東京都江東区の辺りは江戸時代初期以前は海に面した三角州の地形だったという。現在の亀戸の辺りに人々が暮らしていた程度だったらしい。江戸時代初期に深川八郎右衛門が森下周辺を埋め立てて新田を開発、深川村を創立する。現在まで続く「深川」の地名の起こりだ。さらに砂村新左衛門の一族が深川村の西側を埋め立てて新田を開発した。それらの新田が、1657年(明暦3年)に起きた“明暦の大火”からの復興に際し、江戸の町に組み込まれるのである。現在の江東区の北西側、「深川エリア」と呼ばれる辺りである。
東京都江東区は水路の町である。周囲にも町中にも縦横に川や運河が走る。そもそもが埋め立てによって造られた土地だから当然といえば当然だが、それらの水路がかつては重要な流通インフラを担っていたわけである。水路があれば橋が必要だ。江東区内には130以上の橋があるという。その中には歴史的な価値のあるものも少なくない。中でも小名木川に架かる萬年橋と仙台堀川に架かる亀久橋、大横川に架かる福寿橋と東富橋の四橋は江東区の「都市景観重要建造物」に指定された貴重なものだ。
東京都江東区は水路の町である。周囲にも町中にも縦横に川や運河が走る。そもそもが埋め立てによって造られた土地だから当然といえば当然だが、それらの水路がかつては重要な流通インフラを担っていたわけである。水路があれば橋が必要だ。江東区内には130以上の橋があるという。その中には歴史的な価値のあるものも少なくない。中でも小名木川に架かる萬年橋と仙台堀川に架かる亀久橋、大横川に架かる福寿橋と東富橋の四橋は江東区の「都市景観重要建造物」に指定された貴重なものだ。