長野県木曽町の中心部、木曽川の河岸に広がる町並みはかつて木曽郡木曽福島町だったところだ。木曽福島町は1967年(昭和42年)、当時の西筑摩郡福島町と新開村とが合併して発足、2005年(平成17年)に木曽郡日義村、開田村、三岳村と木曽福島町が合併、木曽町が発足して木曽福島町は廃止となった。
木曽福島の中心部はそもそもは中山道の福島宿として栄えたところだ。福島宿は中山道六十九次のうち、江戸から37番目、木曽十一宿に数えられる宿場のひとつである。宿の延長は三町五十五間(約430m)、関所が設けられ、代官が在住していた。規模の大きな宿場で、木曽谷の中心として発展した土地柄だ。しかし残念ながら1927年(昭和2年)の大火で町のほとんどが焼失、今は「上の段」と呼ばれる地区にわずかに江戸時代末期に建てられた建物が残るのみという。
今回、木曽福島を訪ねたのは十一月上旬、木曽の山々が紅葉に染まる季節だった。あいにくの天候で、降りしきる雨の中、傘を差しての散策だったが、しっとりと雨に濡れた町の風景はなかなか風情のあるものだった。
木曽福島の中心部はそもそもは中山道の福島宿として栄えたところだ。福島宿は中山道六十九次のうち、江戸から37番目、木曽十一宿に数えられる宿場のひとつである。宿の延長は三町五十五間(約430m)、関所が設けられ、代官が在住していた。規模の大きな宿場で、木曽谷の中心として発展した土地柄だ。しかし残念ながら1927年(昭和2年)の大火で町のほとんどが焼失、今は「上の段」と呼ばれる地区にわずかに江戸時代末期に建てられた建物が残るのみという。
今回、木曽福島を訪ねたのは十一月上旬、木曽の山々が紅葉に染まる季節だった。あいにくの天候で、降りしきる雨の中、傘を差しての散策だったが、しっとりと雨に濡れた町の風景はなかなか風情のあるものだった。