奈良井宿は中山道六十九次のうち、江戸から34番目、木曽路十一宿の中では贄川宿の次の宿場だった。かつての長野県木曽郡楢川村、現在の塩尻市に位置し、標高は900mを超える。木曽路十一宿の中で最も標高の高い宿である。
奈良井の集落は1500年代の中頃にはすでに宿駅としての機能を果たしていたようだが、1600年代になると江戸幕府による宿駅制定によって整備され、中山道の主要な宿場のひとつとして栄えた。奈良井の宿は総延長八間余り(約1km)と規模が大きく、「奈良井千軒」と呼ばれ、多くの旅人で賑わったという。江戸から辿れば次の藪原宿との間に難所である鳥居峠を控えており、西へ向かう人はここで難所越えの支度を調え、東へ向かう人は峠越えの疲れを癒やしたのだろう。
奈良井の集落は1500年代の中頃にはすでに宿駅としての機能を果たしていたようだが、1600年代になると江戸幕府による宿駅制定によって整備され、中山道の主要な宿場のひとつとして栄えた。奈良井の宿は総延長八間余り(約1km)と規模が大きく、「奈良井千軒」と呼ばれ、多くの旅人で賑わったという。江戸から辿れば次の藪原宿との間に難所である鳥居峠を控えており、西へ向かう人はここで難所越えの支度を調え、東へ向かう人は峠越えの疲れを癒やしたのだろう。