東京都文京区の西端近く、神田川河畔に江戸川公園という公園がある。桜の名所として知られ、春には多くの花見客が訪れる。そこから西へ、神田川の河岸は見事な桜並木が続く。桜が満開となった三月の末、江戸川公園から神田川の桜並木へと歩いた。
江戸川公園は東京都文京区の西端近く、江戸川橋の西、神田川の北側の河岸に位置している。江戸時代にはこの辺りに神田上水の堰があったという。江戸川公園はその堰を史跡として保存するため、東京市によって1919年(大正8年)に造られたものらしい。「江戸川公園」の名は、当時この付近の神田川が江戸川の名で呼ばれていたことに由来している。当初は台地の南斜面の雑木林を主体にした公園だったらしいが、1984年(昭和59年)の神田川拡幅工事の際に改修されて現在の形になったようだ。
この辺りは江戸時代から風光明媚なところだったらしい。明治期になると河岸に桜の木が多く植えられ、桜の名所として人気を集めたという。その後、治水のための護岸工事でそれらの桜の木は切られてしまったが、往時を偲んでか、1980年代以降の河川改修工事の際に河岸に多くの桜が植栽され、近年その桜も大きく育って東京都内の花見の名所として知られるようになった。
江戸川公園は東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅から近いこともあってか、大勢の花見客でたいへんな賑わいだ。園内は花見を楽しむ人たちで埋め尽くされ、河岸の遊歩道にも花見客がひっきりなしに行き来する。もちろん桜は見事なもので、河岸の遊歩道は桜のトンネルと化している。河岸の並木だから対岸から眺める景観も素晴らしいものだ。公園脇に設けられた人道橋を渡って対岸からも見てみるといい。
江戸川公園の桜を堪能した後はそのまま神田川の河岸を西へ進もう。椿山荘から関口芭蕉庵と並ぶ横を過ぎると、その西側に位置して新江戸川公園がある。新江戸川公園は幕末には細川越中守の下屋敷だったところで、明治期に細川家の本邸として使われた後、昭和30年代になって公園として整備、公開されるようになったものだ。中央に池を配した回遊式泉水庭園は小規模ながらなかなか美しいものだ。この時期には桜も楽しめる。入口は河岸から少し回りこまなくてはならないが、せっかくだから立ち寄ってゆこう。
「新江戸川公園」は2017年(平成29年)3月に「肥後細川庭園」と名称が変更されている。その旨、読み替えられたい。
新江戸川公園で文京区と別れを告げることになる。この辺りから西へ、神田川は北側の豊島区と南側の新宿区との区境にほぼ重なっている。その神田川の両岸に大きく育ったソメイヨシノの並木が続き、桜の名所として広く知られている。
河岸の舗道を歩けば頭上は桜に覆われ、対岸にも桜が咲き誇り、素晴らしい景観が広がる。川面を覆い尽くすように枝を広げた桜は見事なもので、圧倒されるような美しさだ。ところどころに架かる橋の、その中ほどに立って神田川を眺めれば河岸に続く桜並木が視界に広がり、その枝々が間近に迫り、桜に包まれたような印象になる。巨大な溝のような神田川は決して風情のある川とは言いがたいし、河畔は市街地だからその点でも風情に欠けるし、河岸の舗道に設けられた背の高いフェンスも興をそぐが、この桜並木の美しさはそれを補って余りあるものだ。
お花見の人たちもたいへんに多く、見事な景観に感嘆の声を上げる人も少なくない。ところどころに架かる橋には桜並木を眺める人たちが集まっているが、ほとんどの橋は車両の通行する一般道だ。桜の景色に夢中になってしまって接近する車に気付かず、車両の通行の邪魔になっている人の姿も少なからずあった。地元の人たちに迷惑であるばかりでなく、何より危険だ。お花見の際にはくれぐれも注意して欲しいと思う。
桜並木を楽しみながらさらに西へ進んでゆくと南側の「新目白通り」が近くなり、面影橋だ。「面影橋」とはなかなか風雅な名の橋だが、かつては「姿見の橋」と言われていたという。由来には諸説あるそうで、在原業平が鏡のような水面に姿を映したという説や亡き夫を追って身を投げたという於戸姫の伝説などが残されているという。面影橋の袂にそうしたことを記した解説板が設置されているから、訪れたときには目を通しておきたい。1970年代初期のフォーク・ミュージックに詳しい人なら及川恒平の歌った「面影橋から」を連想する人も少なくないと思うが、実はこの楽曲の舞台は大坂で、曲中に歌われる「面影橋」は実在のものではなく及川の創作だったらしく、神田川の面影橋とはまったく関係がない。
この面影橋近くには都電荒川線面影橋駅があり、うまく場所を選べば駅に停車する都電の車両と、その背後に桜並木を一枚の写真に収めることができる。桜の季節の撮影スポットとして写真趣味の人にはよく知られたところのようだ。
面影橋を過ぎると高戸橋が近い。同じ名の交差点がすぐ近くにあり、新目白通りと明治通りが十字路を成している。都電荒川線はここで新目白通りから明治通りに沿って北へ折れるため、交差点の北東側の角では屈曲するように曲がってゆく都電荒川線の姿を間近に見ることができる。この時期は通り過ぎる電車の背景に桜が咲き、なかなかフォトジェニックな風景だ。カメラを構えて電車が通るのを待つ人たちも多く、ここも写真趣味の人にとっては魅力的な撮影ポイントのようだ。
神田川河岸の桜並木の西端がこの高戸橋だ。江戸川橋から高戸橋まで、二キロほどの距離だろうか。のんびりと歩いてもそれほど時間はかからない。都心の市街地の中ではあるが、春の空気を存分に味わいながらの花見散歩が楽しめる。
江戸川公園へは東京メトロ有楽町線江戸川橋駅が至近だ。「1a」出口から駅を出れば目の前を神田川が流れており、橋を渡れば江戸川公園だ。都電荒川線の早稲田駅や面影橋駅を利用すれば神田川へ至近だ。JR山手線高田馬場駅や東京メトロ東西線高田馬場駅、西武新宿線高田馬場駅からも充分に歩ける距離だ。それぞれの駅から早稲田通を東へ進み、明治通へ折れて北へ進むと分かり易い。高田馬場駅から神田川河岸まで徒歩で十数分といったところだ。
江戸川公園内にはレストランや売店などはない。神田川河岸にも特にお店などはないが、南側を通る新目白通り沿いに数は少ないながら飲食店やコンビニエンスストアが点在するようだ。高田馬場駅近辺に行けば飲食店も多い。江戸川公園で腰を落ち着けて花見を楽しむのならお弁当持参がお勧めだが、何しろ花見客が多く、お弁当を広げる場所にも困ってしまいかねないのが難点かもしれない。
時間が許せば椿山荘にも立ち寄ってみたい。結婚式場として有名だが、そもそもは明治期に山縣有朋が築いた庭園が始まりで、戦後に復興された庭園の見事さが広く知られている。椿山荘の西側には関口芭蕉庵がある。松尾芭蕉が二度目の江戸入りの後にこの地に住み、後に芭蕉を慕う人々によって家が建てられ、それが現在の関口芭蕉庵の原型であるという。小さな敷地だが、これも時間に余裕があれば立ち寄っておきたい。また神田川の南側を東西に延びる新目白通り沿いには甘泉園庭園や早稲田大学の大隈庭園などもある。周辺の散策を楽しむのも悪くない。
江戸川公園(文京区)
ホテル椿山荘東京
関口芭蕉庵(文京区)
肥後細川庭園(文京区)