「足利学校」は日本最古の学校として知られる。天文年間(1532〜1555年、戦国時代)の頃には「学徒三千」と言われるほどになり、あのフランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」として世界に紹介している。
足利学校は、しかしその創建についてははっきりしないようだ。平安時代に小野篁が創建したという説や、鎌倉時代に足利義兼が創建した説など諸説あって度々論争の的となってきた。史実として明らかになるのは上杉憲実によって学校が再興された頃からだ。室町時代のことで、上杉憲実は蔵書を寄進し、庠主(「しょうしゅ」と読む、今で言う「学長」のこと)を招いて学校制度を整え、多くの学徒を受け入れた。北は奥羽、南は琉球に至るまで、各地から学徒が集まったという。この上杉憲実を足利学校の創設者とする説もあるようだ。
足利学校は、しかしその創建についてははっきりしないようだ。平安時代に小野篁が創建したという説や、鎌倉時代に足利義兼が創建した説など諸説あって度々論争の的となってきた。史実として明らかになるのは上杉憲実によって学校が再興された頃からだ。室町時代のことで、上杉憲実は蔵書を寄進し、庠主(「しょうしゅ」と読む、今で言う「学長」のこと)を招いて学校制度を整え、多くの学徒を受け入れた。北は奥羽、南は琉球に至るまで、各地から学徒が集まったという。この上杉憲実を足利学校の創設者とする説もあるようだ。