、駅跡から周辺の田園風景へと散策の足を延ばすのがお勧めだ。
国鉄志布志線岩北駅跡
国鉄志布志線岩北駅跡
参考情報
交通
岩北駅跡を訪ねるなら車を使用するのが便利だ。宮崎自動車道都城ICから国道10号を経て国道269号へと辿って23kmほど南下すれば着く。

国道269号沿いにも案内標識は設置されておらず、場所がわかりにくいので、予め下調べしておこう。駐車場などは設けられていないので、周辺の道路脇など、地元の人たちの迷惑にならない場所を見つけて車を駐めよう。

飲食
岩北駅跡周辺は長閑な田園地帯で、飲食店などはほとんどない。飲食店を探すなら国道269号を北上して曽於市末吉町の市街地へ移動するか、南下して曽於市岩川町の市街地へ移動した方がいい。

周辺
国道269号を6kmほど北上すると曽於市末吉町の市街地、一角に末吉駅跡がある。末吉鉄道記念館も建っているから、ぜひ併せて訪ねてきたい。

国道269号を南下し、県道110号へと逸れて辿れば9km足らずで大隅松山駅跡だ。線路やホームの跡が残っている。
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