長野県伊那市の北東部は、かつて長野県上伊那郡高遠町だったところだ。そもそもは高遠城の城下町だったところで、1875年(明治8年)に西高遠町と東高遠町が誕生、1889年(明治22年)、町村制が施行され、西高遠町と東高遠町の両区域から成る高遠町が発足した。以後、周辺の村を合併しつつ歴史を刻んできたが、2006年(平成18年)、伊那市と上伊那郡長谷村、高遠町の一市二村が合併、新しい伊那市が発足、高遠町は117年の歴史に幕を下ろしている。
かつての高遠町の南部、現在の伊那市のほぼ中央部に、高遠城趾がある。高遠城はいつ頃、誰によって築城されたのかはよくわかっていないらしいが、戦国時代までこの地域を治めていた高遠氏の居城だったという。1545年(天文14年)、高遠城は武田信玄の大軍に攻められ、当時の城主であった高遠頼継は武田軍に降伏、城を明け渡す。その後、武田氏に従った高遠氏だったが、やがて頼継は自害、没落していったという。
かつての高遠町の南部、現在の伊那市のほぼ中央部に、高遠城趾がある。高遠城はいつ頃、誰によって築城されたのかはよくわかっていないらしいが、戦国時代までこの地域を治めていた高遠氏の居城だったという。1545年(天文14年)、高遠城は武田信玄の大軍に攻められ、当時の城主であった高遠頼継は武田軍に降伏、城を明け渡す。その後、武田氏に従った高遠氏だったが、やがて頼継は自害、没落していったという。